「気が利く」とは何か ― 評価が生まれる、その手前にあるもの

人間関係
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はじめに — 読む前に押さえておきたいこと

あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?

  • 職場や日常生活の中で、「気が利く人だね」と言われる人と、そうでない人の違いがよく分からない。
  • 同じように振る舞っているつもりでも、ある人は評価され、ある人はそうでもない。その差がどこから生まれているのか、腑に落ちないまま過ごしている。

同じように振る舞っているつもりでも、ある人は評価され、ある人はそうでもない。その差がどこから生まれているのか、腑に落ちないまま過ごしている。

自分なりに配慮したつもりなのに、相手の反応が冷たく感じられたことはないだろうか。
反対に、特別なことをした覚えはないのに、なぜか好意的に受け取られた経験はないだろうか。

「もっと先回りしなければいけないのではないか」

「空気を読めていないと思われているのではないか」

そう考えれば考えるほど、「気が利く」という言葉は抽象的で、どこを目指せばいいのか分からなくなる。

努力の方向が定まらず、評価だけが先に立ってしまう。この曖昧さこそが、多くの人を悩ませている。

本書が示すこと(著者の主張)

本書が示しているのは、「気が利く」という評価が、個人の能力や性格だけで決まるものではないという視点である。

人は他者の行動を、そのまま事実として受け取っているわけではない。そこには必ず、印象や先入観、好意や苦手意識といった解釈のフィルターが介在している。

例えば、「明るい人は外交的である」といったイメージは、その人の行動を好意的に解釈する土台になる。同じ発言、同じ行動であっても、誰がそれを行ったかによって、受け取られ方は大きく変わる。

「気が利く」と感じるかどうかも同様である。相手に対して好印象を抱いていれば、多少の行き違いは寛容に解釈される。反対に、苦手意識があれば、善意の行動でさえ疑いの目で見られることがある。

つまり、「気が利く」とは行動そのものの属性ではない。人と人との関係性の中で、あとから立ち上がってくる評価なのである。

本書を読んで感じたこと(私見)

印象的だったのは、「気が利く」ことを努力目標として直接追いかけることの危うさである。行動を完璧にしようとすればするほど、評価されなかったときの落差は大きくなる。

本書が示しているのは、もっと手前の態度である。相手をどう見ているのか。どのような前提で関わっているのか。その姿勢こそが、行動の意味を変え、結果として「気が利く」という評価を生む。

「結局、見られ方の問題なのか」と感じるかもしれない。しかし、他者からどう見られているかを意識することと、他者をどう捉えているかを見直すことは、同じではない。

気が利くとは、誰かの期待を完璧に満たすことではない。関係の中で生じる解釈のズレを前提に、それでも相手を単純化せずに向き合おうとする姿勢のことなのだと感じた。

「気が利く」とは、何が起きている状態なのか

「綺麗」は、人間の感覚にまつわる言葉だ。直線的に等間隔に並んでいるものや、グラデーションが鮮やかな作品など、何らかの共通イメージは思い浮かぶものの、明確な定義が存在するわけではない。「綺麗な部屋」と聞いて、整理整頓され、物が少ない空間を思い浮かべる人は多いだろう。しかし一方で、物が多く、使用感がにじみ出ている環境を「綺麗」と感じる人がいても不思議ではない。人の感覚とは、そういうものだ。

この理屈で考えると、「イケメン」も同じである。教科書に定義が載っているわけではなく、好みのタイプは人それぞれ異なる。それにもかかわらず、多くの人が思い描く「イケメン」のイメージには、どこか共通点がある。人類のDNA的な何かが影響しているのだろうか。

では、「気が利く」はどうだろうか。あなたが「気が利く」と感じるのは、どのような人だろうか。自分が望んでいることを、気づかれないように先回りしてくれる人だろうか。あるいは、落ち込んでいるときに、あえて触れずに距離を保ってくれる人だろうか。

「気が利く」は、明らかにポジティブな形容詞である。そして多くの人が、「気が利く人になりたい」と感じている。にもかかわらず、その定義を問われると途端に難しくなり、どうすればそうなれるのかも見えにくい。スキル本などで「気が利く人の振る舞い」を学んだことがある人もいるだろう。しかし、その振る舞いは本当に“気”が利いていると言えるのか——そんな問いを、どこかで感じたことはないだろうか。

「気が利く」とは、いったいどのような状態なのか。そして、「気が利く」人になるためには、何が必要なのか。今回は、こうした疑問を静かに、しかし確かに整理してくれる一冊を紹介する。

「気が利く」とはどういうことか ――対人関係の心理学】(唐沢 かおり 著)

唐沢 かおり

日本を代表する社会心理学者であり、東京大学大学院人文社会系研究科の教授を務める研究者である。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院博士課程を修了し、Ph.D.(心理学)を取得した後、名古屋大学情報文化学部助教授などを経て現在の職に至っている。専門は社会的認知であり、人が他者の心をどのように読み、社会的な文脈でどのように行動や判断を形成するかについて精力的に研究してきた。代表的な著作としては『なぜ心を読みすぎるのか』や『社会的認知』などがあり、心理学領域における理論的な貢献と実証的な研究で高く評価されている。また多数の学術論文や国際共同研究にも携わり、社会心理学の広範なテーマに関与している。

「振る舞い」と「見られ方」は切り離せない

「気が利く」人でいる状態は、自分一人では成立し得ないあくまでも、他者がいて初めて成立する

簡単に言えば、自分が「気が利く人になりたい」と思っているだけでは不十分で、相手から「気が利く人だ」と思われることで、初めてその状態が成り立つのである。

そしてご存知の通り、相手の心をコントロールすることは難しい。優しい、頼りがいがある、信頼できる、放っておけない——そうした評価と同様に、「気が利く」と思われることも容易ではない。わざとらしく気を回したとしても、かえって「何か裏があるのではないか」と勘繰られてしまうことすらある。

つまり、「気が利く」を構造的に考えるためには、どう振る舞うかだけでなく、どう見られるかについても意識しておく必要があるのだ

まずは振る舞い方について整理する。「気が利く」とは、他者が望むことに応答することである。そのためには、相手の気持ちを推し量ることが出発点となる。また、推し量るだけで終わらせず、それに配慮したアクションを実際に講じることも欠かせない。

さらに、「気が利く」人を実践しようとすると、自身の気持ちと矛盾する行動を取らなければならない場面も出てくるだろう。場合によっては、知らず知らずのうちに「配慮している自分」を優先してしまうこともあるはずだ。こうしたズレを避けるためには、自分の気持ちや主張をコントロールする視点も重要になる

ここまでをまとめると、「気が利く」振る舞いのポイントは、次の三点に整理できる。

  • 他者の気持ちを推し量る
  • 他者の気持ちに配慮する
  • 自分の気持ちを制御する

一方で、「見られ方」に関するポイントは次のとおりである。

  • 他者が自分に対してどのような印象を持つにいたるのか、どういう人物像を作っているのか、その過程を知ること
  • 言動の解釈が、すでに持たれている印象に影響されることを理解すること

自分がよく接している会社の同僚や、昔からの知人から、どのような印象を持たれているかを想像すること自体は、そう難しくない。一方で、「なぜそのようなイメージを持たれているのか」を捉えることは、思いのほか難しい。というより、考えたことがない人がほとんどだろう。これが一つ目の重要なポイントである。

また、持っている印象によって、同じ言動でも解釈が変わることは、誰しも実感があるはずだ。たとえば、服屋の店員から「それ、似合ってますね」と言われると、セールストークに聞こえてしまう。一方で、新しくおろしたワンピースを「似合っているね」と友人から褒められた場合には、素直に嬉しく感じる人が多いだろう。これは、店員と友人に対して抱いている印象が異なるためであり、言動そのものだけでは意味が定まらないことを示す一例でもある。

こうして整理してみると、「気が利く」とは、見られ方を意識しつつ、自分の気持ちを制御し、他者の気持ちを推し量った上で配慮することによって、相手の中に立ち上がる評価だと言える

他者の心は、どうやって読まれているのか

前章では、「気が利く」という評価が、振る舞いそのものだけでなく、相手からどのように見られているかによって成立することを整理した。本章ではその続きとして、私たちが他者の気持ちを推し量り、配慮し、自分の気持ちを制御しようとする際に、どのような心理的な偏りや落とし穴に直面しているのかを見ていく。

他者の気持ちを推し量る

心の読み方には、「理論説」と「シミュレーション説」の2種類がある

前者では、他者に対して持っている知識を活用し、心を推し量る。「女性だから」「社会的地位が高いから」といった、自身の知識に基づく推論であり、各々の考え方によって左右される。お店の店員に「それ似合ってますね」と言われると、セールストークに聞こえてしまうのは、店員が「言葉巧みに商品を売ろうとしている」という知識に基づいて解釈しているからである。

この理論説のポイントは、自分自身がその知識をおおむね正しいものだと捉えている点にある。店員から「似合っていますね」と言われた際、「一見セールストークに思えるが、実はそうではないかもしれない」と、立ち止まって吟味することはあまりないだろう。

一方のシミュレーション説は、自分自身に対して持っている知識を活用する方法だ。「このような状況に置かれたとき、私ならこう考えるだろう。だから、あの人もきっと同じように考えているはずだ」という推論である。

この考えの落とし穴は、人は思っているほど自分の心を正しく認識できていないという点にある。私たちは自分の判断や行動を、あたかも一貫した理由に基づいて行っているかのように感じがちだが、実際にはその場の感情や雰囲気に大きく左右されている。

人間は時に「なんとなく」で、非合理的、あるいは自分の意志とは一見異なる判断を下すことも少なくない。にもかかわらず、後からそれらしい理由を付け加え、あたかも合理的に判断したかのように説明してしまう。シミュレーション説がうまく機能しているように感じられるのは、自分自身を正しく認識できているからではなく、正しく認識できていると思い込んでいるからなのである

いずれの説であっても、「すでに知っていること」がベースとなるつまり、その人がこれまでに経験してきたことや、身につけてきた知識によって、他者の心の解釈は大きく左右されるのだ

では、「このようなバイアスを念頭に置き、自分の解釈は時に外れる可能性があることを意識しましょう」が結論なのかというと、そうではない。

例えば、あなたが気を利かせた(と感じている)何らかの行動を取ったにもかかわらず、相手がそれを当たり前のものとして受け取った場面を想像してほしい。資料を事前にまとめて渡したのに特に反応がなかった、忙しそうだから声をかけなかったのに気づいてもらえなかった、といった場面である。

このとき、あなたはおそらく少しムッとしたり、報われなさを感じたりするのではないだろうか。

では、この怒りや無力感は、相手に正しく認識されるべきだろうか。結論はノーである。むしろ、あなた自身が隠しておきたい感情のはずだ。他人の心を読むという営みにおいて、「正しさ」に必要以上に囚われる必要はないのである。

他者の気持ちに配慮する

相手の心を推し量るだけでは、超能力者にはなれても、「気が利く」人にはなれない。その気持ち配慮したアクションがあってこそ、初めて意味を持つ

ここでのキーワードは「共感」である。表面的な気遣いではなく、相手に共感して初めて、その人に配慮した行動を取ることが可能になる。表面的な気遣いにとどまっている場合、相手に対して過剰な支援をしてしまったり、負担を感じさせてしまったり、望まれていない形の支援になってしまうこともある。型にはまった配慮では、相手が求めているものと、自分が差し出しているリソースとのあいだに乖離が生じてしまうのだ。

相手が求めているものを差し出す、つまり「わかってくれている感」を感じてもらうためには、共感は必要不可欠である。

もちろん、共感しすぎることにもデメリットは存在する。相手の怒りや悲しみに過度に共感してしまうと、自身のメンタルに悪影響が及ぶこともある。また、「私はあなたのことを理解している」というメッセージを過度に発してしまうと、上下関係のような圧力として受け取られ、人間関係を悪化させてしまう場合もある。共感にも「適度さ」が重要なのである。

自分の気持ちを制御する

自己評価や他者からの評価を気にする心は、その人を「良い自分であろう」とする行動に導く。評価を気にして行動することは、一見すると悪いことのように思えるが、仕事での評価が芳しくなかった場合に、改善点を見つけて次に活かそうとする姿勢は、決して否定されるものではない。

ただし、自分の心を優先しすぎることはやはり悪手である。他者のことよりも、「気が利く私」を優先しすぎてしまうと、良好な人間関係は築けない。

自身の行動を「気が利く私」として行っている場合、それが相手にとって好ましいものであっても、そうでなかったとしても、ネガティブなフィードバックは返ってきにくい。被災地に送られた千羽鶴が必ずしも歓迎されていない、という話を耳にしたことがある人もいるだろう。しかし、そのような場合であっても、折った本人を前にして同じことを口にするのは容易ではない。

つまり、自分の気持ちを適切にコントロールするためには、他者ではなく、その人本人が意識的に取り組まなければならない。

一つ目のポイントは、「第三者的に、客観的に自分を眺める、もう一人の自分を想像する」ことである。たとえ怒りの感情を抱いていたとしても、それを一歩引いた視点から眺めてみる。同様に、「気が利く私」を演じることで生じる傲慢さが、相手に不快感を与えていないかを客観視する。この客観視が100%正しい保証はないが、少なくとも今よりも相手に与える不快感を減らすことにはつながるはずだ。

もう一つのポイントは、「ポジティブな自己認識を大切にする」ことである。これは、自身のネガティブな感情を抑える際に特に役立つ。

物事がうまくいかなかったとき、人は自分自身を必要以上にネガティブに捉えがちである。自己制御についても同様で、ダイエットや禁酒、運動習慣が続かない自分を責めてしまうこともあるだろう。しかし、「できない自分」を過度に意識してしまうと、他者に対して適切に振る舞うことが難しくなる。たとえ運動が苦手だったとしても、「何もできない自分」だと思い込むより、「他のことについてはよくやっている」と捉えているほうが、周囲への接し方は穏やかになるはずだ。

自分を大切に扱うことは、回り回って、周囲の人を大切に扱うことにつながるのである

「気が利く人」に見える人が、先にやっていること

明るい人は外交的である。

これは100%正しいと言えるだろうか。おそらくはノーである。お笑い芸人やYoutuberが揃いも揃って外交的かと言われると、そうではない。

一方、「明るい人は外交的であるという」イメージを多くの人が持っていることは事実だ。おそらくはなんとなくこの傾向に当てはまる人が多いということが、経験則として観測できているからであろう。

反対に、「誠実な人は外交的である」というイメージに対しては、必ずしもそうではないと感じる人が多くなるはずだ。

これを利用すると、「他人から外交的な人であると感じてもらうには、明るい人であると感じてもらえれば良い」という結論に帰結する。外交的という事実を受け取って判断しているのではなく、明るいという似た印象の情報から判断しているのである。

では、「気が利く」人の場合はどうだろうか。

あなたの周りの人で「気が利く」人をイメージしてほしい。その人は良い人だろうか。ほぼ間違いなくそうである。人間は苦手意識を感じている人、もっと率直に「嫌いな人」に対して「気が利く」という感情を抱きづらい。これはつまり、好き嫌いが相手の言動を解釈するフィルターとして働いていることを示す

一見失礼な発言をされたとしても、それがあなたが好印象を抱いている人の発言であれば、誤解から生じる発言ではないかと考える。褒められた場合は、素直に嬉しいと感じる。これが苦手意識を抱いている人の発言であれば、前者に対しては「失礼だ」と感じ、後者に対しては「何か裏があるのではないか」と考える。

つまり、好きな人に対しては、ポジティブな発言のイメージを増幅させ、ネガティブな発言のイメージに対する寛容さを発揮する苦手な人の場合、ポジティブな発言の高揚を低減させ、ネガティブなイメージを増幅させる

このように、あなたがもし周囲の人から「気が利く」人であると思われたいのであれば、まずは好印象を抱いてもらう必要がある。これは周りの人に対して親しみやすい印象を与え、誠実な行動をとることによって実現できる。「結局見られ方なのか」という印象だが、他人に与えるイメージを少しでも好ましいものにするために、普段からそれを意識しておく必要があるのだ。

「気が利く」を過度に目指さないということ

「気が利く人になりたい」と考えるとき、多くの場合、そこには評価への意識が含まれている。周囲からどう見られるか、役に立つ人だと思われたいのではないか、嫌われたくないのではないか。そうした思い自体は自然なものであり、否定されるべきものではない。

しかし、本書を通して見えてきたのは、「気が利く」という行為が、単独で成立するスキルではないという点である。それは性格でも能力でもなく、人と人との関係性の中で初めて意味を持つ。相手の状況をどう捉えているか、どのような前提で相手を見ているか、その積み重ねが結果として「気が利く」という評価につながる

また、「気が利かなかった」と感じる場面の多くは、実際の行動そのものよりも、受け手側の解釈によって形づくられている。相手に対して好意や信頼があれば、多少の行き違いは好意的に解釈される。一方で、関係性が希薄であったり、苦手意識があったりすると、同じ行動でも否定的に受け取られる。この非対称性を理解することは、「気が利く」ことを過剰に頑張りすぎないためにも重要である

つまり、「気が利く人であろうとすること」は、「常に完璧に振る舞うこと」ではない。相手をよく観察し、決めつけず、余白を残した関わり方をすること。その姿勢自体が、結果として好印象を生み、行動の意味を肯定的なものへと変えていく。

気が利くかどうかは、自分で完結する評価ではない。他者との関係の中で、あとから立ち上がってくるものである。だからこそ、自分一人で背負い込む必要はない。できることは、相手を単純化せず、状況を一つの見方に固定しないこと。その積み重ねが、無理のないかたちで「気が利く」という結果につながっていくのである。

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