有限な時間を、幸福に変えるための習慣

幸福・心の成長
この記事は約11分で読めます。

はじめに — 読む前に押さえておきたいこと

あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?

・毎日忙しいはずなのに、なぜか「大事なこと」ができていない
・スケジュール通りに動けても、満足感が残らない
・気づけば「やらないより、やったほうがまし」な作業に時間を奪われてしまう

努力しているのに充実感がない、という違和感を抱えたまま日常を送る人は多い。効率化が正義とされ、タイパ・コスパの良さばかりが重視される社会では、「自分の時間は本当にこれでいいのか」と立ち止まる瞬間があるのではないだろうか。

合理性を追いかけすぎるあまり、私たちは「思い出せる時間」や「幸福感の残る体験」を後回しにしがちだ。気づけば、ルーティンと細かなタスクが“日々をこなすことそのもの”になり、大切にしたい時間が流れ去ってしまう。

本書が示すこと(著者の主張)

本書が投げかけているのは、「時間の使い方は、そのまま生き方そのものではないか」という問いである。

・やることを“5割に減らす”勇気を持つ
・成果よりも“後から思い出せる体験”を重視する
・ルーティンにも“小さな変化”を加える
・短期的な達成感より、“長期的に自分を満たす選択”を優先する

これらは一見すると遠回りであり、効率的ではない。だが、著者は「幸福感とは、瞬間的な生産性ではなく、後から振り返ったときに立ち上がる記憶から生まれる」と強調する。

つまり、意味のある時間とは“結果そのもの”ではなく、“いかに分節化された体験ができたか”で決まるという考え方である。

本書を読んで感じたこと(私見)

印象的だったのは、「後から振り返って思い出せるかどうか」が幸福のつくり方と深く結びついているという視点だ。

私たちは往々にして、「すぐ終わること」「とりあえず達成できること」に手を伸ばしてしまう。しかし、そうしたタスクは記憶にも残らず、後から振り返る材料にもならない。むしろ、意識して手放し、“時間をかけたい理由のあること”に向き合うことこそが、後の人生に意味づけを与えてくれる。

また、「後から思い出せる体験」をつくるためには、結果の大きさより、プロセスの濃度が重要であるという点にも深く納得した。幸福とは、成功そのものよりも“どんな時間を過ごしてきたか”の鮮明な記憶から立ち上がってくる。そう考えると、日々の小さな選択を丁寧に扱うことの意味が、よりリアルに感じられる。

この本は、「もっと充実したい」「意味のある時間を過ごしたい」と感じている人に、無理のない形で“自分の時間の取り戻し方”を示してくれる。効率を追うことに疲れたとき、ふと手に取りたくなる一冊である。

なぜ、私たちは“本当に大切なこと”に時間を使えないのか

現代人は、忙しさに対して驚くほどの耐性を身につけているのではないか。体力的な面もあるが、より深刻なのは精神的・頭脳的な負荷である。私たちは膨大な情報に晒され、絶え間ない選択を求められ、無数の気遣いを強いられる。その結果、脳のリソースが絶えず消費され、いざ「大切なことを考える」必要が生じたときほど、面倒に感じたり、つい目先の利益へ流されてしまう。身体は限界がくれば痛みや疲労で警告を発してくれるが、脳はある程度の疲れでも“働けてしまう”ため、むしろ厄介なのだ。

タイパ志向やAI技術の浸透に伴い、ひと昔前では考えられないほど多くのタスクを私たちは抱えるようになった。「そこまで効率を追うタイプではない」と自認する人でさえ、日常のToDoの多さに圧倒され、本当にやりたいこと・やるべきことに思考を巡らせる余白が奪われていく。

誰もが知っているように、時間は有限である。歳を重ねるほど、この「限られた時間」と「便利になったがゆえに増え続けるToDo」の板挟みを痛感する。本来、時間はもっと大切なことに使われるべきなのに、それが叶わない状況に多くの人が置かれている。

では、どうすればこの状況を打破し、大切なことに時間を取り戻せるのか。私たちはどのような工夫を講じればいいのか。

今回は、そんな問いに対するヒントを与えてくれる1冊を紹介したい。

ぼくら大切なことに使える時間はもう、あまりないから】(一川 誠 著)

一川 誠

千葉大学大学院人文科学研究院の教授であり、実験心理学を専門とする研究者。 

大阪市立大学大学院で博士(文学)を取得(1994年)し、ヨーク大学(カナダ)でポスドク研究員を務めた後、山口大学を経て千葉大学に着任。研究領域としては、人間の知覚認知プロセスや感性(「かんせい」)に関する実験心理学的アプローチを採用しており、特に「時間」と「空間」の知覚に着目。 

近年は、交通事故などの非常時に体験されるスローモーションのような時間感覚(タキサイキア現象)、ゾーン/フロー状態での主観時間、また認知バイアスや錯覚を利用した潜在的危険の回避コミュニケーションなどをテーマに研究している。その研究成果は、時間知覚のメカニズム解明にとどまらず、呼吸法が注意力に及ぼす影響を呼吸と認知の関係から実証するなど、実用性の高い知見も生んでいる。 

意味のある時間」は、どうすれば生まれるのか

起きている時間の多くを「やりたいこと・やるべきこと」に充てられていると胸を張って言える人は多くない。しかし、だからといって無為に過ごしている時間ばかりでもない。1日は25時間にならない以上、時間を有効に使うには工夫が欠かせない。

著者は「意味のある時間をつくる方法」として、次の3つのステップを提示する。

  1. やることを「5割に減らす
  2. 「小さな変化」をつけて取り組む
  3. 過去の特別な体験に「思いを馳せる」

最初の「5割に減らす」は、一見すると大胆な提言だが、原理はシンプルである。1日が24時間である以上、やることを減らさなければ、本当に必要なことに時間は回らない。やることを減らすとは「選ぶ」ことであり、同時に「捨てる」ことでもある

現代では情報もタスクも増え、何も考えなくても時間が埋まってしまう。効率的に処理できてしまうがゆえに、「やらないより、やったほうがまし」な作業に手を伸ばし続けてしまう。しかし、こうしたタスクに時間を奪われ続けていては、理想の時間の過ごし方には近づけない。

「やらないより、やったほうがまし」なことが厄介なのは、達成しやすく、そこそこの満足感まで与えてしまう点にある。だからこそ以下の3点でふるいにかける必要がある。

  • やる前に検討する
  • やることと得られる成果のギャップを見る
  • 自分にとって本当にやる意味があるのかを考える

いったん始めた物事をやめるのは難しい。だからこそ、着手前の「選別」が重要になる。

次の「小さな変化」と「過去の体験に思いを馳せる」は、時間を“確保する”方法というよりも、時間に意味を与える方法である

「これまでの人生で幸福感を覚えた瞬間は?」と問われたとき、多くの人は旅行や大切な出来事を思い出すだろう。しかし印象に残るのは、絶景そのものよりも、そのときの具体的なエピソードである。

たとえば「ガス欠になりかけながらも目的地にたどり着いた」「予定していた博物館が臨時休館で落胆したが、変更した先の夜景が忘れられない」などだ。

幸福感は結果の華やかさだけで決まらない受験や仕事の達成経験も同様で、成果そのものより「後から思い出せる物語」があることが、満足感を形づくる

つまり、意味のある時間とは“ただ効率的に過ぎた時間”ではなく、後から思い返せる時間であることが重要なのだ

忘れられない時間は、こうつくる

では、後から振り返って思い出せるようにするためには、何が必要か。

普段何気なくチェックしているSNSで流れてきた内容のひとつひとつを詳細に思い出せる人はいるだろうか。朝起きて出かける前までの間、バタバタしながらルーティンをこなしている際、流れてきたニュースの内容や何気ない子どもとの会話を思い出すことができるだろうか。

振り返って思い出せる体験をつくるためには、その体験が分節化されていることが必要不可欠だ。短い時間の間に「仕事も勉強も運動も読書もスポーツもゲームも…」と欲張ると、どこでどのようなことがあったかを思い出せない。つまり、自分の中で「何を体験したか」という長期記憶が形成されず(≒それぞれの体験が一つにまとめられてしまい、具体的なエピソードが思い出せず)、振り返りができなくなってしまうという訳だ。

これを打破する方法はシンプルで、「短い時間にやるべきことを詰め込みすぎない」である。輝かしい多くの結果を手に入れるためには、少しでもタイパにこだわるべきのような気がしてしまうが、「思い出すのが結果だけではないのであれば、その過程や時間の使い方にもこだわるべき」といえる。良い結果を手にすることではなく、幸福感や充実感を感じることに重きを置くのであれば、なおさらタイパ主義の逆張りをせよ、ということになる。

また、最初は新鮮に感じていることであっても、それがルーティン化してしまうと、良くも悪くも慣れてしまい、感情が薄らぐ。そのため、日々の取り組みに「小さな変化」をつけて取り組むのが、後から振り返って思い出せるようにするコツとなる。

たとえば、通勤路を一本変える、朝のコーヒーを普段と違うマグで飲む、作業前に30秒だけ深呼吸して“始める儀式”をつくる──こうした些細な変化であっても、体験は一つのまとまりとして記憶に残りやすくなる。大切なのは、日常のどこかに「区切り」や「違和感」を意図的に挟み込み、時間の流れに微妙な段差をつくることである。これだけで、毎日が一本の長い帯のように流れていく感覚から抜け出し、後から振り返るための“引っかかり”が生まれる。

自分にとっていくら不要に感じるルーティンワークであっても、それが仕事であればゼロにすることは難しい。であれば、その時間からどのようにして幸福を感じられるようにするか(≒後から振り返って、思い出せる時間にできるか)にフォーカスを当てていくと、ルーティンワークそのものを大幅に変えることなく、小さな変化で幸福感を感じられるようになる

幸福を感じるために

今まで述べた通り、「有意義な時間」というものは、その瞬間の楽しさだけで価値が決まるわけではない。後から振り返ったときに、その経験が自分の力になっていたと気づけるかどうかで、その“有意義さ”が測られる。部活動の厳しい練習や受験勉強、成果が出ない仕事の期間でさえ、後から振り返ると大切な時間だったと感じるのは、その典型である。

つまり、受動的にタイパ・コスパ主義に流されて「やったほうがまし」といった作業的なToDoをこなすのではなく、一見すると遠回りに見えるような、本質的なことに時間を投じる姿勢が重要だ。

しかし、何が本質なのかを“その場で”正しく判断することは難しい。1年後の10,000円と1年と1週間後の11,000円なら正確に判断できるのに、1週間後の10,000円と2週間後の11,000円の比較になると途端に誤る。目先の利益に注意を奪われ、長期的な価値を見誤ってしまうのが人間である。だからこそ、人生において本当に成し遂げたいことに時間を使うためには、事前の計画と、目先の“得”に引きずられない俯瞰的な視点が欠かせない

本質的なことに取り組むためには、「何を大切にしたいのか」をあらかじめ明確にしておく必要がある。人は、瞬間的な感情や外部からの刺激に左右されると、目の前の“簡単に達成できること”へと流されてしまう。だからこそ、自分にとっての価値基準をあらかじめ決め、その軸に沿って時間を配置することで、迷いにくくなる時間の使い方は、気分だけで決まるものではなく、事前に設計することでようやく“幸福につながる選択”ができるようになる

結局のところ、幸福とは偶然訪れるものではなく、意図してつくるものだ短期的な効率や結果に振り回されず、自分が大切にしたい価値に基づいて時間を積み重ねていくことで、後から振り返ったときに「この時間は意味があった」と心から思える。そうした時間の選び方こそが、私たちの幸福感を確かなものにしていく。

時間の使い方は、生き方そのもの

私たちは日々、多くの選択と判断を繰り返しながら生きている。しかし、そのひとつひとつを「本当にやるべきことか」と立ち止まって検討する時間は、驚くほど少ない。気づけば「やらないより、やったほうがまし」というタスクに追われ、結果として大切なことが後回しになってしまう。

本稿で取り上げたのは、そんな状況から一歩抜け出し、「意味のある時間」をつくるためのヒントである。やることを減らし、小さな変化を取り入れ、後から思い出せるような時間を積み重ねる。これらは決して劇的ではないが、じわじわと日常を変えていく力をもつ。

幸福感は結果の大きさだけでは決まらない。むしろ、日々の小さな行動の積み重ねが、後から振り返ったときに「良い時間だった」と感じさせてくれる。であればこそ、短期的な効率や達成感に流されず、少し遠回りに見える選択を恐れずに取っていきたい。

時間の使い方は、生き方そのものだ。忙しさに飲み込まれてしまう前に、自分の時間がどこに流れていくのかを見つめ直す。そんな小さな習慣こそが、これからの人生を「大切なことに使える時間」で満たしていく端緒になるはずである。

関連記事

仕事のパフォーマンスを上げるために

なぜこんなにも忙しく仕事しているのに、パフォーマンスが上がらないのか。

現実が変えられないときの処方箋

物事の解釈を変えるだけで、世界の捉え方も変わります。

人と違うことは悪いこと?

効率主義はなぜ息苦しいのか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました