はじめに — 読む前に押さえておきたいこと
あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?
- 死への恐怖や不安を感じる
- 人間関係やSNSで疲れてしまう
- 心の落ち着きや生きる意味が見えづらい
これらは現代に限らず、多くの人が経験してきた悩みである。そんな心のざわつきに対し、何か拠り所や指針を求める人にこそ、この本は届いてほしい。
このブログで紹介する本の特徴
- 日常生活で直面する死の恐怖やSNSとの付き合い方、心配事の取捨選択などに寄り添った内容
- 難解な言葉を避け、現代の私たちに実践しやすい考え方を示している
なぜ今、この考え方が求められているのか?
現代は情報過多でストレスや孤独感が増す一方、物質的には満たされている。しかし心の平穏や生きる意味は見えにくい。こうした状況は、人が外部のコントロールできない事柄に振り回されやすく、自分の態度や反応を整えることが難しいからだ。そこで、本書の考え方は、心を守り、自分らしく穏やかに生きるための道標となる。
私の気づき
悩みや心配事との距離感を調整することが、心を軽くする鍵である。必要以上に自分を追い込まず、一歩引いて眺めることで気持ちが楽になる。日常生活の中で取り入れやすい実践的な考え方がこの1冊に詰め込まれている。
生きづらさは、心の受け取り方次第?
今の世の中、ただ普通に生きているだけでも、かなりしんどいのではないか。
特別なトラブルを抱えていなくても、そう感じる人は少なくないはずだ。
たとえば、職場に苦手な人がいるわけでもない。プライベートが犠牲になるほど多忙というわけでもない。人間関係で悩んでいるわけでもない。それでも、なんとなく疲れてしまう。自分はむしろ「恵まれている側」だとわかっていても、気づけば心がすり減っている感覚がある。
もしそうであるなら、今よりもっと厳しい状況にある人たちは、なおさら生きづらさを感じているのではないだろうか。
もちろん、世の中そのものがしんどいという側面は否定できない。ただ、「しんどさ」は起きている事実だけではなく、それをどう捉えるかという“見方”にも大きく左右される。「何が起きたか」だけでなく、「それをどう受け止めるか」によって、心の穏やかさは変わってくるのだ。
今回は、そんな「心の穏やかさ」を取り戻すためのヒントをくれる一冊を紹介したい。哲学、それも「ストア派」と呼ばれる古代の思想から、現代を生き抜くための考え方を学ぶ内容である。
【心穏やかに生きる哲学 ストア派に学ぶストレスフルな時代を生きる考え方】(ブリジッド・ディレイニー 著/鶴見紀子 訳)
ブリジッド・ディレイニー
オーストラリア出身のジャーナリスト兼作家。『ガーディアン』紙など国際的なメディアで長年にわたり執筆活動を行い、社会問題、文化、ウェルネス、哲学など多岐にわたるテーマを扱ってきた。
体験に根ざした語り口と、批評的な視点を融合させた文体に定評があり、個人の生活と社会全体を結びつける視点で独自の考察を展開している。著書の内容は、しばしば時代の空気を的確にとらえていると高く評価されている。
現在もオーストラリアを拠点に、執筆や講演を通じて精力的に活動している。
死もSNSも、ぜんぶ“ちょうどよく”受け流す
「死ぬのが怖い」
「人付き合いに疲れてしまう」
「自分が何者かがわからない」
「生きがいが見つからない」
こうした悩みを抱えるのは、「自分は不幸だ」と感じている人に限らない。目に見える不幸がない人であっても、ふとした瞬間に心のどこかで似たような思いを抱くことはある。
実はこれらの悩みは、現代人特有のものではない。人間にとって普遍的な悩みであり、昔の人々もまた、同じことで悩み、考えてきた。だからこそ、古代から続く哲学の中に、今を生きるヒントがある。
本書は、ストア派哲学の考え方をもとに、こうした悩みをどう捉え、どう向き合っていくかを教えてくれる一冊である。
哲学と聞くと難しく感じるかもしれないが、実際にはとても実用的だ。一見とっつきづらい思考法が、私たちの悩みに対して、驚くほど実践的な視点を与えてくれる。
印象的だった4つの考え方を紹介したい。
死を意識して生きる
人は誰しも、死を避けることはできない。そのことはわかっているはずなのに、心のどこかでは「自分はまだ大丈夫」と思い込んでしまっている。
死は、自分で経験することも、誰かに代わって体験してもらうこともできない。どれだけ科学が進歩しても、死の不安を完全に取り除くことはできない。だから多くの人が、言葉にせずとも「死が怖い」と感じている。
ここで問われているのは「どうすれば死を避けられるか」ではない。「どうすれば死への恐怖を和らげられるか」だ。
ストア派の哲学は、「死は避けられない」という前提を受け入れたうえで、「それでも心穏やかに生きる」ことを目指す。たとえば、「どれだけ用心しても悪いことは起きるし、死ぬときは死ぬ」というこの世の不確かさを意識する。これにより、最悪の事態が起きても、それを必要以上に否定的に捉えずにすむ。
とはいえ、「明日死ぬかもしれない」と毎日意識する必要はない。著者は、「死を一瞬だけ思い出して、また手放す」くらいの軽さで捉えるのがよいと説く。つまり、たまに「時間は有限だ」と思い出すことで、今この瞬間を丁寧に生きようという気持ちになる。それで十分なのだ。
SNSとどう付き合うか
いまや、SNSでのやりとりは、学校や職場と並ぶ「もう一つの現実」になっている。
SNSには人の感情を動かす力がある。便利な側面もある一方で、ストレスの原因にもなりうる。著者は、SNSのエネルギーの多くが「自分は正しく、相手は間違っている」という断定から生まれていると指摘する。一時期の論破ブームもその一例だ。
たとえば、自分の好きなものを投稿しただけなのに、否定的な意見をぶつけられることがある。そんなとき、心をすり減らしてしまう人も多い。
ストア派的な考え方は、これを和らげてくれる。相手の意見がもっともだと感じたなら、それは屈辱ではなく、「自分の誤りを正すきっかけをもらえた」と捉えればいい。
一方、好みや価値観のように絶対的な正解がない議論もある。そんなときは、相手に関心を向ける必要すらない。自分の意見が間違っていないと思うなら、それでよいのだ。
SNSで疲れないためには、「間違っていれば直す。そうでなければ気にしない」。この一見ぶれたように見える態度こそが、心を守る方法だといえる。
何ごともほどほどにする
ストア派哲学には、「勇気」「賢明さ」「正義」「節度」という4つの美徳がある。このうち最も難しいのが「節度」だという。なぜなら、継続して実践し続ける必要があるからだ。
「節度」と聞くと抽象的に聞こえるかもしれないが、たとえば食事や飲酒がわかりやすい例だ。適度に摂れば心身に良いが、過剰になれば健康を害する。誰もが体験的に知っていることだろう。
これは食や酒に限らない。過度な依存や盲信は、私たちの判断力を奪い、自分を見失わせる。節度とは、「それが絶対に正しい」と思い込まず、客観的な視点を失わないことでもある。
節度を保ち、自制心を維持し、規律を守りつつ、必要があれば時には羽目を外す。このようなスタンスで物事を捉えると、何かに自分をコントロールされることはなくなるはずだ。
本当に大切なものを見極める
生きていれば、大小さまざまな心配ごとが尽きない。
しかし、ストア派の考え方では、私たちがコントロールできることと、そうでないことを明確に分けることが大切だとされている。
- 私たちの品性
- 私たちの反応
- 他者への対応のしかた
これらは「自分でコントロールできること」である。逆に、それ以外のことについては「悩むべきではない」と断言されている。
「悩まなくてもいい」ではなく、「悩んではならない」。なぜそこまで強く言うのか。
それは、コントロールできないことに頭を悩ませることで、私たちの大切なリソース—時間とエネルギー—が消耗してしまうからだ。
死を過剰に恐れたり、SNSで誰かを論破しようと必死になることも、結果的にはその貴重なリソースを浪費してしまう。であれば、自分がコントロールできることにこそ力を注ぐべきである。
どれだけ便利な世の中になっても、心配は尽きない。だが、「自分ができること」だけに焦点を当てると、意外なほど心は軽くなる。何に時間とエネルギーを使うか。それを見極めることが、穏やかに生きる第一歩となる。
心を守る“ちょうどよい距離”という知恵
これまで、死、SNS、人間関係、依存、心配事などを通じて、心穏やかに生きるためのヒントを見てきた。いずれのテーマにも通底していたのは、「距離の取り方」にまつわる知恵である。
死を過剰に恐れるのではなく、時おり思い出すくらいにしておく。
SNSで全ての意見に反応しないし、無理に同調もしない。
快楽や消費を完全に断つわけではなく、ほどよく楽しむ。
悩みごとには、手に負える範囲かどうかの線引きをする。
これらに共通するのは、極端に陥らず、「近すぎず、遠すぎず」という絶妙な間合いを保つという姿勢だ。言い換えれば、心に“余白”を持つということだ。
現代社会では、白黒つけること、即断即決、最大化・効率化が求められやすい。しかし、その緊張感は心を疲弊させる。「全部知ろうとしない」「すぐに結論を出そうとしない」「関わりすぎない」という態度は、一見すると曖昧で投げやりに思えるかもしれないが、むしろそれは、心をすり減らさないための戦略的な選択である。
あえて「なあなあ」にする。あえて「まあいっか」で済ませる。
この柔らかさは、いい加減ではなく“良い加減”であり、自分の内側をすり減らさずに生きるためのバランス感覚といえる。
そしてこの距離感の感覚は、単なる処世術にとどまらず、あなたがこれから「何を大切にして生きるか」を選び取るための土台にもなる。距離を取ることで、はじめて自分の輪郭が見える。輪郭が見えてはじめて、本当に大切にしたいものがわかってくる。
“心穏やかに生きる”ということの核心は、決して遠くにあるものではなく、すでに自分の内側にあるものなのかもしれない。
強さより、穏やかさを味方につける
「もっと強くならなきゃ」
「前向きに考えなきゃ」
「ちゃんとやらなきゃ」
そんな言葉に、知らず知らずのうちに自分を縛ってはいないだろうか。
もちろん、強さや前向きさが不要だというわけではない。しかし、それらが「心の穏やかさ」と相反するものになってしまっているとしたら、少し立ち止まってみてもいいのかもしれない。
ここまで見てきたように、ストア派哲学の教えは決して“厳しさ”を強いるものではなかった。死に向き合うことも、SNSにどう反応するかも、依存や不安とどう付き合うかも、根底にあるのは「自分が本当にコントロールできるものに目を向けよう」という、どこまでも現実的で、優しい視点だった。
外の世界をどうこうしようとするのではなく、自分の反応・姿勢・判断に意識を向ける。
不安や怒りをなくそうとするのではなく、それらが生まれる構造を見つめてみる。
すべてを白黒つけるのではなく、グレーなまま置いておく余白を許してみる。
こうした姿勢の積み重ねが、やがて「心がざわつかない状態=心の穏やかさ」につながっていく。
本書は何も「ストア派になれ」と勧めているわけではない。一つでも、自分に合いそうな考え方があれば、それだけでいい。現代において「心を整える」ということは、ひとつの方法論を丸ごと取り入れることではなく、「どれを手元に残すかを自分で選ぶこと」そのものなのかもしれない。
何かを“始める”ことで、心が整う人もいる。
何かを“手放す”ことで、心が整う人もいる。
自分にとっての心の整え方は、自分にしか見つけられない。だからこそ、本書を読み終えたあと、自分自身の感覚に耳を澄ませてほしい。心が少しでも静かになったと感じる瞬間があれば、それこそがあなたにとっての哲学なのである。
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