はじめに — 読む前に押さえておきたいこと
あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?
- サブスクやシェアのサービスをいくつも契約しているのに、結局あまり使っていない
- 「買う」より「借りる」「使うだけ」で済ませることに、少し後ろめたさを感じる
- 流行に合わせて次々に新しいものに手を伸ばすが、手元には何も残らない気がする
- 「本当に自分に必要なのは何だろう」と迷うことが増えている
こうした感覚は単なる個人の性格や好みの問題ではない。社会全体の仕組みや消費のあり方そのものが変化していることの表れなのだ。
本書が示すこと(著者の主張)
現代の消費には「リキッド消費」と呼ばれる流動的なスタイルがある。サブスクやシェアリングに象徴されるこの消費は、短期間で欲しいものが変わる短命性、所有せずとも必要なときにアクセスできるアクセス・ベース、そして物よりも経験に価値を置く脱物質の特徴を持つ。
リキッド消費は、単なるブームや若者の傾向ではなく、社会や経済、技術の変化と密接に結びついている。従来のソリッド消費(所有を前提とした消費)と共存しており、消費者は複数の選択肢を持つ時代に生きている。重要なのは、リキッド消費の中で、自分にとって意味のある選択を行うことである。
本書を読んで感じたこと(私見)
リキッド消費は、便利さや流行に流されているように見えても、背景には現代人の経済的・社会的事情がある。好きなときにコンテンツにアクセスできる自由や、必要なときだけ利用できる軽やかさは、過去にはなかった可能性を開いている。
そのため、消費の形に振り回されず、「なぜそれを使うのか」という自分なりの軸を持つことが重要である。リキッド消費は避けられない現実だが、その中で自分に合った消費の作法を身につけることが、生活の質や判断の自由につながると考えられる。
「サブスク」や「シェア」をちょっと深く考えてみると
実は、サブスクって一つも契約してないんだ。
友人にこんなことを言われたら、驚く人は多いだろう。
音楽、映像配信、クラウドストレージなど、世の中は便利なサブスクに溢れている。日常生活に欠かせないインフラ的なものから、自分の趣味や娯楽に直結するものまで、幅広く浸透している。
サブスクほどではないにせよ、シェアリングサービスも多くの人に利用されている。自転車や電動キックボードといった移動手段をはじめ、カーシェアやレンタルオフィス、さらには高級ブランド品のシェアなど、「普段は持たないが、必要なときだけ使う」仕組みは一般的になりつつある。
これは一昔前には見られなかった消費のかたちである。「皆が同じものを所有し続ける」のではなく、「個々が自分の関心に応じて簡単にアクセスし、必要がなくなれば手放す」ことが前提になっている。そして時間の流れとともに、別の新しいものへと次々にアクセスできるのだ。
こうした現代的な消費について、なんとなく思いを巡らせたことのある人は多いだろう。しかし、その背景にどのような社会的・文化的な意味があるのかまで深く考えたことのある人は少ないはずだ。今回は、そんな現代の消費を捉え直すための一冊を紹介する。
【リキッド消費とは何か】(久保田進彦 著)
久保田進彦
青山学院大学経営学部の教授であり、学部長や大学院経営学研究科長を兼務。明治学院大学を卒業後、サンリオに勤務。その後、早稲田大学大学院で博士号(商学)を取得した。専門はマーケティング理論で、とりわけブランドや企業と消費者の関係づくりに関心を持ち、消費者行動や広告研究にも取り組んでいる。日本商業学会や日本広告学会などに所属し、研究成果は学会賞を受けるなど高く評価されてきた。
リキッド消費とは何か
サブスクやシェアリングに象徴されるような、いわゆる現代的な消費のスタイルを「リキッド消費」と呼ぶ。
リキッド、つまり液体のように流動的な消費。その特徴は大きく次の三つに整理できる。
- その時々で欲しいものが変わる(短命性)
- わざわざ買わなくても、レンタルやシェアリングでよい(アクセス・ベース)
- 物にこだわらず、むしろ経験を大切に思う(脱物質)
では、一つずつ見ていこう。
1.その時々で欲しいものが変わる(短命性)
ちょっと前に流行っていたけど、もう古いよね。
ファストファッションや流行りのスイーツ、SNSで一気に拡散して消えていくネットミーム。思い当たるものがいくつもあるはずだ。流行り廃りのサイクルは、以前よりずっと速くなっている。
つまり、今「欲しい」と感じるものが短期間で変わっていく。それが短命性である。
また、現代は時間だけでなく生活の区切りも細かく分かれている。仕事、家庭、友人関係、オンライン、副業…。すべて「あなた」でありながら、文脈ごとに少しずつ違う顔を持っている。その場その場に合わせて求められるものが変わるからこそ、短命的な消費がフィットするのだ。
2.わざわざ買わなくても、レンタルやシェアリングでよい(アクセス・ベース)
「田舎だから流行りのコンテンツに触れられない」──そんな時代ではなくなった。今はネット環境さえあれば、場所に関わらず多様なサービスや商品にアクセスできる。
しかも、その使い方は「全部そろえて所有する」ことではなく、「ちょっとずつ試す」ことに向いている。サブスクやシェアリングは、多様な選択肢を少しずつ味わう「お試し消費」を可能にしているのだ。
さらに、背景には経済的な事情もある。収入が伸び悩み、可処分所得に余裕がない時代において、ものを買って所有し続けることは負担になりやすい。だからこそ「必要なときだけアクセスできれば十分」という感覚が広がっている。
このように「アクセスできること」自体が価値となり、購入や所有は必ずしも前提ではなくなっている。これがアクセス・ベースの消費の本質である。
3.物にこだわらず、むしろ経験を大切に思う(脱物質)
あなたは何で写真を撮るだろうか?
多くの人はスマホを使い、写真はデータとして保存される。現金払いも減り、決済手段はアプリやカードに置き換わった。コンサートのチケットも紙ではなくデジタルが当たり前になってきている。
これは単に便利だから、技術が普及したからというだけではない。人々の価値観そのものが「モノ消費よりコト消費」へとシフトしているのだ。ものを所有することの価値は相対的に下がり、むしろ「自分だけの経験」に価値が置かれるようになってきた。
このように「ものからの脱却」と「経験重視」の流れが重なり合い、脱物質化が現代の人々の感覚に自然にフィットしているのである。
リキッド消費は、短命性・アクセス・ベース・脱物質という三つの特徴が組み合わさり、「持つ」ことよりも「流れる」ことを前提にした消費のあり方を形づくっている。そこには便利さや合理性だけでなく、現代の社会や人々の価値観の変化が色濃く反映されているのである。
リキッド消費は悪なのか
「ひとつのものを長く大事に使う」──そこにはポジティブなイメージがある。
だからこそ、リキッド消費と聞くと「買っては捨て、また買っては捨て…」というネガティブな印象を抱く人も少なくないだろう。
しかしよく考えてみてほしい。
テレビの放送時間に縛られず、好きなときに好きなドラマを観られること。メンテナンスが面倒な自転車を買わずとも、「ちょっとだけ移動したい」というニーズを叶えてくれるシェアサイクルがあること。これらはどれも、リキッド消費がもたらす大きなメリットである。
つまりリキッド消費は、単に「浪費的」と切り捨てられるべきものではない。
著者の立場は、肯定でも否定でもない。むしろ「今どきの若者の悪い消費習慣」として一蹴してしまうには、あまりにも多面的で、検討に値する現象だという。
なぜなら、若者すべてが一様にリキッド消費傾向を示すわけではないからだ。性格や関心のように、強い人もいれば弱い人もいる。ある分野では強く出るが、別の分野ではそうでもない、という人も多い。
たとえばリキッド消費傾向のひとつに「買い物に時間をかけたくない(省力性)」がある。同じような商品が並んでいたら、人気ランキングや口コミを参考にして即決する。こうした人がいる一方で、同じ若者でも「洋服はしっかり吟味して選ぶ」という人もいる。しかし両者とも「流行が終われば新しい服が欲しくなる」という短命性を共有していたりする。要するに、消費スタイルは人それぞれに混ざり合って存在しているのだ。
著者が強調しているのは、「リキッド消費が出てきたからといって、従来のソリッド消費が消えたわけではない」ということだ。むしろ、人々は「新しい選択肢」を得たにすぎない。
そして、私たちがもはや電車や飛行機のない時代に戻れないように、リキッド消費が存在しない時代に逆戻りすることはできない。今あるのは「消費の二つの形がグラデーション的に存在している社会」であり、その中で自分に合ったバランスを探していく必要があるのだ。
私たちは、どう消費すべきか
情報の拡散を語る上で、SNSの存在は欠かせない。そしてこれは、商品の訴求においても当てはまる。
ものの良さをSNSで訴求するとき、求められるのは「わかりやすさ」である。また、気に入った商品はそこからすぐに購入できるという「手に入りやすさ」がなければ、すぐに熱量が冷めてしまい、購入にはつながらない。
つまり、リキッド消費的傾向が強い社会は、わかりやすく、手に入りやすいものが正しいものとされがちな社会であると言える。
しかし当然の事ながら、わかりにくいけれども、あなたにとって大きなメリットをもたらすもの(=正しいもの)は存在するし、手に入りにくいけれども正しいものもやはり存在する。現代社会においては、自分にとって正しい消費となるかを判断する能力が求められるのである。
多くの商品やサービスが存在する状態において、失敗しない消費をするために、みんながおすすめするような「わかりやすい」商品を手に取りがちだ。しかし、この「わかりやすさ」を「正しさ」だと勘違いしてしまい、本当はメリットをあまり享受できない消費になっていないかを立ち戻って考えてみることは非常に大切だ。
「手に入りやすいもの」のバイアスに対しても、よく考えることが有効な対応策となる。リキッド消費的な社会では視点が短期的になり「なぜそれを行う(=買う、利用する)のか(Why)」よりも「どうやってそれを行うのか(How)」に意識が向きがちだ。しかし、本来の消費の理由であるWhyに立ち戻り、あなたにとっての正しい消費かどうかを考える必要がある。
繰り返しになるが、リキッド消費には良い面も悪い面もある。そして、その良い面を活かしつつ、悪い影響を避けていくような消費をしていくことが、現代社会における成熟した生活者の姿勢となる。
言い換えれば、それは「流されるのではなく、自ら考える」という態度であり、私たち一人ひとりが身につけていくべき新しい消費の作法である。
リキッド消費とこれからの私たち
ここまで見てきたように、サブスクやシェアをはじめとする新しい消費スタイルは、便利さや合理性だけでなく、人々の価値観の変化を色濃く映し出している。リキッド消費は「短命性」「アクセス・ベース」「脱物質」という特徴をもち、私たちの生活の隅々にまで浸透している。
それは決して「良い」か「悪い」かで単純に語れるものではない。むしろ、リキッド消費の存在を前提としながら、どのように向き合うかを一人ひとりが考える時代に入っているのだ。
大事なのは、「流される消費者」ではなく、「考える消費者」「意識する消費者」として立つことである。わかりやすさや手に入りやすさだけに左右されるのではなく、自分にとって本当に意味のある体験やものを見極める姿勢。それこそが成熟した消費者の態度であり、これからの社会で求められる力だといえる。
リキッド消費は、もはや消え去ることのない現実である。だからこそ、その特性を理解し、良い面を活かしつつ悪い面に呑み込まれないようにすることが大切だ。新しい消費の作法を身につけ、自分にとって正しい選択を積み重ねていく。その先にこそ、より豊かで納得のいく生活が広がっていくだろう。
参考記事
世界をどう捉えるか
普段接している世界を、改めて捉え直してみることができる1冊。
現代社会の「成長」の定義について
あなたにとっての「成長」とはなんですか。
買い物を心理的に考える
あなたはなぜ「欲しくなってしまう」のか。心理的アプローチから買い物を紐解く。
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