「アレが食べたい!」と突然思うのは、五感のどこが反応しているのだろうか。嗅覚が強い気もするが、それだけでは説明がつかない。たとえばSNSで目にしたわけでも、料理の音を聞いたわけでもないのに、何かが頭に浮かぶ。
ビーフシチューの口なのにカレーにしてしまったら、「コレじゃない」感が残る。「アレじゃなきゃダメだったのに」という感覚だ。この思考の流れに「わかった!」が潜んでいると気づいたことはあるだろうか?今日はその「わかった!」について考えさせてくれる1冊を紹介したい。
次の文章を読んでみてほしい。
– 布が破れたので、干草の山が重要であった。-
これをパッと理解できるだろうか?おそらく「意味がわからない」と思う人が多いだろう。しかし、「パラシュート」というヒントが与えられたらどうだろうか。一気にイメージが湧き、納得できるはずだ。
【わかったつもり 読解力がつかない本当の原因】(西林克彦・著)
この「わかる」と感じる瞬間がなぜ生まれるのかを解き明かしたのが本書だ。本書を読めば、「なぜ自分が読解力に不安を感じるのか」「『わかった』とはどういう状態なのか」という疑問に向き合うことができる。
「わからない」のではなく「わかったつもり」が読解を妨げる
多くの場合、読解力の低さを感じるのは「わからない」と思う時ではなく、「なんとなく読んだ気がする」時ではないだろうか。例えば、「布と干草」の文章を理解するためには、ヒントがなければ困難だ。しかし、単に理解不足ではなく、文章を表面的に受け取ってしまい「わかったつもり」になっていることが多いのだ。
例えば以下の文を見てほしい。
- サリーがアイロンをかけたので、シャツはきれいだった。
- サリーがアイロンをかけたので、シャツはしわくちゃだった。
1がすぐに理解できるのは、前半と後半の関係が自明だからだ。一方、2を理解するためには「サリーはアイロンがけが苦手である」という推測を挟まないといけない。この推測をせず、表面的に「なんとなく理解した気でいる」状態が、読解力を妨げる「わかったつもり」だ。
「わからない」から正しく読めないのではない
「布と干草」の文章において、多くの人は「わからない」と感じるだろう。一方、自分の読解力に自信をなくすのは、このように「わからない」と明確に感じる場面とは異なるのではないのではないだろうか。
むしろ、「何となくわかった気がするけれど、実は正しく読めていなかった」ときではないかと思う。文章全体の雰囲気や概要はつかめたつもりでも、部分的な説明ができない場合だ。
つまり、「わからない」から正しく読めないのではない。
「わかったつもり」だから正しく読めないのだ。
まとめ – 「わかる」を正しく解るための1冊 –
約200ページと読みやすい1冊だ。飾らない表紙が逆に親しみやすい。普段本を手に取らない人にも、ぜひおすすめしたい。「わかったつもり」から「本当にわかる」への視点を得られる体験が待っている。この機会にぜひ手に取ってほしい。
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