むしろ今頃になって「今年中に実現したいこと」を掲げると、うまく行くんじゃないかというひらめき。3週間って絶妙にちょうどいい感じがする。手が届かなそうで届く、絶妙な範囲の目標設定ができそう。「目標」という言葉が似合うような太宗なものではなく、「今年中にアレ食べに行きたい、いや、行かなければ」といったような、ちょっと面倒だけど、自分の欲求に従うようなものだと良いのではないかと。年末に労いの意味も込めて。労いではなくストレートに努力を要するものだけど「〇〇の整理をしたい」とか「ちょっとずつ大掃除する」とかも少しハードル下がりそうである。ちなみに自分はつい昨日「今年中に会っておきたい人に会う」を達成できてほくほくである。クリスマスプレゼント送り合う流れにもなって、少し喜ばしい悩みが余計にそうさせる。持つべき物は友だな、と。
人に何かをして喜んでもらえる、つまり、貢献できたと実感できることは、ものすごく尊い気持ちになれることだと思う。そしてそれが、自分のやりたいこと、つまりワガママであればなおさらだ。そんなに頻度は多くはないけれども、大事な人に贈るものを考えてる時に出てくる、悩ましいのに喜ばしい感情、誰もが一度は感じたことがあるのではないのだろうか。
【エニシング・ユー・ウォント―すぐれたビジネスはシンプルに表せる】(デレク・シヴァーズ・著/児島修・訳)
「すべての法則を自分でコントロールできる小さな宇宙をつくること」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。これは同書のテーマである”起業”を言い換えたものである。同書を読めばこの意味がすんなりと腑に落ちると思うが、自分としては「ワガママと貢献が交差する環境の創造」と言い換えると、少しばかり具体度が増すような気がする。
「起業」となると、お金を儲けること、つまり、より多くの人に貢献することというイメージが先行するのではないだろうか。となると、生成AIでもビットコインでも量子コンピューターでも、ある程度はやっていて今後世の中の役に立ちそうなものを根幹としてビジネスを立ち上げるとよさそうな気もするが、誰もが分かる通り、それだけではうまく行かない。そこに起業した本人の「〇〇がしたい」という強いワガママが乗っていなければ、ならないのである。そんな一見すると当たり前だけど、実は忘れがちな感情の大切さを教えてくれる1冊が同書である。
あなたのワガママは、本当にただの”ワガママ”でしかないのか?
本書の著者はプロのミュージシャンである。1997年当時、インディーズの楽曲をオンラインで販売することは難しく、大手の流通業者を介するのが普通であった。大手の流通業者には販売用のCDを何千枚も渡す必要があり、その対価は1年後にやっと支払われるという状況。高額な広告枠を買うことができるものの、最初の数ヶ月の売れ行き次第では、システムから叩き出されてしまう始末。そんな業界の仕組みには関わりたくない、「資本の大小で音楽の売れ行きが左右されず、例え売れなくてもシステムから追い出されず、適切なスケジュールで支払いがされる仕組みがあれば」、そんな願いを持つ著者が立ち上げたビジネスが、CDベイビーというオンラインストアである。
当時としては常識から大きく離れた願いであり、著者のワガママである。しかしながら、著者が本当に願っていたワガママでもある。あなたも世の中の常識やルールについて、不満に思うことや「もっとこうなれば」といった感情を抱いたことはあるのではないだろうか。一見自分だけの勝手なワガママに思える感情ではあるが、果たしてそれは本当に、”あなただけ”が感じているワガママなのだろうか。他人と共有されていないだけで、世の中の多くの人が抱いているワガママである可能性はないだろうか。LUUPなどの場合はわかりやすいだろうが、実はこのようなワガママが、結果的に多くの人を助けるビジネスになるという事実を改めて実感できる。
内なるエネルギーであるからこそ、頑張れる
当然のことではあるが、ワガママは自分の内なる感情である。人に言われたから出てくる感情ではないし、頑張って出てくる感情でもない。生成AIでもビットコインでも、一見役に立ちそうなものを事業として起業するだけでは成功できないのは、その対象が自分のワガママに寄り添ったものではなく、続けているうちにビジネスに対する興味を失ってしまうからである。「流行りのものをビジネスとして扱って成功したい」と考えているのであれば一見正しいようにも思えるが、もしそうであれば、流行が変わる度にビジネスの形態を変えていく必要がある。そうでなければ、自分のワガママに則っていない状況となってしまうのである。同書では「あなたがハッピーになれるかどうかが大事」といった記載があるが、自分のワガママに則っていなければ、楽しく仕事ができないのである。
ワガママだからこそ、万人には好かれない
あなたのワガママが「世の中ではあなた以外の人間が抱かない感情」でない限り、ニーズが存在するし、ビジネスとして成功する可能性がある。一方、ワガママの普遍度合い、つまり同じ感情を抱く人がどのくらい多く存在するかによってビジネスの市場規模は変わってくるが、そのワガママはほぼ間違いなく「万人が抱く感情」ではない。(もし万人が抱く感情であるならば、それはもはやワガママではないと言えるだろう。)ということは、あなたがワガママに則ってビジネスを立ち上げる場合、万人に愛されるビジネスをつくることは難しい。同じワガママを持つ人しか救えないのである。「自分が過去にした苦しい経験と同じ経験をする人を減らしたいと思い、ビジネスを立ち上げました」といった話は耳にすることも少なくないが、こういうことなのだろうな、と思う。マーケティングでは「ペルソナ設定が大事」と言われるが、万人を助けることができないことを自覚すると「自分が助けたい、助けられる人はどんな人か」といった観点からペルソナを浮かび上がらせることができるのではないだろうか。
まとめ – やっぱりお金に惑わされていはいけない、ということ –
「すべての法則を自分でコントロールできる小さな宇宙をつくること」、つまり、「ワガママを貫いて自分もハッピーになるとともに、同じワガママを持つ人々を救うこと」が起業なのである。同書ではお金はあくまでも結果である、と説いており、お金を起点としてビジネスを考えるのは良くないのだという。よくあるビジネス書と同じ結論にたどりついている気もするが、同書の一連の流れを踏まえると、改めてこのメッセージに納得することができる。
同書、いわゆるこういった”熱量を持って正しさを伝えてくる”系統の自己啓発書の中でも、読みやすさを感じたのでオススメである。なぜ読みやすさを感じたのか、おそらく暑苦しすぎないからだと思っているが、多分「暑苦しすぎないから」という単語は微妙にふさわしくない。つい本日、感情の言語化に関する1冊を読んだのだが、今感じている感情をできるだけ正しく使えるニュアンスの言葉をピックアップする能力が足りていないことを痛感してしまう。良質なアウトプットで伝えたい、そんなことを思ってしまうものである。
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