はじめに — 読む前に押さえておきたいこと
あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?
仕事に必要なスキルは、ある程度身につけてきたつもりだ。
経験も積んでいるし、勉強もしている。間違ったことをしている意識もない。
それでも、なぜか評価が伸びない。成果は出しているはずなのに、「決め手に欠ける」と言われる。周囲を見ると、自分と同じような能力に見える人が、なぜか一段上の扱いを受けている。
理由を考えてみるが、はっきりした答えは出てこない。
「努力が足りないのだろうか」
「スキルの選び方を間違えているのだろうか」
「自分には向いていないのだろうか」
そうやって考えながらも、どこをどう変えればいいのかは見えないまま、同じ場所をぐるぐる回っている感覚だけが残る。
一方で、明確な専門性があるようには見えないのに、周囲から信頼されている人もいる。
その人が何をしているのかを言語化しようとすると、案外難しい。
この差はいったい何なのか。スキルや努力では説明しきれない違いが、確かに存在しているように感じられる。
本書が示すこと(著者の主張)
本書が扱っているのは、「仕事ができる」とは何を意味しているのか、という問いである。
多くのビジネス書が、スキルやノウハウ、フレームワークを提示するのに対し、本書はそれらを一段引いたところから見ている。著者たちが問題にしているのは、「どのスキルを持っているか」ではなく、「どこに価値を見出し、何を良いと感じているか」という感覚の部分だ。
仕事の成果は、努力や能力だけで決まるわけではない。同じ能力を持っていても、どの市場に身を置くか、どの課題に意味を感じるかによって、アウトプットの質は大きく変わる。
本書は、この差を「センス」という言葉で捉えている。
ここで言うセンスは、才能やひらめきの話ではない。誰かにとって意味のあるものを見つけ、それを他者と共有できる形にする力。正解のない状況で、「こうしたい」「こうあるべきだ」と方向を定める力である。
課題を解く力が高度化した現代において、「どの課題に向き合うのか」「なぜそれに取り組むのか」を定める力こそが、仕事の価値を左右している。
本書は、その前提に立ち、スキル・センス・パフォーマンスの関係を整理し直している。
本書を読んで感じたこと(私見)
この本を読んでまず感じたのは、「書かれた時代の早さ」である。
本書が刊行されたのは2019年だ。コロナ禍も、生成AIの急速な普及も起きる前である。
それにもかかわらず、本書が指摘している問題意識は、今の状況とほとんどズレていない。
むしろ、ここ数年で多くの人が違和感として感じ始めたことを、すでに言語化していたようにも思える。
努力すれば報われる、スキルを積めば評価される。そうした前提が揺らぎ始めた世界で、何を拠り所に仕事をすればよいのか。
本書は、その答えを安易に提示しない。代わりに、「どこに意味を感じているのか」「なぜそれを良いと思うのか」という、自分自身への問いを促してくる。
読み進めるうちに、「仕事ができるようになりたい」という欲求が、少し別の形に変わっていく。
評価を上げたい、成果を出したいという気持ちの奥に、「自分は何に納得して働きたいのか」という問いが浮かび上がってくる。
この本は、スキルを増やすための本ではない。仕事の見方を、少しずらすための本である。
そのずれが、結果としてパフォーマンスの差につながっていく。以降では、その構造をもう少し具体的に見ていきたい。
仕事は「スキル」だけで決まるのか
スポーツ選手やアーティストを目の当たりにすると、自分では明らかに到達できないレベルの高さを感じてしまう。実際に自分がやったことがないものだけでなく、実践した経験や挫折があるからこそ、なおさらその差を痛感する。
そのような人たちが生み出す結果や作品は、努力に裏打ちされたものであることは誰もが頭では理解している。一方で、努力や訓練だけでは説明しきれない「何か」──それは、才能というよりも、どこに違和感を覚え、どこに価値を見出すかという感覚の差である。
例えば、同じレシピを読み、同じ材料を使って料理をしても、出来上がりの味には差が出る。手順は理解しているはずなのに、「なぜか違う」。この違和感は、知識や技能の多寡だけでは説明がつかない。
仕事で使えるスキルは非常に重要だ。しかし、スキルを身につけただけでは埋まらない差が存在する。そして、その差こそが「仕事ができる/できない」を分けているのだとしたらどうだろうか。
今回紹介するのは、仕事においてしばしば言語化されないこの差──すなわち「センス」を正面から扱った一冊である。
【「仕事ができる」とはどういうことか?】(楠木 建・山口 周 著)
楠木 建
一橋大学大学院経営管理研究科特任教授。専門は競争戦略。企業が長期的に価値を生み出すための「ストーリー」や「一貫性」に着目した戦略論で知られる。
短期的な成果や効率性を追い求めがちな経営の世界に対し、「なぜそれをやるのか」「何をやらないのか」といった意思決定の質を重視する姿勢を一貫して提示してきた。
理論を抽象化するだけでなく、具体的な企業事例や平易な言葉で語るスタイルに定評があり、経営層からビジネスパーソンまで幅広い読者層に影響を与えている。
山口 周
独立研究者・著作家。組織開発、キャリア論、アートや哲学とビジネスの接続といった領域を横断しながら活動している。
合理性や正解を重視する近代的なビジネス観に対し、「意味」や「問い」を起点に思考することの重要性を提起し続けてきた。
コンサルティングファームでの実務経験を背景に、現場感覚と知的批評性を併せ持つ点が特徴である。知識やスキルの多寡では測れない、人が働くことの本質や成熟について、社会全体に問いを投げかけている。
なぜ仕事で「センス」が大切なのか?
もし世の中から解決すべき課題がなくなったら、人々は何を求めるのだろうか。
生成AIは、課題を解決する能力に長けている。与えられた情報をもとに、プロンプトに対応した最も最適(であると思われる)解を提示してくれる。
必ずしも、ここ数年のテクノロジーだけが飛躍的に進化しているわけではない。
人間にとって不快に感じるほどの暑さや寒さを快適にしてくれるエアコンやストーブ、熱っぽい症状を抑えてくれる風邪薬もそうだ。さらに、SNSが普及し世界中の有識者と容易につながれる現代においては、自分の知りたいことの多くを、世の中の誰かに聞けば確からしい答えとして手に入れられる状況にある。
こう考えると、今の世の中は「解くべき問題」に対して「解決できるソリューション」のほうが多い状態だと言える。食糧難、伝染症、未発達なインフラ、商品不足といった課題は一定程度解消され、少なくとも私たちは「生きること自体に強く困らない」状況で生活している。
一方で、令和の時代の人類が解決すべき課題は何かと問われると、これが意外と難しい。ここまで壮大な問いでなくとも、数世代前と比べて、「何のために仕事をしているのか」という価値の定義は、格段に曖昧になっている。
あなたは、何のために仕事をしているのだろうか。
この問いに、かつてほど明確な答えを持てなくなっていること自体が、今の時代の特徴である。
こうした状況のなかで、「役に立つ」よりも「意味がある」ことが求められる時代になっている。高価で、燃費が悪く、人や荷物を多く載せることもできないスポーツカーが、なぜこれほど売れるのか。その理由は明快だ。公道を数百キロで走る機会などほとんどなく、実用性だけを見れば一般的な自動車と大差はない。それでもなお、その車を所有すること自体に価値を感じ、購買する人が確かに存在する。
iPhoneも同じである。電話やSNS、動画視聴ができるという点では、スマートフォン同士の機能差は限られている。もし単なるデザインへの好みだけで選ばれているのだとしたら、もっと多くの人が、わざわざ高価なiPhoneではなく、似たような別の端末を選んでいるはずだ。新しいもの好きであれば、折りたたみスマートフォンがもっと普及していても不思議ではない。
それでもiPhoneが選ばれ続けているのは、「役に立つ」からではなく、「意味がある」と感じられているからだ。私たちはもはや、課題を解決してくれるだけのモノにお金を払っているわけではない。そして、この「意味」を他人に共有可能な形で伝えるための翻訳能力に該当するものが、「センス」である。
良い音楽は、スポーツのように勝ち負けで定義されない。ロックが好きな人もいれば、クラシックを好む人もいるが、そこに優劣は存在しない。オーケストラの演奏と学生の演奏を比べて良し悪しを論じることがあるとすれば、それは演奏技術というスキルの差であって、音楽が持つ意味の差ではない。ここで言うセンスとは、序列をつけることができない価値を扱う力を指している。
ロックが「いい」と感じられるのはセンスによるものだ。戦後の若者が社会的抑圧に対して表現の自由を訴えた背景に惹かれるのも、その音楽性そのものに共鳴するのも、そのセンスに意味を見出しているからにほかならない。
そして、これからの時代の仕事に求められるのが、このセンスである。誰かにとって意味のあるものを提示できること。その起点となる「インサイド・アウト」な動機を見つけられるかどうかが重要になる。これこそが、あなたの仕事にニーズを生じさせる「センス」なのである。
パフォーマンスは何によって決まるのか
あなたの家のエアコンのクリーニングを、誰かに依頼する場面を想像してほしい。依頼先は、専門の業者になるだろう。あなたがその業者にお金を払う理由は明確だ。自分で掃除するよりも、確実にきれいな状態になると期待しているからである。
もちろん、時間がない、そもそもやりたくないといった理由もある。しかし仮に、仕上がりが自分で行うのと同程度であるならば、おそらく外注はしない。
仕事とは、本質的に誰かのために行われるものである。そして、そのアウトプットが「他の人でも同じようにできる」水準にとどまっている限り、価値は生まれにくい。相対的に優れた成果があってはじめて、対価が支払われる。
では、この「相対的に優れた状態」は、どのようにして生まれるのだろうか。
最もわかりやすい答えは、努力である。受験で良い点数を取りたければ、勉強すればよい。この文脈では、努力量と成果は比較的素直に結びつく。
しかし、仕事は必ずしも同じ構造をしていない。勉強が苦手であれば、スポーツで勝負してもよい、という考え方が自然に通用する。仕事の評価は、単一の競技で競わされるものではないからだ。
自分の仕事に対するニーズは、常に相対的に決まる。IT企業でプログラミングができることと、金融系の企業でプログラミングができることとでは、その価値は異なる。同じスキルであっても、置かれる場所によって評価は変わる。
ここまでは、まだスキルの話である。「この領域ではこの能力が求められているから、それを鍛えよう」という発想によって、自身の市場価値を高めることはできる。
しかし、そこからさらに一段階、「仕事ができる」状態へ進もうとすると、スキルだけでは足りなくなる。ここで必要になるのが、センスである。
たとえば金融業界でも、IT化やDX、AI活用といったニーズは高い。既存の業務に山積する課題を洗い出し、それらを分解し、ボトルネックを特定することで、少しずつ解決していくことが求められる。
問題は、この抽象的な課題を、どのようなロジックで分解するのかという点にある。同じ状況を前にしても、課題の切り分け方は人によって異なる。無数に存在する要素のなかから、どこが本質なのかを浮かび上がらせる。その分け方にこそ、センスが表れる。
意味のある分解でなければならない。細かくすること自体が目的になってしまえば、課題はかえって見えにくくなる。
センスがあるというのは、「こうあるべきだよね」「本当はここを変えたいよね」というイメージを、自分の中に持てている状態だ。その方針があるからこそ、抽象的な課題を適切に分解できる。そしてそれは、目の前の問題を解決するだけでなく、「もっと良くする」ための解決策へとつながっていく。
こう考えると、仕事のパフォーマンスを高めるために、まず考えるべきはポジショニングである。自分が相対的に力を発揮できる市場や環境に身を置いているかどうか。その上で、課題に向き合う際も、外部の正解を探すのではなく、「こうしたい」「こうあるべきだ」というインサイド・アウトな感覚が重要になる。
自分の能力が光る場所を理解しているということは、言い換えれば、メタセンスが高いということでもある。このメタセンスは、机上の思考だけでは磨かれない。さまざまな場に身を置き、試し、うまくいったかどうか、受け入れられたかどうかを観察する。その積み重ねによって、人間や組織に対する洞察が深まり、結果として戦略的にパフォーマンスを高めることができるようになる。
あなたのセンスを磨くには?
センスを鍛えることは、スキルを鍛えることよりも難しい。
その理由は明確で、スキルにはフィードバックがあるが、センスにはそれがほとんど存在しないからである。
料理を例に考えてみよう。料理人からレシピを教わるとき、食材の選び方、火加減、調味料の分量、手を加える順番などは具体的に学ぶことができる。これらは再現可能であり、うまくいかなければ原因を特定し、修正することもできる。典型的なスキルの領域だ。
一方で、「新しい料理を生み出すこと」は別の次元にある。複数の味をどう重ねるか、どんな食感を意図するか、食べた人にどんな印象を残したいか。そこには、正解も手本も存在しない。まず「こんな料理を作りたい」「こう感じてもらえたら嬉しい」というイメージがあり、その後にスキルが動員される。
この出発点となるイメージは、他人からフィードバックを受けて修正できるものではない。だからこそ、センスは磨きにくい。
ただし、センスは生まれつき備わった才能でもない。最初から「こういうものを表現したい」という確固たる感覚を持っている人など、ほとんどいない。では、センスはどこから生まれるのか。
その答えは、人間洞察にある。
人は驚くほど矛盾した存在だ。痩せたいと言いながら甘いものに手を伸ばし、他人のいびきには敏感なのに、冷蔵庫の音には慣れてしまう。こうした矛盾を抱えた存在に対して、「合理的に考えればこうなるはずだ」というロジックは、しばしば無力である。
それでも人は、何かを「意味がある」と感じ、そこに惹きつけられる。その理由を数式のように導き出すことはできない。だからこそ、センスを磨くには、人がどんなときに違和感を覚え、どんなときに納得するのかを、ひたすら観察し続けるしかない。
もう一つ重要なのが、具体と抽象を行き来する力である。スティーブ・ジョブズがカリグラフィーの授業からプロダクトの美しさを構想したように、ある経験や知識をいったん抽象化し、そこから仕事として成立するレベルまで具体化する。この往復運動ができるかどうかで、センスは実践知へと変わる。
このプロセスに、決まった方程式はない。どの経験をどう抽象化し、どの方向に具体化するかは、その人が積み重ねてきた経験や、人間洞察の量によって大きく左右される。
インサイド・アウトで「こうしたい」「こうあるべきだ」という感覚が見えてくると、自ずと鍛えるべきスキルも定まる。「求められているからやる」のではなく、「自分はここに意味を感じるからやる」という動機で動けるようになる。
他人と比較する必要はなくなる。スキルを磨く理由も明確になり、結果として、スキルとセンスの両方が噛み合った状態が生まれる。これが、「仕事ができる」と評価される状態なのである。
「仕事ができる」をどう捉えるか
ここまで、仕事におけるスキルとセンスについて見てきた。
スキルは重要である。しかし、スキルだけでは説明しきれない差が存在する。同じ能力を持っていても、どこに価値を見出し、どこに違和感を覚えるかによって、仕事のアウトプットは変わる。その違いが、結果として「仕事ができる/できない」という評価につながっている。
今の時代、その差は以前よりも見えにくくなっている。
多くの課題にはすでに解決策があり、努力によって一定水準までは到達できる。だが、そこから先は、何を良いと感じ、何に意味を見出すかという感覚の違いが、仕事の質を左右する。
言い換えれば、単に与えられた問題を解く力よりも、どの問題に向き合うのかを選び取る力が、より重要になっている。
その選択は、外から与えられるものではない。「求められているから」「正解とされているから」ではなく、「自分はこうしたほうがよいと感じる」というインサイド・アウトな感覚が起点になる。
もっとも、この感覚は不確かで、評価もしづらい。センスには明確な基準やフィードバックがなく、試してみなければわからないことも多い。だからこそ、遠回りに見えることもある。
それでも、人を観察し、違和感に立ち止まり、なぜそう感じたのかを考え続けることは無駄にはならない。そうした積み重ねが、どのスキルを磨くべきか、どこで力を発揮しやすいのかを、少しずつ明らかにしていく。
「仕事ができる」という評価は、最終的には他人が下すものである。しかし、その評価だけを基準に仕事を選び続けると、自分にとって何が重要なのかが見えにくくなる。
この本が扱っているのは、評価の取り方というよりも、自分がどこに意味を感じて仕事をしているのかを、改めて考えるための視点である。
スキルを磨く前に、違和感に目を向ける。答えを探す前に、どんな問いを立てているのかを見直す。
その積み重ねの先にある状態を、便宜的に「仕事ができる」と呼んでいるだけなのかもしれない。
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