「性格のかわいい人でありなさい。」
老若男女問わず、多くの日本人に愛されているであろう神木隆之介さんのお母様が作った家訓だそうだ。どのように神木家の家訓を知ったのかは忘れてしまったが、子育てをしたことがない自分がずっと覚えている家訓である。自分も含め、世間一般が抱く神木隆之介像にあまりにもフィットしているからだろうか。
子育てというものは、想像を絶するほどの労力を要する一大イベントなのだろうな、と思う。子どもが小さいときにどれだけ積極的に父親が育児に関わるかで、その後の離婚の確率が大きく変わってくる、といったことも耳にしたことがあるし、自分を律することに精一杯であると感じる自分にとっては、他人の世話をすることなど簡単にはイメージできない。自分が今まで生きてきた中で経験したことのないようなレベルの大変さであるのだろう。
大変さの要因はさまざまであるだろうが、その理由の1つに「言語での意思疎通ができない」ということが挙げられるものと推察する。子どもが親の言葉を理解せず、コミュニケーションが取れないため、部屋を散らかし、落書きをし、あやしても泣き止まず、言うことを聞いてくれないことに対する対処が難しい。そしてこれがストレスとなり、必要以上に精神的ストレスを感じてしまったり、子どもに八つ当たりをしてしまったりする循環が起こってしまうのではないだろうか。
もしも子どもが考えていることがわかったら、今よりもちょっとだけストレスが軽減され、今よりもちょっとだけ優しく子どもに接することができるのでは。
【子どもとの関係が変わる 自分の親に読んでほしかった本】(フィリッパ・ペリー・著/高山真由美・訳)
そんな疑問を解消してくれるのが同書である。
350ページほどに渡り、子育てに関する考え方が記載されている書籍であるのだが、敢えて一言で表すのであれば、次のようになる。
– 子どもが親に求めていることは「子ども視点で子どもを観察し、感情を押さえつけないこと」である –
あなたは、自分の感じたことが他人に自然に受け入れられると、気分が良いと感じるのではないだろうか。否定されないことは誰にとっても気分が良いものであるが、これは言葉の発する前の小さな子どもにとっても同じである。ネガティブな感情に対して「シー」と宥めたり、「勇気を出して」と無理強いしたりと、押さえ込もうとするのはマイナスである。また、必要以上に過剰に反応し、ヒステリックになって一緒に泣いてしまうことなども好ましくないという。たとえネガティブであっても、子どもの感情をあるがままに受け入れ(=具体的には、子どもの中にある感情を理解し、なぜその感情が湧き起こっているのかを理解し、時には子どもの代わりにそれを言葉にすること)、楽観的な状態を保つこと。これをくりかえすことで、徐々に子どもはネガティブな感情を自分自身で宥める方法を習得していく。一方、ネガティブな感情を感じることを否定されたり、放置されたり、一人で対処することを強いられたりすると、不快感や苦痛に耐える能力がどんどん低下していく。「感情を受け入れてあげること=子どもを甘やかすこと」といった考え方になってしまうのはありがちが、充分に関心を向けられ、感情を受け止められて育った子どもの方が、やがてその満足感を内的に定着させ、必要以上に人間関係に気を取られすぎず、自信を持つために大袈裟なパフォーマンスをしなければならないと感じることも少なくなるのだということは覚えておきたい。
また、ポジティブな意味での自信をつけてもらうためには、親離れのペースに対する考え方を知っておくべきだと同書には記載されている。
端的にいうと、周りの子どもより親離れが遅いからといって、無理強いや放置をすることは自信の低下につながるのだという。親離れをする際に大切なことは、子ども自身が「いつでも親から自立できるという安心感や心地良さ」であり、罰則ではなく励ましと適度な手助けがより効果的ということだ。日々の忙しさの中つい忘れがちになりそうなことなのだろうと推測するが、子どもが心地よいと感じるペースを否定せず、励ましやサポートによって自律的に成長していく過程を描くことで、親子共々健やかであり続けられることは忘れないようにしたい。
感情を否定されることがなく、安心感を持って育ったからこそ、朗らかでかわいく生きられるのだろうか。100%あたっている保証はないものの、彼が皆に愛されるかわいい性格の持ち主である理由としては、概ね間違っていないのではないだろうか。
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