はじめに — 読む前に押さえておきたいこと
あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?
日々の中で、「なんとなくモヤっとする」と感じる場面はないだろうか。
同じ出来事なのに、人によって受け取り方がまったく異なる。自分にとっては嫌なことでも、他の誰かにとってはそうではないこともある。あるいはその逆もある。
頭では「人それぞれだ」と理解しているつもりでも、実際には割り切れず、感情に引っ張られてしまうことも少なくない。
また、ネガティブな出来事に直面したとき、「もっと前向きに考えなければ」と思いながらも、うまく気持ちを切り替えられずに苦しくなることもあるだろう。
人間関係においても同様である。「この人は良い人だ」「あの人は苦手だ」と無意識のうちに判断してしまい、その印象に縛られてしまうことがある。
本来であれば、もう少しフラットに物事を捉えられた方が楽なはずである。しかし、どうすればそうなれるのかが分からない。
こうした違和感を抱えながらも、そのままにしてしまっていることはないだろうか。
本書が示すこと(著者の主張)
本書が扱うのは、「中庸思考」と呼ばれる考え方である。
これは、物事をポジティブかネガティブかのどちらかに寄せるのではなく、その両方の側面を踏まえながら捉えようとする姿勢である。
私たちは出来事に直面したとき、それをそのまま受け取っているようでいて、実際には自分なりの解釈を加えている。そしてその解釈が、感情や行動に大きく影響している。
しかし、その解釈は必ずしも客観的なものではない。見えている一部分だけをもとに意味づけをしてしまうことで、認知に偏りが生まれる。
中庸思考は、この偏りに気づき、物事を一方向に決めつけずに捉えるための視点を提供する。
重要なのは、無理にポジティブになろうとすることでも、ネガティブを排除することでもない。そうではなく、「自分がどのように捉えているのか」に目を向け、その捉え方に余白を持たせることである。
本書では、日常的な具体例をもとにしながら、この考え方を段階的に理解できるように構成されている。特別な知識がなくても読み進めることができ、自然と自分の思考のクセに気づけるような内容となっている。
本書を読んで感じたこと(私見)
物事に対する捉え方は、自分で思っている以上に固定されている。
そしてその多くは、無意識のうちに形づくられているため、自分では気づきにくい。
本書を読み進める中で印象的だったのは、「出来事そのもの」と「自分の認知」を切り分けて考えるという視点である。これまで当たり前のように感じていた感情も、その前提を見直すことで、違った見え方が生まれる余地があると感じた。
また、ポジティブ思考のように何かを上書きするのではなく、もともとの捉え方に気づくことを重視している点も特徴的である。無理に変えようとするのではなく、少し見方を広げるだけで受け取り方が変わる。その感覚は実践的であり、日常にも取り入れやすい。
この本の価値は、特定の考え方を押しつけることではなく、自分の思考を見直すきっかけを与えてくれる点にある。
物事をどう捉えるかによって、感じ方も、選択も変わっていく。その前提に気づくことができれば、日々の出来事との向き合い方も少しずつ変わっていくはずである。
このあと紹介する内容は、そうした変化のきっかけとなる考え方である。
快晴は“良い”天気か
雲ひとつない快晴の空を眺めると、多くの人は「良い天気だ」と感じる。日差しは心地よく、自然と気分も前向きになるからである。
一方で、空がどんよりと曇り、雨が降る日には、「天気が悪い」と表現されがちだ。気分も晴れず、外での活動が制限されることもあり、そう感じるのは無理もない。
しかし、本来、天気そのものに「良い」も「悪い」もない。晴れは多くの人にとって都合がよい一方で、農作物を育てる人にとっては雨が欠かせないものであり、花粉症の人にとってはむしろ過ごしやすい日でもある。
つまり、私たちは出来事そのものを評価しているのではなく、それをどう捉えるかによって意味づけをしているにすぎない。
人はまず物事を認知し、その解釈を通じて感情を生み出す。同じ出来事であっても、捉え方次第でポジティブにもネガティブにもなり得るのである。
言い換えれば、私たちの感情は出来事に直接左右されているのではなく、「どう認知したか」によって形づくられている。
この前提に立つと、これまで当たり前のように抱いていた感情にも、別の見方があるのではないかという余地が生まれる。
物事を一方向から決めつけず、捉え方の幅を持つこと。その重要性を考えるきっかけとなる一冊である。
【偏らない生き方 哲学に学ぶ「中庸思考」のすすめ】(高衣 紗彩 著)
高衣紗彩
株式会社ミッション・ミッケ人生デザイン研究所代表取締役、一般社団法人 人生デザインアカデミー協会代表理事。香港の金融機関や外資系証券会社・資産運用会社にて、株式分析やファンド運用などに20年以上従事。
金融の実務経験を背景に、人の意思決定やパフォーマンスに関心を広げ、心理学・脳科学・行動学などを体系的に学習。これらをもとに、価値観を軸に人生を設計するための独自メソッドを体系化し、講演や教育活動を通じて発信している。
なぜ同じ出来事でも捉え方が変わるのか
同じ出来事であっても、人によってまったく異なる意味づけがなされるのはなぜか。その理由は、私たちが常に「物事の一部」しか見ていないからである。
たとえば、朝起きて雨が降っていれば「天気が悪い」と感じる。しかしそれは、日照り続きで困っている農家の存在が視野に入っていないからにすぎない。
あるいは、四角形だと思っていたものが、視点を変えれば円柱であったということもある。上司から理不尽に思える指示を受けたときも同様で、その背景にある事情や意図が見えていない可能性は高い。
このように、見えていない部分があるまま物事を判断することで、事実とは異なる「認知」が生まれる。そしてその認知は、ポジティブかネガティブかのどちらかに偏りやすい。これが「認知の歪み」である。
では、この歪みはどのようにして生まれるのか。
その一つの捉え方として、「物事には常に複数の側面が存在する」という前提がある。
一見マイナスに思える出来事の裏側には、別の側面が存在する。たとえば、事故によって車が損傷したとしても、それをきっかけに疎遠だった人とのつながりが生まれることもある。
また、屋外イベントが雨で中止になったとしても、その結果として家族と向き合う時間が生まれることもある。
重要なのは、出来事を無理にポジティブに捉えることではない。そうではなく、「見えていない側面があるかもしれない」と認識することである。
自分が見ているものがすべてではない。この前提に立つことで、認知の偏りは和らいでいく。
そしてこの視点こそが、物事を一方向に決めつけずに捉えるための思考、すなわち中庸思考の出発点となる。
ポジティブであることは本当に正しいのか
ポジティブ思考になれず、苦しいと感じたことはないだろうか。「ネガティブなことを考えていると現実も悪くなる。だから前向きに捉えよう」といった考え方である。
一見もっともらしいが、中庸思考の観点から見ると、この考え方には無理がある。
私たちは、出来事に対して「認知」「思考」「感情」「行動」という流れで反応している。通常であれば、ネガティブな認知はネガティブな思考や感情につながる。
しかしポジティブ思考では、ネガティブに捉えた出来事に対して、思考の段階で無理にポジティブへと変換しようとする。このとき、本来の認知と無理やりつくり出した思考のあいだにズレが生じる。
このズレは小さなうちは問題にならないかもしれない。だが、受け止めきれない出来事に直面したとき、その変換はうまく機能しなくなる。そして「ポジティブに考えられない自分」を責めるという、別の苦しさを生むことになる。
では、なぜ人はポジティブ思考に惹かれるのか。
それは、一時的にネガティブな感情から距離を置くことができるからである。しかしそれは、問題を見ないようにしているだけであり、根本的な解決にはなっていない。
同様のことは、成長に対する考え方にも当てはまる。
私たちの成長は、本来一直線ではない。停滞や後退に見える時期を含みながら、結果として前に進んでいくものである。しかし「常に右肩上がりで成長すべきだ」という前提に立つと、その過程の多くを「うまくいっていない状態」と捉えてしまう。本来は必要な時間であったとしても、それをマイナスだと認識してしまうのである。
ポジティブ思考も成長思考も、有効に働く場面は確かにある。しかし、それらに過度に依存すると、現実の一側面しか見えなくなり、かえって自分を苦しめることにもなりかねない。
重要なのは、無理にポジティブであろうとすることではない。そうではなく、出来事の中にある複数の側面をそのまま認識することである。
プラスとマイナスのどちらかに寄せるのではなく、その両方を含めて捉えること。この視点こそが、感情の揺れを小さくし、より安定した状態をつくる土台となる。
人はなぜ簡単に他人を判断してしまうのか
中庸思考は、人間関係にもそのまま応用することができる。私たちは無意識のうちに、他者の一部の特性だけを切り取り、「良い人」「嫌な人」といった評価を下しているからである。
「Aさんは素晴らしい」「Bさんは苦手だ」と感じるとき、その多くは特定の特徴にフォーカスしているにすぎない。人そのものを見ているのではなく、一側面だけを見て判断している状態である。
そのため、同じ特性を持つ別の人に出会えば、その評価は簡単に揺らぐ。好意的に見ていた人と同じ特徴を苦手な人にも見出した瞬間、その人への印象が変わることもある。つまり、私たちは一貫した基準で人を見ているわけではない。
これは、「事実をそのまま捉えていない」という状態である。人には多様な側面があるにもかかわらず、その一部だけを切り取ることで認知が歪む。
たとえば、店員に強い口調で接している人を見れば、その人を「横柄だ」と感じるかもしれない。しかし、その背景にどのようなやり取りがあったかは分からない。また、その人が別の場面ではまったく異なる一面を持っている可能性もある。
このような認知の偏りは、「尊敬」という感情にも潜んでいる。
私たちはしばしば、特定の特徴を理由に誰かを尊敬する。しかしそれは同時に、その特徴を持たない人を相対的に低く見ていることでもある。尊敬の裏側には、必ず比較の構造が存在している。
だが、本来はどの人にも多面的な価値がある。普段は見えていないだけで、身近な人の中にも尊敬できる側面は数多く存在しているはずだ。
では、この認知の歪みをどのように和らげればよいのか。
ポイントは、「人」ではなく「特性」に注目することである。
たとえば「気配りができる」という特徴は、「細部にこだわりすぎる」とも言い換えられる。「決断が早い」は「熟考せずに判断する」とも捉えられる。このように、どの特性も見方によってプラスにもマイナスにもなる。
つまり、評価を決めているのは特性そのものではなく、それをどう捉えるかという認知である。
この視点を持つことで、これまで苦手だと感じていた相手にも別の側面を見出すことができるようになる。人を単純なラベルで判断せず、よりフラットに関係を築くための土台が生まれるのである。
中庸思考は「選び続ける姿勢」である
ここまで見てきた通り、私たちは出来事そのものではなく、それをどう認知するかによって感情を生み出している。そしてその認知は、ときに一部の側面に偏り、歪んでしまう。
その結果、物事を過度にネガティブに捉えてしまったり、逆に無理にポジティブに変換しようとして苦しくなったりする。また、人間関係においても、他者の一側面だけを切り取って評価してしまうことで、不要な摩擦やストレスを生んでしまう。
中庸思考とは、こうした偏りに気づき、物事を一方向に決めつけずに捉えようとする姿勢である。
重要なのは、「正しく捉えよう」とすることではない。そもそも私たちは、すべてを正確に把握することはできない。だからこそ、「今の見方は少し偏っているかもしれない」と立ち止まることに意味がある。
出来事の受け取り方は一つとは限らないし、感じていることも、そのまま事実とは言い切れない。人についても同じで、見えている部分だけで判断している可能性は常に残っている。
こうした前提を持つだけで、物事への向き合い方は少しずつ変わっていく。
ネガティブな感情を無理に消そうとする必要はないし、ポジティブであろうと頑張る必要もない。ただ、自分がどのように捉えているのかに気づき、その偏りに少しずつ目を向けていく。
その積み重ねによって、出来事や他者に振り回されにくい状態が生まれていく。
中庸思考とは、何かを一度理解すれば終わるものではない。日々の中で、自分の見方を問い直し続ける、その選択の連続である。
物事を決めつけずに捉えようとすること。少しだけ余白を持って受け止めてみること。そうした姿勢が、偏りにくく、しなやかな生き方につながっていくのではないだろうか。
参考記事
なぜ、子どもとすれ違ってしまうのか
子どもとのすれ違いをなくすためにも、コミュニケーションが大切です。
なぜあなたは「成長したい」のか?
「成功しなければ」の病に取り憑かれているあなたへの1冊。
変われないことを責める前に
あなたを縛っているのは、幼少期の経験かもしれません。




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