『雑談が苦手』の正体とは?──テクニックではなく“意味”から考える

コミュニケーション
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はじめに — 読む前に押さえておきたいこと

あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?

雑談が苦手だと感じたことはないだろうか。

何を話せばよいのかわからない。沈黙が怖い。場をしらけさせてしまうのではないかと気を遣いすぎて、かえって言葉が出てこない。

仕事であれば、目的も議題もある。伝えるべきことが明確なら話せる。けれど、目的のない会話になると急に難しくなる。何を基準に話せばよいのかわからないからだ。

「雑談くらい、うまくできるようになりたい」と思う一方で、どこかで面倒にも感じている。必要性は理解しているが、できれば避けたい。そんな複雑な感覚を抱えてはいないだろうか。

さらに言えば、雑談は「中身のない会話」だと思っていないだろうか。

本題ではない話。時間をつなぐためのやりとり。なくても困らないが、ないと気まずいもの。そう捉えているとすれば、苦手意識が生まれるのも無理はない。

その違和感こそ、本書の出発点である。

本書が示すこと(著者の主張)

本書が扱うのは、雑談をうまくこなすためのテクニックではない。

話題の見つけ方や、沈黙を回避する方法を中心に据えるのではなく、「雑談とは何をしている時間なのか」という問いから始める。

鍵となるのは、雑談を“暇つぶしの会話”としてではなく、“未整理の思考を外に出す行為”として捉え直す視点である。

私たちは普段、目的のあるコミュニケーションに慣れている。正確に伝え、誤解なく理解してもらい、必要なら行動につなげる。その前提に立つと、結論のない会話は非効率に映る。

しかし本書は、整理されていない言葉を差し出す時間にこそ意味があると指摘する。

雑談とは、答えを出すための場ではなく、問いの輪郭を見つけるための場である。
うまく話すことよりも、整えすぎないことのほうが重要になる。

雑談が苦手なのは、能力が足りないからではない。雑談を「うまくやるもの」だと誤解しているからかもしれない。

本書を読んで感じたこと(私見)

雑談を特別視しすぎなくてよいという視点が印象的であった。

話題を豊富に持つ必要も、常に気の利いた返しをする必要もない。大切なのは、整っていない状態のまま言葉を出せるかどうか、そしてそれを受け取ってもらえると信じられるかどうかだ。

雑談は、場を盛り上げるための義務ではない。自分の思考を少し外に開くための選択肢である。

そう捉え直すだけで、「苦手」という感覚の輪郭は変わる。克服すべき課題というよりも、向き合い方を変えればよいテーマになる。

本書は、「雑談がうまくなりたい」という願望を出発点にしながら、最終的には「なぜ私たちは雑談を必要とするのか」という問いへと視線を移す。その問い直しこそが、この一冊の核心である。

雑談とは何か — 上手さの前に考えたいこと

雑談は、一種類ではない。

天気の話や世間話ももちろん雑談である。場の空気を和らげ、沈黙を埋める役割を果たすそれらは、日常に欠かせない技術だ。

しかし、そうした軽い会話を続けているうちに、ふと自分が最近感じているモヤモヤや、うまく言語化できない悩みを口にしてしまうことはないだろうか

今回焦点を当てたいのは、後者の雑談である。

ビジネスにおけるコミュニケーションの目的が「相手に正確に伝え、行動を促すこと」にあるのだとすれば、頭の中で整理しきれていない思考をそのまま差し出す行為は、合理的とは言い難い。結論もなく、オチもなく、何が言いたいのか自分でもわからない。そんな話は、効率の観点からすれば無駄に映るかもしれない。

それでも、悩みを口にしたあとに、どこか心が軽くなった経験はないだろうか。問題が解決したわけではなくとも、「聞いてくれてありがとう」と自然に思えた瞬間があるはずだ。

では、そのとき私たちは何を得ていたのか。

整理されていないままの言葉を差し出すことには、どんな意味があるのか。そして、「上手な雑談」とは本当にテクニックの問題なのだろうか。

雑談を“うまくやる技術”ではなく、“何のためにあるのか”という観点から捉え直していく。その手がかりとなる一冊を紹介したい。

あなたはなぜ雑談が苦手なのか】(桜林 直子 著)

桜林 直子

東京都出身の作家・実業家である。洋菓子業界で12年間会社員として働いたのち、2011年に独立し クッキーショップ「SAC about cookies」 を開店して経営者としてのキャリアを始めた。現在は自店の運営に加えて、店舗や企業へのアドバイス業務も行っている。

独立後はSNSや note で綴ったエッセイが注目を集め、『セブンルール』(フジテレビ系)にも出演した実績がある。洋菓子屋としての活動に加え、コラムやエッセイの執筆を続けるなど、多方向で発信を行っている。

2020年頃からは「雑談の人」という肩書きで マンツーマン雑談サービス「サクちゃん聞いて」 を主宰し、対話を通じて人の話を聞き出す活動にも注力している。また、コラムニストのジェーン・スーとのポッドキャスト番組 『となりの雑談』 に出演し、雑談をテーマにしたトークでも人気を集めている。

私生活ではシングルマザーとして子育てをしながら活動しており、noteでは「シングルマザーのクッキー屋の話」など身近なテーマを発信している。

雑談は、誰のためのものか

ずっと家で一人でいると、どこか気持ちが沈んでくる。

こうした感覚に覚えがある人は少なくないはずだ。ステイホームの時期、多くの人がそれを実感した。はじめは、会社や学校の煩わしさから解放された時間を歓迎していた。それでも、いつの間にか同僚やクラスメイトとの何気ない会話を恋しく思っていたのではないだろうか。

人は常に、誰かと向き合っているそれが他人であるか、自分自身であるかの違いだけだ

他人との対話が減ると、自分との対話が増える。「なぜ自分はこうなのか」「どうしてうまくいかないのか」と、答えの出ない問いを何度も反芻する。考えているつもりが、実際には同じ場所をぐるぐる回っているだけ、ということもある。

それは、自分との対話が過剰になっている状態だ。

雑談が足りないということは、他人との接点が足りていないということでもある。人は、自分との対話と他人との対話のあいだで、無意識のうちにバランスを取っている。そのバランスが崩れると、思考は閉じた空間の中で迷子になる。

「何に悩んでいるのかわからない。でも、なんとなく苦しい」。そんなとき、友人に取りとめもなく話してみると、「それってこういうことじゃない?」という一言で、急に視界が開けることがある。問題が解決したわけではない。それでも、自分の中だけではたどり着けなかった視点に触れた瞬間、前に進める感覚が生まれる

「私たちは雑談で何を得ていたのか」という問いの答えは、ここにある。

雑談とは、相手を楽しませるための技術ではない。場を盛り上げるための装置でもない。

雑談とは、自分の思考を外に開き、他者の視点を通してもう一度自分を見るための行為である

つまり、雑談は相手のためにあるのではない。あなた自身のためにあるのである

良い雑談に必要な、たった二つのこと

著者によれば、「良い雑談」には欠かせない前提がある。

それは、相手を信頼することだ。

悩みを口にしようとするとき、ふと躊躇することがある。「こんな話をしてもいいのだろうか」「自分の悩みは大したことではないのではないか」と。

本当に深刻な問題であれば、そんなことは考えない。だが、「なんとなくモヤモヤしている」といった曖昧な感情ほど、口に出すことをためらってしまう。

しかし冷静に考えれば、自分が「価値がない」と感じている内容を、相手も同じように判断するとは限らない。相手がどう受け取るかは、こちらにはコントロールできない。それにもかかわらず、「こんなことを言ったらどう思われるだろう」と不安になるのは、相手の反応を先回りして決めつけている状態だ。そこには、無意識のうちに相手を信用していない姿勢が含まれている

だからこそ、まず必要なのは信頼である。受け取ってもらえると信じて話すこと。どう反応するかは相手に委ねること。これが、良い雑談の土台となる。

そしてもう一つ、大切なことがある。

それは、悩みを「整えて」話そうとしないことだ。

「自分はこれに悩んでいて」「原因はこれで」「解決策はこうだと思う」と整理できているのであれば、実はすでにかなり前進している。何をすればよいかが言語化できている状態は、たとえ壁が高くても、行動につながるエネルギーを持っている。

本当に厄介なのは、そうではない悩みだ。

何が問題なのかも曖昧で、どこから手をつければよいのかもわからない。ただ、胸のあたりに何かが引っかかっている感覚だけがある。

この状態を無理に整理し、「悩みごと」という形に整えてしまうと、本質が削ぎ落とされることがある自分では意味がないと思って切り捨てた前後の言葉、枝葉のように見えた部分にこそ、その人の核心や突破口が潜んでいることが少なくない

良い雑談とは、まとまっていないものを、まとまっていないまま差し出す行為である

「こんなことかもしれないんだけど」と差し出した言葉に対して、「それってこういうこと?」と返してもらう。その往復のなかで、自分一人では見えなかった輪郭が浮かび上がる。

信頼し、整えすぎないこと。

この二つがそろったとき、雑談は単なる会話ではなく、自分の思考を動かす装置になる。

相手を信用し、整えずに差し出すために

ここまでを踏まえると、雑談の相手は必ずしも「親しい人」や「専門家」である必要はないことが見えてくる

仲の良い友人だからこそ、「こんな話は重いのではないか」と遠慮してしまうことがある。反対に、カウンセラーのような専門家が相手だと、「きちんと悩みとして整理して話さなければ」と構えてしまうこともある。

もちろん、信頼できる相手であることは大切だ。ただし、その基準は「仲の良さ」や「肩書き」だけで決まるものではない。未整理の言葉をそのまま受け取ってくれる人であれば、関係性の種類にこだわる必要はない。

もう一つ意識したいのは、「正解のある会話」を目指さないことだ

場の空気を乱さないように振る舞ったり、話をきれいにまとめようとしたりするのは、悪いことではない。しかしそれが強くなりすぎると、自分の言葉よりも相手の反応を優先する会話になる。

相手の機嫌に合わせることや、無難な着地点を探すことに集中していると、未整理の部分は自然と削られていく。結果として、雑談のはずが「整った報告」になってしまう。

これまで周囲に配慮してきた人ほど、こうした傾向は強いかもしれない。けれども、相手を信用し、自分の感じたことをそのまま差し出してみる。そうした姿勢を少しずつ試していくことで、雑談の質は変わっていく。

さらに大切なのは、自分の感情を軽く扱わないことだ。

「こんなことで悩むなんて」「たいした話ではない」と自分で切り捨ててしまえば、言葉は出てこない。だが、あなたが感じた違和感や迷いは、少なくともあなたにとっては確かな現実である。

それを言葉にすることは、相手を困らせる行為ではない。相手を攻撃する意図がなく、自分の内側に焦点を当てた話であれば、それは共有であって押しつけではない。

他人に話すことは、答えを預けることではない最終的な選択は自分で行うその前段階として、視点や選択肢を広げるために言葉を外へ出す

雑談はそのための場になりうる。

特別な技術がなくても、完璧に整理できていなくてもよい。相手を信用し、自分の感情を切り捨てず、そのまま差し出してみる。

それだけで、思考の流れは少し変わり始める。

雑談という選択肢

ここまで見てきたように、雑談は単なる会話の技術ではない。

話題の豊富さや場の盛り上げ方よりも重要なのは、未整理のままの思考や感情を外に出せるかどうかにある。私たちは普段、筋道の通った話や結論のある発言を心がけている。その姿勢は大切だが、常にそれを求めていると、言葉にしきれない部分は置き去りになる。

何に悩んでいるのかはっきりしない。解決策も見えない。

そうした状態は、個人の内側だけで抱えていると停滞しやすい。他者とのやり取りを通じて初めて、輪郭が現れることがある。

そのためには、相手を信用すること、そして話を整えすぎないことが前提になる。相手の反応を先回りして制御しようとせず、自分の感じていることをそのまま差し出す。雑談は、そのための比較的負荷の小さい方法の一つだ。

もちろん、最終的な判断や選択は自分で行う。しかし、選択肢や視点を増やす段階では、他者の存在が助けになる。雑談はその入口になり得る。

「雑談が苦手だ」と感じるとき、話題不足や会話術の問題だと考えがちだ。だが実際には、整えようとしすぎていたり、相手の評価を気にしすぎていたりする場合もある。

雑談は、完成度を競う場ではない。思考を少し外に開くための手段である。

そう捉え直すことで、雑談への向き合い方は変わってくるのではないだろうか。

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