「ここだけはおさえて」ポイント
どんな人にオススメの1冊?
- コミュニケーションの深さに興味がある人
- アニメやマンガをより楽しみたい人
- 身近な観点から哲学的を学び、その視点を日常に取り入れたい人
ポイント①:会話において「話し手が正解を知っている」とは限らない
会話の一般的なイメージでは、話し手が正解を持ち、それを聞き手に伝えるものと考えがちだが、実際の会話においては、話し手も聞き手も互いに「意図」を共有しながら進めていくものであり、どちらか一方が必ずしも正解を知っているとは限らない。この点を理解すると、日常のコミュニケーションにおける新たな視点が得られる。
ポイント②:伝わらないことを言葉にするのにも、理由がある
「伝わらなければ意味がない」と考えがちだが、実際には伝わらないことをわざと選んで言葉にすることにも意味がある。コミュニケーションの失敗は必ずしも無駄ではなく、むしろその失敗自体に人間性や会話の面白さを感じることができる。
ポイント③:会話には「約束事」の形成と同時に、影響を与えようとする意図が隠れている
会話を通じて、私たちは相手に対して「約束事」を形成するだけでなく、しばしば無意識に相手の思考や行動に影響を与えようとする。発言には時としてその裏に隠された意図や影響力があることを意識し、会話を深く理解することが重要である。会話における「影響を与える力」を意識することで、人間らしさが浮かび上がってくる。
オススメ度:★★★★★
会話の奥深さや人間関係の微妙なニュアンスを描き出し、単なる「伝えるための手段」としての会話を超えて、対話の本質に迫る視点を提供してくれる1冊。フィクションを通じて、私たちが普段意識しない「言葉の背後に隠された意図」や「伝わらないことを伝えようとする心情」に気づかされ、会話を面白さをより深く、豊かに感じることができるはずだ。会話に興味がある人、フィクションを通じて人間の本質に触れたい人には、ぜひ手に取ってもらいたい1冊。
会話をただの「情報伝達」だと思っていませんか?
話し手と聞き手の擦り合わせで「意図の正解」が作られる
「会話とはどういった行いか?」と問われると、多くの人は、「情報伝達」や「意思疎通」と答えるのではないだろうか。具体的に言うなら、「聞き手が知らないことを話し手が伝えること」である。この解釈は一つの正解ではあるが、完全ではない。
まずは、以下のシーンを想像してほしい。
あなたは仕事上のパートナーと共に生活しているとする。
そのパートナーから、「この家にはもう用はない」と言われたとき、あなたは「自分にはもう用はない」と解釈するだろう。しかし、パートナーは「家には用がないけれど、あなたとは今後も関わるつもり」という意図で発言していたのだ。
だが、ここで会話が終わるわけではない。あなたが「え? じゃあ俺のことも必要ないってこと?」と聞き返すと、パートナーは「いや、そうじゃなくて、家はもう関係ないけれど、お前とはまだ一緒にいるつもりだよ」と補足できる。このやり取りを通じて、初めて言葉の意図が明確になる。
最初の発言「この家にはもう用はない」の段階では、あなたとパートナーは「発言」を共有しているだけだが、意図、つまり「正解」を共有していない。しかし、会話を通じて意図が擦り合わせられ、初めて理解されることとなる。
もう1つ例を挙げよう。
あなたは女子中学生で、親しい友達と「初めて彼氏ができたら、一番に報告し合おうね」と約束している。
ある日、その友達が「彼女ができた」と話しているのを耳にし、あなたは「約束と違うじゃん」と感じてしまう。なぜなら、あなたは「初めて彼氏ができたら、一番に報告し合おうね」という約束を「付き合う相手が彼氏でも彼女でも、どちらにせよ報告するべき」と解釈していたからだ。
一方、その友達は「彼氏ができたら報告するけれど、彼女なら報告する必要はない」と考えていたのである。ここで、初めてお互いの「約束の解釈」が異なっていたことが明らかになる。
この例でも、話し手(と聞き手)が交わした約束「初めて彼氏ができたら、一番に報告する」という言葉に対する絶対的な正解は存在しなかった。しかし、友達が彼女を作ったことで、意図の相違に気づくことができた。会話を通じて、お互いの意図の「正解」が初めて共有されるのだ。
これらの例から分かるのは、会話は「話し手が正解を持ち、それを聞き手に伝える」という一般的なイメージとは異なり、意図を擦り合わせる行為であるということだ。
ちなみに上記の例は、いずれもフィクション作品のシーンである。前者が『魔神探偵脳噛ネウロ(松井優征)』、後者が『違国日記(ヤマシタモモコ)』を参考にした文章だ。
そして、このようにフィクション作品を「会話」の観点で紐解き、その奥深さを考察しているのが、今回ご紹介する1冊である。
【会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション】(三木那由他・著)
三木那由他
日本の哲学者であり、言語やコミュニケーションを専門としている。京都大学で博士(文学)を取得し、現在は大阪大学大学院人文学研究科の講師を務めている。
著書には、『話し手の意味の心理性と公共性』(2019年)、『グライス 理性の哲学』(2022年)、『言葉の展望台』(2022年)などがある。また、『群像』で「可愛い哲学」を、ウェブメディアRe: Ronで「ことばをほどく」を連載中。
自身の経験を踏まえたコミュニケーションや言語哲学の研究を行っており、学術界や一般読者から高い評価を受けている。
「伝わらなければ意味がない」は本当か?
次に『背すじをピン!と(横田卓馬)』というマンガのシーンを参考にし、会話の面白さを考えてみよう。(原文ママではなく、本ブログ筆者の意図に応じ一部を変更)
彼は競技ダンス部の部員であり、パートナーは日本語が通じないロシア人の女の子だ。
彼は中学時代は力を発揮し、多くの賞を受賞していたものの、高校に入学したのちにスランプに陥っていた。中学時代に仲の良かった友人にいつの間にか追い越され、焦りを感じている。
そんな心情を察して、パートナーから「思っていることを吐き出してみたら?聞かれるのがイヤなら日本語でもいいわ」と言われる。少し躊躇いつつ、彼は吐き出す。
「背が高いし、手足が長いし、ダンサー体型で、羨ましい。中学の頃は全然自分の方がレベルが高かったのに、いつの間にか嫉妬までしちゃってる。本当は自分が一番だと思ってたのに…。」
「終わった?」
「ありがとう。日本語だからわからなかったでしょ?でも声に出したら、スッキリした。」
このシーンも、『魔神探偵脳噛ネウロ』や『違国日記』と同様、一般的なコミュニケーションの「聞き手が知らないことを伝える」という枠組みには収まらない。相手が日本語を理解できなければ、言葉にすることは無意味に思える。しかし、彼の心情に対しては、「わかる」と共感できるのではないだろうか。
本書によると、コミュニケーションとは「約束事を形成すること」である。今まで紹介した例の場合、話し手が形成しようとしている約束事は次の通りだ。
- 「この家にはもう興味がなく、今後は関わらない」という約束事
- 「付き合う相手が彼氏でも彼女でも、どちらにせよ報告するべき」という約束事
- 「友達に追い越されたことを自分自身が悔しがっている」という約束事
ということになる。
もし『背すじをピン!と』の彼が、自分の嫉妬心を言葉にせず、自分の中に留めていたらどうだろう。それはつまり、「自分の中で対話を行い、友達に追い越されたことを自分自身が悔しがっているという約束事を形成する(=事実と認める)」ということになる。
一方、相手が日本語を理解できない場合、たとえ嫉妬心を言葉にしても「友達に追い越されたことを自分自身が悔しがっている」という約束事は形成されない。コミュニケーションが失敗に終わるとわかっているからこそ、人は言葉にすることもあるのだ。
ビジネスコミュニケーションにおいては「伝わることが大切」である。しかしながら、会話を手段としてではなく、面白さを見出すべき対象として考えると、尊さすら感じてしまうのではないだろうか。
コミュニケーションの裏に潜む「マニピュレーション」
次は『パタリロ!選集(魔夜峰央)』の例を紹介する。(原文ママではなく、本ブログ筆者の意図に応じ一部を変更)
友人:妹の容態が悪くて、長くは持ちそうにないんだ。
あなた:気の毒だが、それとダイヤモンドがどう関係があるんだ?
友人:妹が雪を見たいって言っているんだ。
あなた:くどいようだけど、それがダイヤモンドとどう関係があるんだ?
友人:人口の雪を降らせたいんだ。強力なレーザー光線を作るためには、大きなダイヤモンドが必要なんだ。
あなた:なるほど。
友人:じゃあ、貸してくれるのか?
あなた:だめだ。許可することはできない。でも、私が後ろを向いている間に、誰かがそれをこっそり持って行ったとしても、それは私の関知するところではない。
ダイヤモンドの持ち主であるあなたは、ある理由によりその貸し出しを許可することはできない。実はあなた(同作品におけるパタリロ)は国王で、ダイアモンドを国葬以外で宝物庫から出せない決まりを守っているのである。
そんなあなたは友人に対し「自分が見ていないものに対しては関知しないこととする」と約束事を果たそうとしている。これがこのシーンでなされているコミュニケーションである。
そしてこの会話で特筆すべきポイントは、会話によって聞き手に影響を与えようとしていること、つまり、「あなたは明らかに友人にダイヤを持っていくことを促している」ということである。
本書においてコミュニケーションとは「約束事を形成すること」と述べたが、実は発言にはコミュニケーションだけでなく、相手になんらかの影響を与える“マニピュレーション”という要素も含まれている。
もう1つ例を挙げて考えてみる。
あなたは長年の友人、佐藤が5年前からある重要な秘密を知っていたと疑うことなく信じていた。佐藤は、あなたがある仕事の大切な契約書を失くした時に、それを見つけて保管していたと確信していたからだ。「あの時、佐藤が一緒にいたから、きっと知っていたに違いない」と思い込んでいた。
しかし、ある日、別の友人である田中がこう言った。「佐藤は5年前からそのことを知っていたの?」と。
その瞬間、あなたは初めて自分の考えに疑問を抱くことになる。「そういえば、どうして確信していたんだろう?」と自問自答するようになった。これまで全く疑ったことがなかったその事実に、初めて「実は佐藤は知らなかったのでは?」という選択肢が浮かんできたのである。これまでの自分の考えが揺らぎ、あなたは「佐藤が知っていた」「実は知らなかった」という二つの可能性に思いを巡らせるようになった。
実は、田中はあなたにわざと疑問を投げかけていた。田中は、佐藤がその秘密を知っていたことに対して疑念を抱いており、あなたがその事実を再確認することで、佐藤に対する信頼を揺るがせたかったのだ。しかし、田中の発言は表面上、ただの疑問に見える。「佐藤は5年前からそのことを知っていたの?」という質問には、あくまで「ただ気になる」というニュアンスが漂っている。
あなたはその問いかけをただの質問として受け取るが、その裏にある意図には気づいていない。田中があなたの思考をわざと変えようとしていることには気づかないのだ。
田中の発言を考えてみる。
コミュニケーションの観点では、田中は次の約束事を形成しようとしているといえる。
「佐藤が5年前から秘密を知っていた」という事実を、あなたが「知っていた」「知らなかった」のどちらであったのかを、田中自身が知りたいと感じている
つまり「自分は佐藤の認識を知らなくて、それを知りたい」という約束事を形成しようとしているのである。
一方マニピュレーションの観点からは「田中はあなたが佐藤を疑うように仕向けている」と考えられる。表面的には「ただの疑問」だが、その裏にはあなたが佐藤に対して抱いている信頼を揺るがせ、改めて「佐藤は本当にそのことを知っていたのか?」と考えさせる意図があったのである。
このようにマニピュレーションには、言質の責任を逃れることができるという特性がある。もし田中に対し「佐藤のことを貶めようとしているのでは?」と問いただしたところで、田中の発言にそのような文言は含まれていないし、そう感じるのであれば、それはあなたのせいになる。言質という側面においては、田中は純粋に自分の疑問を口にしたにすぎないのである。
これが、マニピュレーションの恐ろしい側面だ。「言った」「言わない」問題の解決が難しいのはこの点にあるのではないだろうかと、著者は考えている。
もちろん、『パタリロ!選集』の例のように、口にせず相手になんとか良い影響を与える側面もある。人間らしさに「良い面」も「悪い面」も含まれているとすれば、フィクションの中の会話を通じて、その両方を感じ取ることができるのも、この本の魅力となっている。
まとめ – フィクションを通じて、楽しく「会話を哲学」できる
「哲学書みたいな、ちょっと難しい本を読んでみたいけど、いきなり分厚い本は挫折しそう」と思う人に対し、「フィクション」「会話」という身近な接点からその1歩を踏み出させてくれる1冊となっている。紹介した一部の作品をはじめ、数多くのフィクションが登場し、会話の深さやその背後にある意図を読み解く面白さを伝えている。会話の本質を探求することは、私たちの日常のコミュニケーションにも新たな視点をもたらしてくれるに違いない。
個人的には『オリエント急行の殺人(アガサ・クリスティ)』と『鋼の錬金術師(荒川弘)』が取り上げられた部分に強く共感した。特にハガレンの中のマニピュレーションには唸ってしまったのである。やはりハガレンは最強なのである。
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