はじめに — 読む前に押さえておきたいこと
あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?
- 頑張っても自分の能力を発揮できず、思うように成果が出ない
- 会議やチームの場で、意見が通らず行動が制約されていると感じる
- 「自分には価値がない」「人に逆らってはいけない」と無意識に感じることがある
- ネガティブな感情を抑えようとしても、心の奥では自分を責めてしまう
このような悩みは、個人の問題だけでは説明できないこともある。過去の経験や心のパターンが、現在の行動や感覚に影響している場合があるのだ。
本書が示すこと(著者の主張)
今回紹介する1冊は、私たちの思考や行動を支配する無意識の仕組みに光を当て、過去の経験から生まれるネガティブな信念(防衛本能や内なる子ども)に振り回されず、自分らしく生きるための方法を示している。
- 人は幼少期の経験や欲求の充足状況に基づき、行動パターンや信念を形成する
- ネガティブな信念は、本人の価値や可能性を正しく認識できなくする
- こうした信念や行動パターンは消そうと努力しても消せないことが多い
- 重要なのは、信念や感情を否定せずに受け入れ、状況を多角的に認識して対処すること
つまり、本書は「過去の自分を理解し、現在の行動に生かす視点」と「自分を受け入れつつ、現実に適応する具体的な方法」を提供している。
本書を読んで感じたこと(私見)
過去の経験や内なる信念は「克服すべき敵」ではなく、現在の自分を理解するための地図のようなものである、という点だ。過去の影響を理解し、受け入れることで、自分を縛るネガティブな信条から少しずつ自由になれる。
私自身も、「自分を責めず、状況を多角的に捉える」という考え方を意識するだけで、心が軽くなることを実感した。小さな気づきや行動の変化が、日々の生きやすさや判断の自由につながるのではないかと思う。
過去の自分の経験が、今の自分を教えてくれる
たとえば、真っ白な粘土はどんな形にも成形できるが、一度しっかりと焼き固められた陶器を別の形に作り直すには、大きな手間と工夫が必要になる。
あるいは、まっさらな紙なら自由に文字を書けるが、一度濃いインクで書き込んでしまった文字は、消したり書き換えたりすることが容易ではない。
子どもの頃に形成された価値観も同じだ。外界との接触機会や関わる人の幅が限られている時期には、価値観は素早く形成される。一方、その価値観のまま何年も生活を重ねた後に変えようとするのは、決して簡単ではない。
「他人を信頼できない」「自分には価値がない」「人に逆らってはいけない」「私はあなたの期待に応えなければならない」──このようなネガティブな信念は、真実であるかどうかにかかわらず、本人を苦しめ続けることが少なくない。
では、こうした信念を払拭し、本当の自分を取り戻すには何が必要か。その心理学的テーマを扱った1冊を紹介したい。
【組織と働き方の本質 迫る社会的要請に振り回されない視座】】(シュテファニー・シュタール 著/繁田香織 訳)
シュテファニー・シュタール
ドイツを代表する心理療法士の一人。長年にわたり臨床現場でカウンセリングやセミナーを行い、人々の心の課題に寄り添ってきた。専門は自己肯定感や人間関係に関する心理学で、学術的な知見をわかりやすく伝えるスタイルに定評がある。著作はベストセラーとなり、ドイツ国内にとどまらず世界各国で翻訳され、多くの読者に支持されている。
子ども時代の体験が心に刻む、消せない信念
株価が上がって100円の利益が出たときの喜びより、株価が下がって100円の損失を被ったときの落ち込みのほうが大きい──投資経験のある人なら、多くが実感したことのある心の動きだろう。
これは「人はネガティブな出来事やイメージの方を強く感じやすい」という心理傾向を示している。同じ大きさの出来事でも、損失や失敗といったマイナス体験のほうが記憶に残りやすく、感情を大きく揺さぶるのだ。
投資の例だけでなく、子どもの頃の経験を振り返ってみても同じことが言える。両親から十分に愛され、普通の生活を送ってきたとしても、思い出すのは「叱られた経験」「恥ずかしい思いをした経験」のほうが多くはないだろうか。褒められた経験や成功した経験は、記憶の奥に沈みやすく、意識的に思い出さない限り感情に影響を与えにくい。
これは個人の特性ではなく、人間としての特徴だ。危険を察知しなければ生存できない状況が長く続いた進化の過程で、ネガティブな体験は強く印象付けられる必要があった。現代の生活においても、この心理的傾向は私たちの感情や行動に影響を与えている。
さらに、人間には心理的な基本的欲求がある。
- 結びつき欲求:つながりたい、属したい、関わりたいという欲求
- 自由欲求:自分の周りを自分で探り、何かを発見したいという欲求
- 快感欲求:食事やスポーツ、映画などで感じる満足感を求める欲求
- 承認欲求:自分のことを認めてほしいと望む欲求
著者によれば、これらの欲求が十分に満たされない経験を持つと、自分の中でネガティブな信念が育まれるという。
例えば、両親から放置や拒絶、虐待を受けた経験がある子どもは、結びつき欲求が満たされず、「放っておかれている」と感じやすい。その結果、「自分は一人で何とかしなければならない」という思い込みが生じ、他人との密接な関わりを避けるようになる場合がある。逆に、過度に他人との接触を求めるようになり、身近な人に依存する行動が増えることもある。
もちろん、すべての欲求を100%満たすことは不可能だ。親の監視を完全に避けることもできないし、無限におもちゃやおやつを与えることが良いわけでもない。
大切なのは、適度に欲求を満たされる経験を持つことだ。適切に欲求が満たされることで、本人はそれぞれの欲求との付き合い方を学んでいく。幼少期に欲求が極端に満たされなかったり、過度に失敗や叱責を経験した場合、その後の人生にネガティブな信念が刻まれてしまうのだ。りする経験を積んでしまうことは、その後の人生にネガティブな信念を落としてしまうのだ。
「できない自分」はどこから来るのか
このような状態は確かに深刻である。しかし、自分は虐待などを受けたわけではなく、ここまで深刻ではないと考えている人もいるだろう。
だが、苦しさや生きづらさを感じている人が少なくないのも事実である。
人生を数十年生きていれば、一つや二つ、「自分はよくできた」「成功した」と感じられる経験があるはずだ。場合によっては、他者から見れば非常に大きな成果であることもある。こうした経験があれば、頭では「自分のことを誇りに思っても良いのではないか」と理解できる状態にあるといえる。
しかしそれでも、「自分には誇れるものがない」「価値がない」というネガティブな信念が心の奥に巣食っているため、本心から自分に価値があると感じられないことがある。
つまり、「頭ではわかっているのに、本心からそう感じられない」状態である。
このとき、本人の中には二つの自分が存在している。
- 大人の自分
「自分を誇っても良い」と頭では理解している自分。論理的な思考や客観視が可能な状態の自分である。 - 内なる子ども
「自分には価値がない」と感じる自分。幼少期の経験によって形成され、ネガティブな信条の根源となる存在だ。幼少期に結びつき欲求が十分に満たされなかった場合、防衛本能が働き、他者との接触を避けたり(結びつきの拒絶を防ぐ)、過度に依存したり(放置されないようにする)といった行動を取ることがある。大人になっても、この防衛本能に基づいた行動パターンは残る。
「わかっているのにできない」「本心からそう思えない」の原因は、この二人の自分の意見が一致していないことにある。
ネガティブな信条から自分を解放するためには、大人の自分が内なる子どもを慰め、導き、ポジティブな価値観を提供してあげることが必要である。
防衛本能を制する方法
防衛本能に基づいた行動(=防衛戦略)を完全に抑えること、つまりネガティブな信条の影響をゼロにすることは容易ではない。しかし、防衛戦略を和らげるための方法は存在する。同書では多くの対策が紹介されているが、ここでは特に印象深いものをいくつか取り上げる。
自分を受け入れる
人はネガティブな信条を持つこと自体を「悪いこと」と捉えがちである。しかし、それを改善しようとすれば、自分にストレスや負担をかけ、ほとんどの場合うまくいかない。
大切なのは、自分を受け入れることである。つまり、「ネガティブな信条を抱く自分(=内なる子ども)も含めて、自分自身である」と感じることだ。ネガティブな感情を悪いものと考えないだけで、心は自然とリラックスする。
もちろん、自分を受け入れるとは、全ての自分を良いと思うことではない。ポジティブな感情とネガティブな感情を併せ持つ自分を受け入れることが重要である。ネガティブな感情が出てきても、それは停滞を意味しない。上手に付き合えれば、それで十分なのだ。
状況を3つの立場から認識する
特に対人関係で問題が生じている場合に有効な対策である。
例えば、あなたがすでに多くの仕事を抱えているときに、上司からさらに新しい仕事を任されたとする。このとき多くの人は、「こんなに忙しいのに、なぜ次から次へと仕事を押しつけるのか」と苛立ちを覚えるだろう。
ここで重要なのは、同じ状況を3つの立場から捉えることである。
- 自分の立場
自分は「自分の時間や負担を無視されている」と感じ、強いモヤモヤや不満を抱く。 - 相手の立場
上司は「信頼できる人に任せるのが合理的」と考えているかもしれない。無理に押しつけているつもりはなく、他の人にも仕事を公平に割り振りたいと考えている場合もある。 - 大人の自分の立場
自分を縛っているのは上司ではなく、「断ってはいけない」という自分自身の信条かもしれない、と気づく。相談や調整の余地はあり、実際には自分が勝手に被害者意識を抱いていた場合も多い。
自分の立場だけで考える人は不満を感じやすく、相手の立場だけで考える人は「逆らってはいけない」といった信条に縛られやすい。状況を多角的に捉えることは、自分の感情や思い込みの源を整理し、防衛戦略を和らげるうえで非常に有効である。
こうして振り返ってみると、過去の自分の経験は単なる記憶ではなく、現在の自分の感覚や行動に影響を与える地図のようなものであることがわかる。だからこそ、自分の過去と向き合い、それを理解することは、今感じている生きづらさや悩みの原因を知る手がかりになる。過去の経験を丁寧に辿ることで、初めて自分に合った方法で生きやすさを取り戻す一歩を踏み出せるのである。
過去と向き合い、自分らしく生きるために
私たちの現在の思考や行動は、子ども時代の経験や心理的欲求の充足状況に大きく影響されている。重要なのは、過去の経験を単に振り返るだけでなく、それをもとに今の自分を理解し、受け入れることだ。自分の内なる子どもに目を向け、その存在や感情を否定せず認めること。そして、目の前の状況を多角的に捉えることで、防衛本能に引きずられる自分を客観視できるようになる。
このプロセスを通じて、ネガティブな信条に縛られず、自分らしい生き方を見つけることが可能になる。過去は変えられない。しかし、その影響を理解し、現在の自分に生かすことで、心の自由度は確実に広がる。小さな一歩でも、自分を受け入れ、行動を選び直すことが、日々の生きやすさにつながる。振り返りと受け入れ、そして現実の状況を多角的に理解すること──これが、過去と向き合いながら自分らしく生きるための第一歩である。
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