空気が読める人、凄いよな、と。自分はビールが好きなので、「とりあえずビール!」に対しては嬉々として加勢する立場なのだが、そうではない人にとっては「空気を読んで合わせる行為」に該当するのだな、ということを改めて実感させられた。昔よりはこのような空気が情勢されることは少なくなってきていると思うのだが。
自分の場合だと、A案とB案のどちらを選択するかの議論を行う際、決着が着きそうな段階で「でも、、、」とカットインしていくタイプである。意地悪をしているつもりはなく、純粋にまだ議論すべきと感じているが故のアクションであるのだが、空気という観点では”読めていない”アクションに該当するのだろう。
「空気を読む」を敢えて小難しく定義するのであれば「自身が大多数とは異なる意見や考えを持っている際、それを抑え、大多数が持つ意見や考えに賛同すること」になるのではないだろうか。そして、この”大多数の意見・考え”というものは、大多数が賛同しているが故に、平均的な意見・考えであることがほとんどであろう。
「他人と同じ仕事をして、人よりも優れた結果を残すことができますか?」と問われると、自信を持って肯定できる人はどの程度だろうか。この”仕事”がスポーツや芸術や歌やダンスであれば、スポーツ選手やアーティストやアイドルになれる存在なのだろうが、一般的なサラリーマンとなると、特に難しい印象を抱いてしまう。
これを踏まえると、結果を残すためには
・仕事をする人を変える
・アクションを変える
・人とアクションの両方を変える
のいずれかになると思うのだが、これが自分のビジネスとなると、仕事をする人(自分)を変えることはできない。であれば、人と違う結果を求めるためには、アクションを変えるしかないよね、といった解釈ができる。
【「感動体験」で外食を変える 丸亀製麺を成功させたトリドールの挑戦】(粟田貴也・著)
著者はトリドールHDの社長である粟田貴也さん。そしてタイトルの通り、丸亀製麺を成功させた勝ち筋の創り方に関する考え方をまとめた著書である。
多くの方のイメージにもあると思うが、丸亀製麺の店内は、他の外食チェーンの店内と一線を画している。一言で言えば、あのライブ感である。うどんや天ぷらは店内で作られており、それを間近で目にすることができるのが魅力である。そしてこれが「感動体験」をお客様に与えている要因である。
ではこれを、ビジネス側の目線で見てみるとする。こちらもイメージが湧くと思うのだが、どう考えても、明らかに効率が悪い。オペレーションの面においても、利益率の面においても、センターキッチンを設け、なるべく人件費を下げて機械化した方が良いことは明白である。
では、同社の勝ち筋とは何なのか。その答えは「感動体験」「二律両立」「他の人がやらなかったことをやり抜くこと」と定義できるのではないかと思う。
まず、「二律両立」と「他の人がやらなかったことをやり抜くこと」について。粟田さんは丸亀製麺を立ち上げる際、なんとかして「手作り」と「チェーン展開」の両立ができないかということを常に考えていたそうだ。同氏によると”商売”とは「お客様が喜ぶことを考える心理ゲームのようなもの」なのだそうだが、お客様が喜ぶ「手作り」をどこまで拡大できるかに頭を悩ませていたのだそうだ。この、”お客様が喜ぶけれども、どう考えても非効率としか考えられないビジネスプラン”は、他の人がやらないことである。では、なぜこの二律両立を継続することができたのか。それ理由が「感動体験」という考え方に支えられていたからである。例え非効率であっても、こだわり続ける真っ当な理由を持ち続け、それを会社として実行し続けることができれば、他社には真似できない勝ち筋になるのだという。
今回は自己啓発書ではないため、いつにも増してポイントが少なく、メッセージ性がハッキリしている。実際に本ブログを書いていても、それを感じる。そのため、少しだけ自己流にピボットしてみようかと。
人と違うことをすれば確実にメリットを享受できるのにも関わらず、なかなかできないこととはなんだろうと考えると、多くの人にとってその1つは「投資」ではないかと思う。正確には「”ほぼ”確実にメリットを享受できる」といった表現が正確だとは思うのだが、資本主義の成長を信じ、安定的なインデックスに連動する投資信託をコツコツと購入し続けていると、複利の力がプラスで効いてくるのだという。今年から開始した新NISAが話題になっているが、世間一般的にみると新NISA制度を活用している成人の方の割合はまだ少数派であるそうだ。やはりコツコツ投資をし続けることは、たとえメリットが分かっていても難しいのだな、と感じてしまう。空気を読むこととは異なり、人と違うことに対する罪悪感を感じるアクションではないとは思うものの、大多数の人とは異なるアクションを愚直に続けていくのが大切なのかもしれない。いや、かもしれないではなく、ほぼ確実にそうだと分かっているけれども、難しい。
投資の本、あまり積極的に読む気になれないのはなぜだろうか。もともと自分は「読書といえば小説一択」人間であったのだが、やはり食わず嫌いなのだろうか。本屋に足を運べばあんなにも投資本コーナーが目につきやすいところに配置され、しかも自己啓発書と同じくらいかそれ以上に読みやすそうなオーラを出しているのにも関わらず。こういうところは空気を読みたい一心である。
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