「ここだけはおさえて」ポイント
この本が届く人・届いてほしい人
- 倫理や道徳に漠然と関心はあるが、難しそうで敬遠してきた人
- 日常生活や仕事の中で「正しいこととは何か」を考え、より良い判断をしたいと思っている人
- 専門的な哲学ではなく、身近な場面で使える倫理学の考え方を知りたい人
この本が届けたい問い・メッセージ
倫理や正義は単純な答えがなく、私たちは普段あまり意識せずに倫理的判断をしている。しかし、倫理学を学ぶことでその背景にある複雑な価値観や分類が見えてくる。正義には「調整」「交換」「分配」の三つの視点があり、何を優先するかで行動や評価が変わる。だからこそ、倫理はただ知るだけでなく、自分の生活や社会の中で使いこなすべき羅針盤である。
読み終えた今、胸に残ったこと
この本は倫理学を堅苦しく遠いものではなく、身近な「ふだんづかい」の視点で捉え直すきっかけを与えてくれた。特に正義の三分類というフレームワークは、複雑に見える倫理の問題を具体的に理解する助けになる。
また、倫理は「こうすべき」と一方的に示されるものではなく、個々の状況や価値観に応じて判断し行動するものだと実感した。だからこそ、私たちは倫理を自分のものにし、日々の選択や行動に活かしていく必要がある。
学校で学んだ道徳の内容、覚えていますか?
学校での学びは重要である。しかし社会に出ると、学校で習った知識をそのまま使う機会は少ない。むしろ、学び方や努力の過程が役立つことが多い。
その中でも「道徳」や「倫理」は少し特殊である。多くの人は意識せずに倫理や道徳に従って生活している。国語や数学のように教科書の内容を思い出さなければ解けない問題とは異なり、倫理や道徳は無意識に使いこなしているのが普通だ。
このため、多くの人は倫理学をしっかり学んだ経験がない。しっかり学ばなくてもなんとなく生活できてしまうし、「倫理学」という言葉を聞くと難解で堅苦しいイメージを抱きがちだ。
だが、倫理学は生きていく上で非常に重要な学問である。今回はそんな倫理学をわかりやすく解説した一冊を紹介する。
【ふだんづかいの倫理学 】(平尾昌宏・著)
平尾昌宏
倫理学・応用哲学を専門とする哲学者であり、立命館大学大学院先端総合学術研究科の教授を務めている。専門分野は応用倫理学、生命倫理学、ケアの哲学などであり、特に医療や介護の現場における倫理的課題に対して実践的な視点からアプローチしてきた。
2003年に大阪大学大学院文学研究科博士後期課程を修了し、博士(文学)を取得。北海道大学大学院文学研究科助教授、京都女子大学現代社会学部教授などを経て、現在の所属に至る。
日本生命倫理学会、日本質的心理学会などに所属し、現場の当事者と共に思考するスタイルを重視している点が特徴である。抽象的な理論にとどまらず、ケアや看護、教育といった日常に根差した実践的文脈で倫理を問い直す姿勢が、多くの読者や実践者から支持を集めている。
倫理や倫理学は、なぜ曖昧に感じられるのか
倫理や倫理学は、なぜこんなにもぼんやりとしているのか。
その答えは明確である。倫理や道徳が「これが正しい」とはっきりと教えられる機会がほとんどないからだ。
確かに教科書には「人に迷惑をかけないようにしよう」「相手を尊重しよう」といった指導が書かれていることもある。しかしそれ以前に、多くの人は無意識のうちに倫理観を身につけ、実生活で自然に活用している。たとえば他人の物を盗まなかったり、自分の利益だけを追求して行動しないのは、その典型だ。こうした行動は無意識のうちに倫理的判断に基づいている。
また、倫理は幼少期から教科書で学ぶよりも、身近な大人の振る舞いを見て模倣し、自然と習得する部分が大きい。つまり倫理学とは、普段あまり意識しないが生活の中で当たり前に使われている学問なのである。
さらに倫理学のもう一つの特徴は、それ単体では具体的な行動に直接結びつきにくい点にある。
たとえば、三角形の内角の和を知るには、その計算方法を学べばよい。英語を読めるようになるには文法や語彙を覚える必要がある。
だが倫理学の場合、「人に優しくしなさい」とは教えられても、「この場面でこういう行動を取れば優しくできる」といった具体的な方法が示されることはない。抽象的な教えだけを学び、個々の場面に応じた判断や行動は個人に委ねられている。
つまり、「人に優しくしなさい」という教えを知っているだけでは不十分で、実際に具体的な行動を起こす場面で初めてその意味が明確になる。
このように、倫理学は無意識に使われる一方で、それ単体では具体的な指針になりにくい特殊な性質を持つため、曖昧でぼんやりした学問に感じられるのである。
正義とは何か?三つの分類で理解する
「万引きを見たときの対応を考えてみよう。
「どんな事情があっても盗みは悪いから警察に突き出すべき」と考える人もいれば、「生活に困っていたのかもしれないから事情を聞いてから判断すべき」と考える人もいる。
両者は大切にする価値観が違うものの、どちらも「正しいことをしたい」という気持ちに基づいている。だからこそ「正義は存在しない」と感じることもある。
だが、「正義が存在しない」のではなく、「正義をどう実現するか」「何を優先するか」の違いである。たとえば裁判で「極刑か更生か」で意見が分かれるのも、正義の実現方法をめぐる議論にすぎない。
本書では正義を以下の三つに分類している。
- 調整の正義:罪に対する罰の釣り合いを保つ。例として裁判所の刑罰などが該当。
- 交換の正義:等価交換の原則。経済取引や市場での需給バランス。
- 分配の正義:一定のルールに基づいて資源や負担を公平に分配する。税金や予算配分など。
この分類は、正義を理解するうえで重要な視点だ。
たとえば、学校の教頭が特定の業者から高価な贈り物を受け、その見返りに業者に備品や工事を発注したとしよう。一見すると贈り物と仕事の交換が成り立っているように見えるため、交換の正義が機能しているように思える。
しかし学校の予算は自治体のルールに従って公平に分配されるべきものであり、特定の業者に偏らせるのは分配の正義に反している。
このことから「賄賂がなぜ悪いのか」は「分配の正義に背いているから」と説明できる。正義の分類を理解しなければ、この発想には至らない。分類は非常に重要だ。
倫理を学ぶ意味と日常生活への応用
多くの人は漠然と正義を意識して生活しているが、正義は単純ではない。どの正義に基づくのかで対立も起こるし、同じ正義の中でも具体的な判断で意見が分かれることが多い。
この複雑さを理解することが、倫理を自分のものにする第一歩である。
倫理学は司法や政治の大きな話だけでなく、日常のちょっとした場面でも役立つ。たとえばプレゼントのお返しを考えるときや、子どもたちの遊具の順番を守らせるときにも倫理の考え方は応用できる。
また倫理学は、ペニシリンや半導体のように一部の専門家だけが知っていればよい知識とは異なる。倫理はすべての人が学び、自分のものにしなければ、社会全体が健やかに機能しない。これが、科学とは大きく異なる倫理学の特徴であることも覚えておきたい。
社会のバランスを保つためには、私たち一人ひとりが倫理と真剣に向き合うことが不可欠である。
倫理学とは、生活を支える羅針盤
倫理学は一見わかりにくく、曖昧で堅苦しい学問に思われがちである。しかしその本質は、私たちが社会の中でどう生きるべきかを示す羅針盤である。
倫理は日常生活のあらゆる場面に存在し、無意識に使われているものの、意識して学ぶことで理解が深まり、より良い行動が可能になる。
正義には調整、交換、分配の三つの種類があり、それぞれのバランスをとることが社会の安定に不可欠である。賄賂が悪いのも分配の正義に反するからだと理解すれば、倫理の問題がより具体的に見えてくる。
一人ひとりが倫理を自分のものにし、日々の選択に活かすことで、社会全体の釣り合いが保たれ、健やかな共生が実現する。
この本は、普段倫理を意識しない人でも日常に役立つ倫理学の基本をやさしく示している。ぜひ手に取って、身近な倫理の意味を考えてみてほしい。
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