はじめに — 読む前に押さえておきたいこと
あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?
・自分の意見や考えを変えることに抵抗を感じてしまう
・間違いや誤りを認めることが弱さや失敗だと思い込んでいる
・訂正したいと思っても、周囲の目や反応が気になり、なかなか行動に移せない
現代は情報が絶え間なく更新され、社会や価値観も刻々と変化する。そんな中で、かつての自分の考えや判断を見直すことは避けて通れない。にもかかわらず、「訂正すること=悪」と捉えられる風潮が根強く、自らの考えを変えることに苦しさや罪悪感を抱く人も多いだろう。
本書が示すこと(著者の主張)
・訂正は単なる間違いの修正ではなく、社会や個人の成長と可能性を切り開く重要な営みである
・信念の核は保ちつつも、変わるべき点を柔軟に受け入れるバランスが大切
著者は、訂正を単なる失敗や混乱の象徴と見るのではなく、思考と社会の発展を促す力として再評価し、より良い未来を切り開くための鍵であると論じている。
本書を読んで感じたこと(私見)
訂正に対して抱くネガティブなイメージの背景や社会的な心理を深く理解できた。訂正はむしろ前向きな変化の一部であり、それを許容し支える空気づくりの重要性に改めて気づかされた。一方、信念と柔軟性のバランスをとる難しさを感じつつも、それが現代の複雑な社会を生き抜くための知恵であることを納得した。
本書は、個人の思考や社会のあり方を問い直し、変化にどう向き合うかのヒントを示す、思考のアップデートを促す一冊だと感じている。
意見を変えるのは弱さか
自分の意見や考えを変えること。
これは一見するとネガティブに捉えられがちだ。その場の空気に流されやすく、自分の意見を持っていないという印象を与えやすいからである。
たとえば、朝は「今日は晴れるから傘はいらない」と考えていても、昼に天気予報が変わり雨が降ると知れば「やはり傘を持って行こう」と考えを変える。
会議で自分の案を推していたとしても、他の人のデータや新しいアイデアを聞き「そちらのほうが良い」と思えば考えを改める。
これらは「自分の意見や考えを変える」ことのポジティブな例だ。揺るがない信念を持ち、自分の発言に責任を持つことは大切である一方で、外部の情報を柔軟に取り入れ、自分の考えを更新していく力もまた、実生活には欠かせない。
今回は、そんな「訂正」に関する一冊を紹介する。
【訂正する力】(東浩紀 著)
東浩紀
1971年生まれ。思想家・作家・批評家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専門は現代思想・情報社会論・批評理論。ポストモダン思想を日本に紹介しつつ、論壇誌『ゲンロン』の創刊など幅広い言論活動を展開。ネット社会と現代社会の関係性、震災後の公共性、思想と社会をつなぐ議論を多角的に発信している。代表作に『存在論的、郵便的: ジャック・デリダについて』、『弱いつながり 検索ワードを探す旅』など多数。
歴史が教える訂正の意味
天気予報や会議の例からも分かる通り、より新しい情報や妥当性のある意見に基づき、自分の意見を訂正することは決して悪いことではない。むしろ、優れた態度であるといえる。
そしてこの「訂正」は、文系の分野においても大きな意味を持ってきた。人々は訂正を繰り返すことで、未来の可能性を切り開いてきたのである。
例えば、天動説から地動説への移り変わりを思い浮かべてほしい。
理系の分野では、「昔は地球が宇宙の中心に存在し、そのまわりをすべての天体が回っている」という知識自体には、もはや実用的な価値はない。現代で必要とされるのは、「太陽を中心に地球が公転している」という正しい理論だ。
しかし文系の領域では、過去の誤った理論を単に無意味化はしない。「地球が宇宙の中心であることの否定」は、「神が人間を特別な存在として創造した」という物語への挑戦でもあり、キリスト教の権威を揺るがせた出来事でもあった。この発見は近代的な合理主義や近代哲学の芽生えにもつながっており、天動説の訂正には大きな歴史的意義があるとされる。
哲学を学ぶ意味が伝わりにくいのも、ここに理由があるのではないかと感じる。ビジネスで役立つ最新の正しい論理を求めるスタンスは、どちらかといえば理系的であり、訂正そのものや訂正の過程に意味を見出しにくい。
だが、時に「正しさ」だけでは見落とされるものを拾い上げ、問い直す余地を残す。この柔らかい態度こそが、私たちが訂正の力を学ぶ価値につながっている。
訂正を肯定する空気を育む
訂正は、他者が関わる場面でこそ大きな意味を持つ。自分の考えを外部からの情報で更新すること自体に価値はあるが、「雨に濡れない」ことよりも、「会議で議論が前進し、より良いアイデアが生まれる」ことの方が、影響ははるかに大きい。
つまり、「訂正=悪」という価値観が共有されたコミュニティでは、その効果は十分に発揮されない。外的要因や新しい情報、他者の意見を尊重し、それを柔軟に取り入れることを前向きに捉える空気が必要である。方向転換はあっても、行動の軸や目的がぶれていなければ、一貫性は失われない。
例えば、あるカフェが「環境負荷を減らす」という目的でプラスチック製ストローを廃止し、紙ストローに切り替えた。しかし、紙ストローがすぐふやけて飲みにくいとクレームが相次ぎ、持ち帰りでフタを二重に使う客が増え、結果的にゴミが増えた。
そこでカフェは、生分解性プラスチックに切り替え、従来のプラスチックよりも環境負荷を抑える対応を取った。「プラスチックをやめたのに戻した」とだけ見れば一貫していないように思えるが、「環境負荷を減らす」という軸に立てば、これはむしろ正しい訂正である。スタッフが訂正を否定しない文化を持っていたからこそ実現できた例といえる。
訂正をネガティブに捉えず、前向きな改善として受け止められる空気があるかどうかで、その場の議論や行動の質は大きく変わる。一人ひとりが「訂正しても良い」と思える環境こそが、より良い結果を生む土台となるのだ。
信念を緩めるという強さ
一方で、周囲の環境は「訂正=悪」とは捉えていないのに、必要以上に自分自身が過去の意見に固執してしまう場面も少なくない。「言ってしまった手前、あまり良い意見ではないと分かっても、今さら撤回できない」がその典型だ。
しかし、「そのときの正しさが、今の状況でも正しいとは限らない」という視野を頭の片隅に置いておくことは大切だ。最初から自分の主張が的外れである場合もあれば、状況の変化によって相対的に正しさを失うことも十分に起こり得る。
だからこそ、臨機応変に訂正をする柔軟さが必要だ。自分の信念を貫くことはときに大切だが、それがかえって状況を悪化させることもある。白か黒かで決めつけず、柔軟に構えるスタンスが、逆説的に世の中をサバイブする力になる。
自分の考えを変える勇気を持つこと。それは、変わり続ける世の中を生き抜くための小さな武器である。
訂正を力に変えるために
自分の意見や考えを変えることは、決して弱さの証ではない。むしろ、状況や情報の変化に応じて柔軟に対応し、考えを更新することは成熟した思考の表れである。
歴史の中で訂正は、新たな可能性を切り開き、社会や思想の進化を促してきた。過去の誤りをただ否定するのではなく、その過程を大切にする姿勢が深い理解と成長につながる。
また、訂正を前向きに受け入れる文化がなければ、個人の訂正の力は十分に発揮されない。周囲と自分の心の両方で「訂正=悪ではない」という認識を共有することが必要である。
自分の考えに固執しすぎず、柔軟に信念を緩める勇気も、変化の激しい現代社会を生き抜く上で欠かせない。「訂正は成長の一部」と捉え、失敗や間違いを恐れず、より良くなるための行動として積極的に活用することが重要だ。信念の核は保ちつつも、変わるべき点は柔軟に変えるバランス感覚を持つことが、訂正を力に変える鍵となる。
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