“1・2・3・○・5” – 「つい4を入れたくなる」衝動をつくる体験

クリエイティブ思考
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「ここだけはおさえて」ポイント

どんな人にオススメの1冊?

🔹「おもしろそう」を仕事や活動の出発点にしてみたい人
 - 「何をやりたいか」がはっきりしないけれど、直感で惹かれるものに動いてみたくなる
 - 頭で考えるより、まずは手を動かしてみようかと感じている
 - 面白さやワクワクの正体を知り、自分でも誰かの心を動かすことをしてみたいと思っている

🔹「何かを届ける人」の裏側にある工夫や技術を知りたい人
 - 商品やサービスを届ける側として、「どうしたら興味を持ってもらえるか」に悩んでいる
 - 人の心を動かす仕組みに関心があり、自分の仕事や趣味にも取り入れたい
 - 説明ではなく体験で伝える方法にヒントを感じている

🔹ゲームに救われた経験を「ただの遊び」で終わらせたくない人
 - 昔ハマったゲームに、言葉にできない大切なものを感じていた
 - 物語の中で成長していく感覚に、自分自身を重ねていた
 - あの頃の感動や成長を、今の仕事や暮らしにも生かしていきたいと思っている

ポイント①:「おもしろい!」の最初のきっかけは、直感的な引き込み

ゲームや体験の「おもしろい!」は、最初に直感的に感じられることが重要。プレイヤーは初めて接するものに対して、すぐに「おもしろそう!と感じるかどうかで、次に進むかどうかを決定する。この直感的な引き込みは、設計者が巧妙に仕掛けた部分であり、プレイヤーの感覚を素早く掴むための工夫がなされている重要な部分である。

ポイント②:長く続けてもらうには「驚き」が欠かせない

「おもしろい!」体験を長く続けてもらうためには、驚きが欠かせない。プレイヤーは予測できない展開や、意外な発見を体験することで、さらに没入し続ける。この驚きが物語の中で絶妙に配置されていることで、プレイヤーは次々に新たな驚きを求める。

ポイント③:物語を通じた成長や変化が「おもしろい!」の根幹

「おもしろい!」の根本には、物語を通じてプレイヤーが成長を感じ、変化を実感できることが大切。物語の中でキャラクターやプレイヤー自身が成長していく過程を体験することが、やりがいや満足感に繋がっていく。この成長と変化が、最終的には「おもしろい!」と感じさせる力となる

オススメ度:★★★★★

「おもしろい体験のつくり方」を徹底的に突き詰めた1冊。著者が元任天堂のであったこともあり、多くの人に馴染み深いゲームを例に挙げて解説しているため、直感的にも理解しやすい。クリエイティブな仕事をしている人だけでなく、幅広い読者に共感できる内容が盛り込まれており、この本を読むことで「おもしろい体験」を実際に味わうことができる。読み終わった後、すぐに実践したくなるような一気読み必須の1冊。

「おもしろいかどうか」は、やってみるまでわからない

スカイダイビングは、まだ“飛んでいない人”にとっても魅力的だ

「一生に一度はスカイダイビングをしてみたい」。そんなことを思ったことがある人も少なくないはずだ。鳥のように空を急降下する体験は、他の何にも代え難い。

「一生に一度は」と願う人の多くは、まだ一度も飛んだことがない。それなのに、なぜ「やってみたい」と感じるのだろうか。理由はいくつか考えられる。景色が綺麗そう、スリルが味わえそう、非日常を体験したい──。だが、多くの人が共通して抱いている気持ちは、こうではないか。

なんだか、おもしろそう!

スカイダイビングは、テレビで見たり話を聞いたりすることはできるが、本当のところおもしろいかどうかは体験してみないとわからない。それでも惹かれてしまうのは、「おもしろそう」という直感に心が動かされているからである。

つまり、どんなに魅力的な体験であっても、人は最初から「おもしろい」と判断することはできない。もし誰かに「おもしろい体験」を届けたいのであれば、まずはその前段階──「おもしろそう」と思わせることが出発点となる

ここで紹介したいのが、『ついやってしまう』体験の仕組みを解説した一冊である。

「ついやってしまう」体験のつくりかた 人を動かす「直感・驚き・物語」のしくみ】(玉樹真一郎・著)

玉樹真一郎

元・任天堂の企画担当として「Wii」の立ち上げに関わり、「直感」「驚き」「物語」による体験設計を得意とするクリエイター。プログラマーからプランナーへと転身し、ハード・ソフト・ネットワークを横断した企画を手がけたその実績は、今も多くのファンや関係者に語り継がれている。

現在は青森を拠点に、「わかる事務所」を主宰。企業や自治体への企画支援や人材育成、大学での教育活動に取り組むほか、コンセプトづくりや体験設計に関する著書を多数執筆。専門的な知識を誰にでも伝わる言葉で語る、希少な表現者である。

「右に行く」だけでおもしろくなる仕掛け

– 1・2・3・○・5 –

多くの人が“4”を思い浮かべただろう。「数字を入れてください」とは書かれていないのに、“4”を入れてしまう。これが「ついやってしまう」直感の仕組みである。

ゲーム『スーパーマリオブラザーズ』にも同じ仕掛けがある。プレイヤーに「右に進もう」と思わせる工夫が、実に巧妙に設計されているのだ。

ところで、このゲーム、何をすれば勝ちになるだろうか?

クッパを倒す

そんなふうに回答する人が多いだろう。

しかし、初めてこのゲームをプレイしたとき、「クッパを倒せば勝ち」だと知ることができただろうか?少なくとも、そのような説明はゲームの中ではされていないし、最初のステージでそのゴールを知ることは不可能だ。

では、このゲームにおける勝ちは何かというと、こうなる。

右に行く

そう。スーパーマリオブラザーズは、右に進むゲームなのである。

「いや。クッパを倒すことと同様、それもゲームの中で説明されていないのでは?」と感じたかもしれない。しかし、このゲームを初めてプレイした人は、説明書を読まなくても「右に進めば良さそう」とすぐに気づく。マリオは右を向いている。右側に雲が浮かび、草が生えている。少し進むと敵キャラであるクリボーが現れ、右に行くことが「挑戦」であることを伝えてくる。

こうしてプレイヤーは、以下の流れを自然に体験することになる。

  • 「右に行こう」と仮説を立てる
  • 実際に右へ進んで確かめる
  • 仮説が正しかったことに安心し、嬉しくなる

この「仮説が当たった」という感覚こそが、ゲームの「おもしろさ」の正体である。そして、初めからその感覚が得られるかどうかは判断できないからこそ、ついやってしまうような直感への訴えかけが重要となるのだ。

人は「いつもとは違う」を求めている

『ドラゴンクエスト』、通称ドラクエは、一見すると王道の、いわば教科書的なゲームに見える。だが、著者によれば、ドラクエは実のところ、プレイヤーの予想を次々と裏切る、非常に過激で非教科書的なゲームであるという。

シリーズ第4作『ドラゴンクエストIV』は、前作までに比べてプレイ時間が一気に増え、20〜30時間を要する長編作品となった。プレイ時間が長くなればなるほど、プレイヤーは途中で飽きてしまうリスクが高まる。これまで通り、まじめに冒険を重ねる体験だけを延々と提供していては、途中離脱は避けられない。

そこで導入されたのが、「カジノ」の存在である。

本来、ドラクエでは地道にモンスターと戦い、お金を貯め、強力な武器を手に入れていくという筋書きが王道とされていた。だが、カジノはこの流れを根本から覆す。プレイヤーに一攫千金の可能性を与え、ごく短い時間で強力な装備を手に入れさせるのだ。

直感に従って行動するゲーム序盤においては、それだけでプレイヤーは「おもしろい」と感じる。しかし、人間は、同じパターンの繰り返しではやがて飽きてしまう。そこで重要になるのが、「驚き」を取り入れた変化である。

体験のはじまりには、直感に訴える仕掛けが必要だ。だが、その体験を持続させ、深めていくには、「いつもとは違う」予想外の展開、すなわち驚きが欠かせない

直感と驚き。このふたつが絶妙に組み合わさったとき、人は本当の意味で「心を動かされた」と感じる。ドラクエにカジノが導入されたように、既存の期待を良い意味で裏切ることで、より豊かな体験が生まれるのだ。

ゲームで成長するのは、主人公だけではない

ゲームなんて、時間の無駄だ。

そう考える人は少なくないだろう。たしかに、ゲームをクリアしたからといって、金銭的な利益や健康上のメリットが得られるわけではない。その意味では、「無駄だ」とする意見も一理ある。

それでもなお、ゲームは老若男女を問わず多くの人々の心をとらえて離さない。合理性を重んじる人でさえ、その魅力から逃れることはできない。「仕事と趣味は別物」と割り切ることもできるが、それでは片づけられない“なにか”がゲームにはある。本章では、その理由について考えてみたい。

たとえば、以下の数字列を見てほしい。

– 12 45678 –

多くの人が思い浮かべるのは、「3」である。人は“空いた穴”を埋めようとする性質を持つ。この穴が明快であれば、本能的に補完してしまう。では、穴がもっと複雑な場合はどうだろうか。

その好例が『ポケットモンスター』である。初代ポケモンでは、プレイヤーは最初の1匹を選び、ポケモン図鑑の穴を埋めていく旅に出る。この体験は、まさに「認識された穴を埋める」という衝動と重なっている。未知のポケモンを発見し、捕まえ、進化させる。その繰り返しによって図鑑は埋まっていき、プレイヤーは自らの成長を視覚的に実感できるようになる。

もうひとつの例が『ラストオブアス』である。

このゲームでは、人類滅亡の危機に瀕した世界を、主人公と少女エリーが旅する。ところがこのエリー、当初は主人公をまったく信用せず、悪態をつき、プレイヤーを苛立たせるような言動を繰り返す。気がつけば、プレイヤーは思ってしまう。

コイツ、腹立つなぁ。

ゲームにおいて、主人公とプレイヤーは通常、感情の立場が異なる。主人公は物語の中で「つらい」と主観的に感じるが、プレイヤーはそれを客観的に見守る。しかし、エリーのような同行者がいると、状況は変わる。プレイヤーも主人公と同じように、主観的にイライラしてしまうのだ。

だが、エリーのような存在は、物語の進行とともに変化する。ある出来事を境に、ふとプレイヤーは感じるようになる。

コイツ、実はいいヤツじゃん。

直感に反した驚きにより、同行者に好感を持ってしまうのである。

ここまで来れば、この後の展開は想像に難くない。同行者が絶望や死の瀬戸際にまで追い込まれた後、その絶望を乗り越えるのだ。(ハッピーエンド・バッドエンドの両方がある。)

この2つの例に共通するキーワードが「成長」である。厳密には「プレイヤーの成長」だ。

ポケモンでは、最初の1匹を選択した段階で、プレイヤーはポケモン図鑑の穴を認識する。そこから、ポケモンのゲットや進化という、収集と反復の活動を行っていく。物語が進むにつれ図鑑の穴が埋まっていくため、プレイヤーは視覚的に成長を実感する

ラストオブアスの場合は、感情の変化である。最初は憎らしいと感じていた同行者に対し、あるシーンをきっかけに好感を抱くようになる。その後、同行者に危機が起こるものの、その絶望を乗り越えることを通じて、かつて抱いていた憎しみを、主人公と同じように主観的に乗り越える。この過程そのものが成長というわけだ。

そう、人がゲームに夢中になるのは、プレイヤーである自分自身の成長が実感できるからだ。おもしろいゲームというものは、主人公だけが成長ここまで読めば、この先の展開はだいたい想像がつくだろう。同行者が絶望や死の淵に追い込まれ、そこから立ち上がる。(ハッピーエンドでもバッドエンドでも。)

この2つの例に共通しているのは、「物語の中でプレイヤーが主観的に巻き込まれていく」という構造である。

ポケモンでは、空白のポケモン図鑑を埋めていく旅そのものが、収集の物語であり、達成の物語でもある。繰り返しの中で、プレイヤーは自分自身の行動の軌跡を物語として感じとるようになる。

『ラストオブアス』では、感情の揺らぎを通じて物語が紡がれる。最初は反発しかなかった同行者に対して、あるきっかけを境に共感が芽生え、やがて喪失と再生をともに体験する。その中で、プレイヤー自身が感情の流れに巻き込まれ、まるで自分のことのように感じてしまう。

つまり、「おもしろいゲーム」とは、物語の登場人物が変化するだけでなく、プレイヤー自身が物語を通じて変化させられる体験なのだ。成長しているのではなく、物語の中に巻き込まれている。この主観的な巻き込みこそが、ゲーム体験の核にある。

まとめ – 「おもしろい」をロジカルに考えるために

ここまで見てきたように、「おもしろい体験」は意外にも緻密につくられている。

たとえば、ルールをずらすことで驚きを生んだ『ピクトセンス』や、王道のゲームに“予想外”を仕込んだドラクエ4のカジノ。そして、プレイヤー自身が成長を実感するポケモンやラストオブアス。そこに共通していたのは、「直感で始まり、途中で裏切られ、物語を通じてプレイヤー自身も成長する」という体験の流れだ。

言い換えれば、「なんとなく面白かった」の奥には、ちゃんとロジカルな設計があるということだ。あえて退屈を挟んでおいて驚きを引き立てたり、プレイヤーの感情の推移まで計算されていたりする。体験のデザインとは、偶然の積み重ねではなく、繊細な操作の連続なのだ。 もちろん、最終的に「どう裏切るか」「どう驚かせるか」はセンスや美意識に関わる部分でもあるだろう。でもそれは、「全部センス頼み」という話ではない。実際には、多くのアイデアを出して捨てて、比べて選んで、ようやく“おもしろい”が立ち上がる。

「直感と驚き、成長の物語を、どうロジカルにデザインするか」。

この視点を持つことで、センスや才能だけに依存しない、「体験のおもしろさ」をつくる手がかりが見えてくる。

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