「燃えられない」時代を生きるあなたへ

脳科学・心理学
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はじめに — 読む前に押さえておきたいこと

あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?

・昔のように何かに熱中できない
・やる気を出そうとしても、空回りしてしまう
・「情熱的な人」に憧れながらも、自分にはそんな火力がないと感じる

こうした感覚は決してあなただけのものではない。社会全体が「燃えられない空気」に包まれている。

SNSやメディアを通じて、常に「目標を持て」「努力せよ」「結果を出せ」と鼓舞される現代。その裏で、多くの人が「燃えたいのに燃えられない」という静かな葛藤を抱えている。

単に怠けているわけでも、情熱を失ったわけでもない。むしろ、頑張りたいという気持ちは強いのに、心が思うように動かない。

それが、この時代を生きる多くの人に共通する「燃えられない症候群」の実態である。

本書が示すこと(著者の主張)

情報過多、コスパ・タイパ主義、常時接続のSNS。

これらがもたらす「効率と成果の圧力」は、私たちから“熱中”の余白を奪っている。人が何かに燃えるためには、非効率さや没頭できる時間が不可欠だが、現代社会はそれを許してくれない構造になっている。

そんな中でも本書は、「燃えようと頑張る必要はない」と語る。燃えられなくても生きていていいし、続けているだけで十分に価値がある。むしろ、「燃えられない自分」を受け入れることが、再び何かに心を灯す第一歩になるのだという。

本書を読んで感じたこと(私見)

印象的だったのは、「燃えようとすること」そのものが苦しみを生んでいるという視点だ。情熱は「作り出すもの」ではなく、「気づいたらそこにあるもの」だと気づかされる。

現代を生きる私たちは、「燃えられない自分」をすぐに否定してしまう。だが、やる気がなくても続けられていること、淡々と積み重ねていることの中に、確かな意味や価値があるのではないかと思う。

この本は、ただ「どうすれば燃えられるか」を教える指南書ではない。むしろ、「燃えられなくてもいい」と静かに肯定してくれる一冊である。その穏やかな視点が、息苦しい日々の中で、心の支えになるのではないだろうかと感じた。

あなたは「燃えられて」いますか?

自分には、夢中になれるものが何もない。

そんな悩みを抱えてはいないだろうか。

仕事に熱中しきれなかったり、時間を忘れて没頭できる趣味が見つからなかったりと、どこかモヤモヤした“消化不良感”を抱えている人は少なくないはずだ。そして、友人との会話やSNSで流れてくる情報をきっかけに、「あの人と比べて、自分は何かに“燃える”ことができていない」と焦りを感じてしまう。

ただ、この問題はあなただけのものではない。むしろ現代を生きる多くの人が抱えている、いわば“社会的な現象”といえるだろう。

では、このような「燃えられない」状態を、どうすれば解消できるのか。その問いに向き合うための1冊が、今回紹介する本である。

燃えられない症候群】(堀田 秀吾 著)

堀田秀吾

1968年熊本県生まれ。言語学博士(Ph.D. in Linguistics)。1991年に東洋大学文学部英米文学科を卒業し、1999年には米国のシカゴ大学博士課程(言語学専攻)を修了している。 

その後、カナダ・ヨーク大学オズグッドホール・ロースクール修士課程を修了、さらに博士課程(単位取得満期退学)も経験している。 

現在は、明治大学法学部において教授を務め、専門分野として「司法におけるコミュニケーション分析」「法言語学」「心理言語学」「ウェルビーイング」を掲げている。

研究・実務面では、言語学・法学・社会心理学・脳科学といった複数領域を横断し、裁判員制度・評議コーパス・判決文分析など、実証的かつ学際的なアプローチを展開してきた。 

また、メディア出演や企業・教育機関向けの講演も多数行っており、「学び × エンタメ」をライフワークとするスタイルでも知られている。

「燃える」とはどういうことか

そもそも「燃える」とは、どういうことなのか。

前述の通り、現代人が“燃えられない”という問題は、個人の問題ではなく、社会的な性質を帯びたものだと著者は述べている。そして、このような状態を「燃えられない症候群」と呼んでいる。その定義は次の通りである。

本当は何かに夢中になりたい。自分なりに懸命に動いてもいる。それなのに、なぜか心に火がつかない

これは、無気力でもなく、一生懸命にやったあとの“燃え尽き症候群”でもない。自分なりに努力しているのに、心が熱くならない——そこがポイントである。

そして、この「燃えられない症候群」に陥っているのは、あなたが悪いわけでも、努力が足りないわけでもない

人間はもともと、省エネを好む生き物である。「人は脳の10%しか使っていない」という話を耳にしたことがあるかもしれない。本当に10%なのかは定かではないが、少なくとも人間の脳は“できるだけエネルギーを使わない”よう設計されている。

さらに、人間には「現状維持バイアス」があり、“いつもの状態”を好む傾向がある。燃えている状態は、日常的ではなく特別な状態だ。したがって、脳はその“特別さ”にブレーキをかけてしまう。

では、なぜ人はそれでも「燃えよう」とするのか。
著者によれば、それはマズローの欲求5段階説で説明できるという。

  1. 生理的欲求
  2. 安全の欲求
  3. 社会的欲求
  4. 承認欲求
  5. 自己実現の欲求

人間はこの5つの欲求を持ち、低次の欲求が満たされると、次第に高次の欲求を求めるようになる。

現代の日本では、食事に困ったり、安全が脅かされたりする状況は少ない。つまり、多くの人にとって「生理的欲求」や「安全の欲求」はすでに満たされている。

そのため、社会とのつながり(社会的欲求)、人から認められること(承認欲求)、そして「自分らしく生きたい」という思い(自己実現の欲求)を追い求めるようになる

これらを変えようとする過程で、「このままじゃ嫌だ、何かを変えたい」という人間的な衝動が生まれる。それこそが、「燃えたい」という欲望なのだ。

つまり、人間の根底(心)では「燃えたい」と願いながら、脳の仕組みとしては「現状維持をしたい」と働く

この相反する二つの力のあいだで、私たちは日々揺れ動いているのである。

現代は「燃える」との相性が悪い

多くの人が「何かに燃えたい」という欲望を抱えている。しかし、「では何に燃えたいのか」と問われると、言葉に詰まってしまう人が少なくないのではないだろうか。

現代では「やりたいことが見つからない」という悩みに対して、「とにかく行動してみよう。その中から自分に合うものを探せばいい」というアドバイスをよく耳にする。たしかに、これは一理ある。だが、本書ではこの考え方が現代社会との相性が悪いと指摘されている

情報過多が生む「燃えにくさ」

その理由の一つが、情報過多の環境だ。

SNSやショート動画を通じて、私たちは想像以上に多くの情報に晒されている。そして人間は膨大な情報を処理しきれないと、次のような行動パターンに陥る。

  1. 情報を短時間で処理しようとする
  2. 他者との接触を必要最低限にとどめる
  3. 重要度の低い情報を無視する
  4. 責任を他人に委ね、逃避する

これらは一見、合理的な適応行動のようにも見える。だが、このスパイラルこそが「燃える」という感情と極めて相性が悪い

なぜなら、「燃える」とは自分の注意やエネルギーを一点に集中させる状態だからだ。情報を次々に切り替えることに慣れた脳では、その集中の持続が難しくなる。

コスパ・タイパ主義という落とし穴

さらに、現代人の価値観を支配するコスパ・タイパ主義も「燃えられない症候群」を加速させている。少ない労力で最大の成果を得ようとするこの発想は、もともと進化の過程で獲得した“生存の知恵”でもある。

だが同時に、「いかに効率的に結果を出すか」という思考は、プロセスを軽視する傾向を生む。

「燃える」という感覚は、まさにそのプロセスの中に宿る結果だけを重視する社会では、燃えているかどうかは重要視されない努力や過程の充実よりも、成果のスピードや量が評価の対象になる。結果として、人は「燃える前に、冷める」ようになってしまうのだ

「燃えない」社会に生きるという現実

このように、情報過多とコスパ・タイパ主義によって、私たちは「燃えること」との相性が悪い社会に生きている。

しかも、この環境は意識的に避けることがほとんど不可能である。SNSを断っても、仕事や生活のあらゆる場面で効率や即応を求められる現実は変わらない。

つまり、「もっと努力すれば燃えられる」といった精神論ではどうにもならない構造的な問題なのだ。現代社会において“燃える”とは、もはや個人の意思や根性の問題ではなく、環境との戦いでもある

燃えるために必要なこと

では、そんな「燃えづらい」世の中に生きる私たちは、もう打つ手がないのだろうか。著者によれば、そうではない。人は工夫次第で、再び燃えることができるのだという。

実際、周囲を見渡せば「燃えている」人は一定数存在する。彼らが特別な才能を持っているわけではない。よく観察すると、行動の中にいくつかの共通点が見えてくる。

それが、以下の3つだ。

① とりあえずやる
② ルーティン化する
③ 環境を整える

① とりあえずやる

何かを始めようとするとき、人は「やる気スイッチ」を探しがちだ。特に勉強や運動のように、成果が出るまでに時間がかかるものほど、「気が向いたら始めよう」と先延ばしにしてしまう。

しかし著者は言う。やる気はスイッチではなく、エンジンのようなものだと。つまり、「やる気が出たら動く」のではなく、「動いたらやる気が出る」という順序である

無理にでも体を動かすことで、脳が「今やっていることは大事だ」と判断し、感情が後からついてくる。これは心理学で言う「行動活性化(Behavioral Activation)」にも通じる考え方だ。

やらなければならないと分かっていながらも気が乗らないときこそ、考える前に手を動かす。「とりあえずやる」ことが、燃えるための最初の着火点となる。

② ルーティン化する

毎日「歯をピカピカにしよう」と意識して歯磨きをしている人はほとんどいないだろう。多くの人は、「毎日やっているから今日もやる」という感覚で続けているはずだ。

人間の脳には「現状維持をしたい」という性質があるが、これは裏を返せば習慣化すれば勝手に続けられるということでもある。「とりあえずやる」を何度か繰り返せば、それが“普通のこと”になっていく。

そして、その「普通」を意図的に作り出すための手法がハビットスタッキング(habit stacking)だ。これは「すでにある習慣」と「新しい習慣」を結びつけることで、行動を自動化する仕組みである。

例えば、

  • 朝コーヒーを入れたら、今日のToDoを3つ書き出す
  • メールを1通送ったら、立ち上がって1分ストレッチする
  • 歯磨きをしたら、鏡の前で今日の目標を声に出す

といった具合だ。

ここで大事なのは、「小さく始める」ことである。新しい習慣は、最初から大きく設定すると失敗しやすい。「できた」という成功体験を積み重ね、脳に「これは自分の当たり前だ」と覚え込ませる。その繰り返しが、燃える状態を持続させる土台になる。

③ 環境を整える

「意志の力」に頼らずに燃えるために、最も効果的なのが環境を整えることだ。集中しやすい空間や仕組みを意図的に設計することで、行動のハードルを下げることができる。

たとえば、勉強や仕事中についスマホを触ってしまうなら、電源を切るか、視界に入らない場所に置く。ダイエット中なのにお菓子を食べてしまうなら、そもそも家にストックしない。

環境が変われば、行動は自然に変わる。そしてその環境が“いつもの状態”になったとき、脳はそれを「努力」ではなく「日常」として認識する。もはや「燃えるために頑張る」必要すらなくなるのだ。

結局のところ、「燃える」というのは、感情の問題ではなく構造の問題である。やる気が続く人は、意志が強いのではなく、燃え続けられる仕組みを持っているだけなのだ

「とりあえずやる」「ルーティン化する」「環境を整える」。この3つを少しずつ生活に組み込むことができれば、気がつけばあなたも「燃えている」側の人間になっているだろう。

それでも燃えられないあなたへ

理屈はわかった。けれども、それでも燃えられない。

そう思ってしまう人もいるのではないだろうか。

そんなあなたに対して、著者はひとつの道標を提示している。

「燃えられない」ことは、悪ではない

そもそも、燃えられないことはそんなに悪いことだろうか。

心を燃やすために動く。しかし、「やれていれば、燃えていなくてもOK」

このような考え方でも、何も問題はないのだ。

続けていくうちに、いつの間にか心から燃えられる目標が見つかるかもしれないし、仮に燃えていなくても、「続けたい」と思えることを継続できているなら、それ自体がすでに価値のあることだ

結果的にそれが他者の役に立ったり、自分自身の成長につながっているなら、「燃えていない自分」もまた、ひとつの良いあり方として認められるだろう。

成長は、階段のようにやってくる

著者によると、人生の道のりは坂道ではなく、階段状になっているという

つまり、

  • 進んでいる実感がなくても、確実に前に進んでいる
  • ある日、突然できるようになり(=次の段に登る)、新しい景色が見える

といった構造である。

同じ段を歩き続けている時間が長いと、「自分は成長していないのではないか」と感じてしまうこともある。周囲に何かに熱中している人がいれば、なおさら焦りを覚えるだろう。

だが、次の段に上る準備は確実に進んでいる。その実感を得るために有効なのが、「目標を小さく、細かく刻む」ことだ

小さな目標が「燃え」を生む

たとえば、「〇〇大学に合格する」という大きな目標を掲げると、日々の努力が成果として実感しにくく、モチベーションも維持しづらい。

しかし、「毎日〇〇をXページ進める」といった小さく細かな目標であれば、日々の積み重ねがそのまま前進の証となる

このようにして“小さな成功”を可視化することで、少しずつ「できている自分」への信頼が生まれていく。その積み重ねが、やがて燃える感情へと火をつけていくのである。


燃えられる何かを見つけられれば、人は確かに充実感に満たされる。しかし、燃えられないからといって、人生が停滞しているわけではない。

燃えられないなりに、何かを続けているという事実がすでに尊い。その継続の中で、心のどこかに静かに灯る小さな火が、いつか大きく燃え上がる瞬間が必ず訪れる。

このことを頭の片隅に置いておくだけで、焦りや自己否定から少し自由になれるはずだ。

燃えられなくても、生きていける

「燃えるように生きたい」「情熱を持ちたい」——そう願うこと自体は悪いことではない。だが、人生のすべての時間を情熱で満たすことは誰にもできない。

人は、熱くなれない日常を生きる時間のほうがずっと長い。その中で大切なのは、「燃えられない自分」を排除するのではなく、そのまま受け入れて生きる姿勢である。

情熱の有無にかかわらず、淡々と続けていくうちに、思いがけず心が再び動く瞬間が訪れる。それは、誰かの言葉に共感したときかもしれないし、積み重ねた努力が実を結んだ瞬間かもしれない。

「燃えられない自分」を責めずに、ただ今を生きていく。それは一見地味に見えるかもしれないが、実はもっとも確かな前進である。

燃えることよりも、生き続けること。

それが、私たちが無理なく幸せに生きるための、もっとも現実的な「道標」なのだ。

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