「ここだけはおさえて」ポイント
どんな人にオススメの1冊?
- 美術館や博物館以外で“美”に触れてみたい人
- 普段とは違う視点で物事を見られるようになりたい人
- 哲学に興味はあるが、専門書は難しいと感じている人
ポイント①:美は対象物だけでなく、人との関係性によって生まれる
美は単にモノの形や色だけで決まるものではない。人がそれをどう感じ、どのように関わるかによっても“美”は生まれる。
ポイント②:美しさを感じるには、知識が必要な場合もあれば、そうでない場合もある
絵画の美しさを感じるには、ある程度の知識が必要なこともある。一方で、花のように知識がなくても直感的に美しいと感じるものもある。美と知識の関係は単純ではなく、その違いを考えることで“美”の奥深さに気づける。
ポイント③:「日常生活をなんとか営んでいくこと」にこそ、人は美を見出す
広い家や豪華な家具がなくても、自分に合った椅子を選んだり、狭い部屋の中で心地よい空間を作ったりすることで、人は機能美を享受する。こうした「なんとかやっていく」工夫そのものが、美を感じる営みにつながっている。
読みやすさ:★★★★☆
「機能美の“美”とは?」「掃除や片付けにも美はあるのか?」「料理は芸術と言えるのか?」といった、身近なテーマを通じて“美”について考える哲学書だ。美術の専門知識がなくても理解しやすく、一般的な小説と同じくらいのページ数なので、気軽に読める1冊となっている。
機能美とは何か?
美と聞くと、美術館や博物館にある絵画を思い浮かべるかもしれない。絵画は、優れた筆遣いや時代背景、作品に込められた意味を通じて、人の感情を揺さぶる。それによって「美しい」と感じさせる。
では、「機能美」とは何だろうか。文字通りに解釈するのであれば、絵画とは異なり、「役に立つことが美しさにつながる」という考え方になる。
例えばiPhone。多くの人が「唯一無二で美しい」と感じるスマホだ。しかし、それは機能美だろうか。iPhoneの魅力は、デザインによる影響も決して小さくない。仮に別の形状だったとしても、「機能が美しい」と思えるだろうか。
この問いに対し、より身近な例として「椅子」を考えてみる。
あなたの家の椅子は美しいだろうか。「快適に座ることができる」という役割を果たせているのであれば、それは機能美をまとっていることになるのだろうか。そんな疑問に対する思考を深めてくれる1冊のご紹介。
【「ふつうの暮らし」を美学する 家から考える「日常美学」入門】(青田麻未・著)
青田麻未
美学研究者であり、環境美学や日常美学を専門としている。2020年には『環境を批評する 英米系環境美学の展開』を春風社から刊行。現在は都市美学や日常美学とジョン・デューイの関係、小原豊雲の美学など、多岐にわたるプロジェクトに取り組んでいる。また、環境美学の視点から地域芸術祭やアイドルのパフォーマンスに関する批評にも関心を寄せている。
機能美は3つのケースで整理できる
本書では、機能美を「3つの性質」に分けて説明している。椅子の場合は次の通りだ。
1. 標準的性質
「四本の脚」「背面と座面」など、多くの人がイメージする椅子の基本的な特徴
2. 半標準的性質
「座面後方に支えがない」「足が面になっている」など、少し違和感を覚える特徴
3. 可変的性質
座面と背面が一体化しているかどうかのように、あってもなくても「椅子らしさ」に影響を与えない特徴
これらをもとに、機能美を3つのケースに整理できる。
- ぴったりに見える美しさ
標準的性質がそろった、誰もが「椅子らしい」と感じる形。可変的性質も多く含んでいる。 - 合理化された見た目の美しさ
標準的性質のみに限定され、無駄を削ぎ落とした形。スツールが例に挙げられる。 - 視覚的緊張を生む美しさ
一見すると半標準的性質を持ち不安定に思えるものの、機能を果たしている形。例えば「パントンチェア」。脚がなく、流れるような形状が支える仕組みになっている。
機能美を感じられるのはどれかと問われると、多くの人は「ぴったりに見える椅子」や「合理化された見た目の椅子」を選択する。家具屋さんやカタログから椅子を選ぶときも、おそらくは自分の中の「椅子らしさ」をもとに、そのような椅子を選択するだろう。
だが、いざその椅子を選んで購入しても「なんとなくしっくりこない」という体験を、誰もが一度は味わったことがあるのではないだろうか。
なぜ、潜在的に美しさを感じた椅子がしっくりこないのだろうか。
対象物の美しさだけではなく、人や他の対象との関係も“美”の要素
対象物の美しさだけでなく、人や他の対象との関係性も“美”の要素となる。
椅子は絵画と違い、眺めるためのものではなく、快適に座れることで機能を果たす。
しかし、椅子の機能はそれだけではない。
引っ越しで家具を配置するとき、椅子の置き場所を考える。その結果、「勉強するスペース」「仕事するスペース」「くつろぐスペース」といった場が生まれる。
つまり、椅子には場所をつくる機能がある。見た目で「仕事用の椅子だ」と感じなくても、そこに置くことで仕事をする空間が生まれる。リビングの椅子をキッチンに持っていけば、キッチンは「料理をする場所」から「食べる場所」に変わるのである。
こう考えると、機能美は対象そのものに限定されない。人との関係性によって機能が生まれ、そこに“美”を感じる。「椅子は環境をつくる家具である」と考えると、日常の中にある美の面白さが見えてくる。
知らないと「美しい」と感じることはできないのか?
次は知識と美の関係性について考えてみる。
ピカソの《ゲルニカ》を思い浮かべてほしい。キュビズムの代表的な絵画であり、幾何学的にデフォルメされた人や動物が目を引く。
なぜそれを「特徴的だ」と感じるのか。それは、あなたがキュビズムという「カテゴリー」を知っているからだ。機能美の話と同様に、キュビズムの標準的な性質を理解しているからこそ、《ゲルニカ》を「キュビズムらしい」と感じる。
もしキュビズムを知らなければ、「白黒の絵」「縮尺が不自然」といった点に注目するだろう。実際、白黒かどうかや縮尺の違いは、キュビズムらしさに大きく影響しない。それでも、キュビズムの知識がない人にとっては、そうした特徴が目につきやすい。
このように考えると、「キュビズムの美しさを知るには、キュビズムを知る必要がある」という当たり前の事実が浮かび上がる。
椅子の例でも同じことが言える。「椅子らしさ」を感じるのは、椅子というカテゴリーの性質を知っているからだ。ぴったりに見えたり、視覚的な違和感を覚えたりするのも、その知識があるからこそだ。
一方、多くの人は家の周りに咲く花を直感的に美しいと感じる。花が植物の生殖器官であることを知らない子どもでも、その美しさを認識できる。また、「花の形はこうあるべき」と学んだわけではないため、キュビズムを理解して《ゲルニカ》を評価するのとは異なる。この感覚は機能美に対する感覚とは違ったものになるのだ。
キュビズムの例からは、カテゴリーの知識なしに対象を評価するのは難しいように思える。一方で、花のように、知識がなくても美しさを実感できるものもある。知識と美の関係は単純ではない。こうした複雑さこそ、日常に潜む“美”を考える醍醐味なのではないだろうか。
日常の中で「なんとかやっていく」ことの尊さ
機能美を軸に考えると、次のような流れが見えてくる。「カテゴリーの知識を得る」→「対象そのものの美しさを認識する」→「人や環境との関係から生まれる機能にも美しさを感じる」。
あなたは広い家に住みたいだろうか。豪華な椅子に腰掛けたいと思うだろうか。
当然ながら、人はそれぞれ限られた条件の中で暮らしている。家なら間取りの制約があり、椅子にかけられる予算にも限りがある。
そうした条件の中で、自分にとって座り心地のよい椅子を見つけたり、部屋に自分だけの空間を作ったりする。その工夫こそが「機能美を享受する」ということだ。著者は、制約のある中で「なんとかやっていく」人々の姿を描き出すことが、日常美学の課題だと述べる。
私たちは哲学者ではない。それでも、この「なんとかやっていく」ことの尊さを感じられるなら、美術鑑賞とは違う形で美を味わえているのではないだろうか。
まとめ – 日常に潜む“美”を見つけることで、人生が豊かになる
本書は、「美は美術品だけに存在する」という先入観を覆す一冊だ。身近にあるものの中にも、私たちが見逃している美しさが存在することを教えてくれる。美術鑑賞に興味が薄い人でも、日常生活の中で“美”を再発見するきっかけを与えてくれる。
今回の内容は、特に日常に根ざした機能美に焦点を当てているが、著者の考察はそれにとどまらず、「美的性質」「親しみと新奇さ」「ルーティン」といったテーマも扱っている。これらの視点を通じて、日常の中に潜む美しさを感じ取り、自分の生活をちょっと豊かにするヒントを得ることができるだろう。ぜひ手に取って、その魅力を体感してほしい。
コメント