なぜ勉強する気は起こらないのか? ― 勉強意欲を条件から考える

自己管理・ライフハック
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はじめに — 読む前に押さえておきたいこと

あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?

やらなければならないと分かっているのに、なぜか机に向かえない。始めてしまえばできるのに、最初の一歩がどうしても重い。

テスト前になると急に焦り、不安に駆られ、自己嫌悪に陥る。周囲と比べて落ち込み、「自分には向いていないのではないか」と考えてしまう。

一方で、淡々と努力を続けられる人もいる。勉強そのものを楽しんでいるように見える人もいる。

この違いは何なのか。やる気がある人とない人の差は、性格や才能によるものなのか。

本書が示すこと(著者の主張)

本書が扱うのは、「どうすればやる気が出るか」という単純な精神論ではない。

やる気には種類があり、その質によって持続性や成果が異なること。
やる気は内から自然に湧き上がる場合もあれば、目標や状況との関わりの中で形を変えること。
他者との比較や評価のされ方が、本人の意欲を大きく左右すること。
そして、不安の正体は結果そのものではなく、不確実性にあること。

やる気は、内発的か外発的かという二分法だけでは語れない。どれだけ自分の意思として引き受けられているか、自律性の度合いが重要である。

さらに、不安や悲観といった一見ネガティブな感情も、排除すべき対象ではない。それらをどう扱うかによって、行動の質は変わる。

やる気とは、才能ではなく条件の問題である。目標の置き方、比較の基準、結果への向き合い方といった前提を組み替えることで、意欲は変化する。

本書を読んで感じたこと(私見)

印象的だったのは、終始一貫して「自分を責めなくてよい」という前提に立っている点である。

重要なのは、感情そのものを否定することではなく、その扱い方を理解することだと感じた。

特に、不安を「消すもの」ではなく「使うもの」として捉え直す視点は示唆に富む。楽観的になれない自分を無理に変える必要はない。悲観的なら悲観的なりの戦い方がある。その姿勢は、精神論とは対極にある。

やる気とは、内面から突然湧き上がるのではない。目標の置き方や比較の基準、不確実性への向き合い方を調整することで、持続しやすい形へと整えていけるものだ。

本書は、「どうすれば頑張れるか」という問いを、「どの前提を組み替えれば動きやすくなるか」という問いへと変えてくれる。その転換こそが、この一冊の価値であると感じた。

やる気は「才能」なのか

学生時代、どれだけ勉強に励むことができていただろうか。

勉強が全般的に得意ではなかったとしても、相対的に「これはまだましだ」と感じられる科目が一つくらいはあったのではないか。最初は面倒に感じていても、いざ問題に取り組んでみると思いのほか正答できる。少しだけ手応えを感じる。その小さな成功体験が次の一問へと背中を押す。気づけば、その教科だけは夏休みのドリルを先に終わらせていた――そんな記憶はないだろうか。

一方で、周囲にはまったく違うタイプの人もいた。受験という目標に向かって淡々と努力を重ねる人。あるいは、成績や評価とは関係なく、学ぶことそのものに夢中になっている人。「どうしてあんなにもモチベーション高く取り組めるのか」と、羨ましさを覚えた経験がある人も少なくないはずだ。

やる気に満ちている人と、そうでない人。その違いはどこにあるのか。それは能力の差なのか、意志の強さなのか、それとも性格なのか。

勉強に対するやる気が起こらない理由は、単純な「怠け」ではないのではないか。もしそこに仕組みがあるのだとすれば、やる気は才能ではなく、理解し扱うことのできる対象になる。

そうした疑問から出発し、勉強に向かう気持ちの正体を明らかにしていく一冊を取り上げる。

勉強する気はなぜ起こらないのか】(外山 美樹 著)

外山 美樹

1973年生まれの心理学者。筑波大学大学院博士課程心理学研究科を修了に至らず中退した後も研究を続け、心理学の専門知識を基盤に活動している。

その後、筑波大学人間系(または人間総合科学研究科)の准教授として教育心理学を専門分野に研究・教育に従事している。専門領域は教育心理学であり、学習や行動の心理メカニズムに関する実証的研究を行っている。

複数の著作を通じて、心理学の理論と実践の橋渡しをする活動を続けている。論文や書籍では、モチベーション、行動の持続、発達と学習といったテーマに取り組んでいる。

やる気を分けるのは「自立性」である

やる気には種類がある

同じ「数学を勉強する」という行動でも、「問題を解くのが面白いから勉強する」のと、「テストで良い点を取ればお小遣いがもらえるから勉強する」のとでは、その質はまったく異なる。

前者は行動そのものが目的になっている状態であり、心理学では内発的動機づけと呼ばれる
後者は行動が別の目的のための手段になっている状態であり、外発的動機づけと呼ばれる

一般に、持続しやすいのは内発的動機づけだと言われる。行動そのものに価値を感じているため、報酬がなくなっても続くからである

しかし、ここで重要なのは、外発的動機づけは一様ではないという点だ。

外からの動機であっても、それをどれだけ自分の価値として引き受けているかによって、持続性は大きく変わる。やる気を分けるのは「内か外か」という単純な区別ではなく、どれだけ自立的かなのである

たとえば、次のような段階がある。

典型的な外からのやる気 叱られないためにやる(外発的動機づけ)
先生や親に怒られるから勉強する。これは最も自立性が低い。勉強は完全に「やらされている」ものである。

プライドによるやる気:恥をかきたくないからやる(外発的動機づけ)
成績が悪いと格好がつかない。良い順位を取りたい。他者の目は依然として影響しているが、自尊心が関わる分、わずかに内面化が進んでいる。

目標のためのやる気:目標のためにやる(外発的動機づけ)
志望校に合格したい。将来の夢のために必要だ。ここでは勉強が将来の自分と結びついている。行動の意味を自分なりに理解している状態である。

自己実現のためのやる気:成長したいからやる(外発的動機づけ)
能力を高めたい。できるようになりたい。目的は外にあるが、勉強そのものにも価値を見出している。

内からのやる気: 面白いからやる(内発的動機づけ)
知りたいからやる。解くこと自体が楽しい。行動そのものが報酬になっている状態である。

外発的動機に関して、①から④へと進むほど、自立性は高まる。そして、自立性が高いほど、やる気は持続しやすい

学生時代、勉強ができていた人を思い出してほしい。そのやる気は少なくとも①の段階にはとどまっていなかったはずだ。目標や成長と結びついていたからこそ、努力を続けることができたのではないか。

やる気は才能ではない。どの段階にあるかによって、その質と持続性が決まる。

では、どうすれば自立性を高めることができるのか。

自立性を高める鍵は「目標」にある

内発的動機づけが最も持続しやすい。しかし、それを意図的に生み出すことは容易ではない。

数学に苦手意識を持つ人に対して、「数学は面白い」と感じさせるのは至難の業である。内側から自然に湧き上がる感情を、外から操作することはできない。ロックが好きな人を、理屈でクラシック至上主義に変えようとするようなものである。

だからこそ現実的なのは、外発的動機づけをより自立的な段階へと引き上げることである。
そのための最も有効な方法が「目標設定」だ。

目標がやる気を高める理由は大きく二つある。

第一に、方向性を明確にする
何を目指すのかが定まれば、今何をすべきかが見える。努力の量や優先順位を調整できるようになる。

第二に、達成感を生む
自ら設定した目標を達成したとき、人は喜びを感じる。その経験が次の行動への原動力になる。

つまり目標は、行動の意味を与え、継続のエネルギーを生み出す装置なのである。外から与えられた課題であっても、「自分が目指していること」と結びついた瞬間、自立性は一段高まる。

ここで重要なのは、目標を複数構造で考えることだ。

最上位目標は、将来の夢や長期的なビジョンである。「医師になりたい」「海外で働きたい」といった、中長期的で抽象度の高いもので構わない。

一方で必要なのが、下位目標である。最上位目標を実現するための、具体的かつ短期的な目標だ。「〇〇大学に合格する」「今月中に参考書を一冊終える」「1日2時間勉強する」といった、行動レベルに落とし込まれたものがそれにあたる。

夢がどれほど壮大であっても、具体的な行動に変換されなければ、モチベーションは生まれにくい。人は抽象ではなく、具体に対して動く。

さらに、下位目標は「挑戦的でありながら実現可能」な水準で設定することが重要である。「1日20時間勉強する」は非現実的すぎる。一方、すでに勉強習慣がある人が「1日5分勉強する」と掲げても、成長実感は得にくい。

内発的動機づけを無理に生み出すことはできない。しかし、目標を通じて「自分の未来」と行動を結びつけることはできる。

それが、やる気の自立性を一段引き上げる第一歩である。標を掲げても、成長するためのモチベーションにはつながらない。

比較がやる気を左右する

再び学生時代を振り返ってみてほしい。

テストが返却されるとき、あなたは点数そのものと同じくらい、あるいはそれ以上に「クラス内での順位」を気にしてはいなかっただろうか。

中学時代に同程度の成績だったAさんとBさんがいる。Aさんは難関校へ進学した。しかし周囲のレベルの高さに圧倒され、「自分は勉強ができない」という認識を強めてしまう。結果として学習意欲は下がり、全国模試の成績も伸び悩んだ。

一方、Bさんは進学校には届かなかったが、入学先では上位に位置した。「自分はできる」という感覚を持ち続け、意欲的に学習を継続する。その結果、全国模試では高い成績を収めた。

珍しい話ではない。

人は絶対的な成果ではなく、「どの集団の中にいるか」という相対的な位置によって自己評価を形成する。能力の実態よりも、周囲との比較がやる気を大きく左右してしまうのである。

本来であれば、重要なのはクラス内順位ではなく、より広い基準での到達度である。それにもかかわらず、日常的に接する集団が評価の基準になってしまう。

だからといって、レベルの高い環境を避けるべきだという話ではない。問題は環境そのものではなく、「何と比較するか」である

極論を言えば、他者との比較をやめるのが最も健全だ。しかし学校という構造上、それは現実的ではない。

そこで有効なのが二つの視点である。

第一に、過去の自分との比較である。これは純粋に成長の有無を測る基準になる。他者の能力ではなく、自分の伸びに焦点を当てることで、努力と成果の因果が見えやすくなる。

第二に、比較の枠を意図的に広げることである。校外模試など、より客観的な指標を持つことで、狭い集団内の順位に振り回されにくくなる。

進学校に入ることは重要かもしれない。しかしそれ以上に重要なのは、自分の努力を前向きに継続できる心理的条件を整えることである。

環境はやる気を生むこともあれば、奪うこともある。だからこそ、「どこに身を置くか」と同じくらい、「何を基準に自分を評価するか」が決定的なのである

不安は排除するものではなく、戦略に変えられる

テストで良い点数が取れなかったらどうしよう。
前回より順位が落ちていたらショックだ。

勉強に真剣に向き合っている人ほど、このような不安に悩まされる。

勉強に限らない。プレゼンの結果、面接の評価、大切な人への贈り物。人は重要な場面であるほど、不安を抱く。

しかし、ここで一度立ち止まって考えてみたい。

私たちは「悪い結果そのもの」を恐れているのだろうか

実はそうではない。本当に不安を生み出しているのは、「どうなるか分からない」という不確実性である

結果が100%悪いと確定しているなら、人は案外冷静だ。現実を受け入れ、できる対策を打つしかないと判断できる。不安が強まるのは、「悪いかもしれない」という曖昧さが残っているときなのである。

この理解は非常に重要だ。不安の正体が“不確実性”であるならば、不安は単なる弱さではなく、状況への敏感さでもあるからだ

世の中には楽観的な人もいれば、悲観的な人もいる。一般には「なんとかなる」と前向きに考えることが推奨されがちだ。しかし、必ずしも誰もが楽観主義になる必要はない

「テストで失敗するかもしれない」と思うなら、苦手分野を洗い出し、復習計画を立てる。「緊張で実力を出せないかもしれない」と思うなら、模擬テストを繰り返し、当日の環境に慣れておく。

悪い結果を“想定”し、それを一つずつ潰していく。そうすれば、不確実性は減少し、不安は具体的な行動へと変わる。

楽観主義には楽観主義の勝ち方がある。そして、悲観主義にも悲観主義の勝ち方がある

重要なのは、感情を消そうとすることではない。自分の思考傾向を理解し、それに合った戦略を選ぶことである。

不安は敵ではない。それは「まだ準備が足りないかもしれない」と知らせるシグナルである。その不安を行動に繋げる事ができると、不安はやる気を削ぐ存在ではなく、努力を後押しする力へと変わるのである。

やる気は才能ではなく、設計できる

勉強する気が起こらないとき、私たちは自分の内面に原因を求めがちである。自分は意志が弱いのではないか、根性が足りないのではないか、と。しかし本当に問うべきなのは、性格ではなく前提である。

やる気は、ある日突然湧き上がる情熱ではない。内側から自然にあふれ出る場合もあるが、それは多くの場合、条件が整っているからこそ生まれている。逆に言えば、条件が整っていなければ、やる気が出ないのは自然なことである。

目標が曖昧なままでは、何をどれだけ努力すればよいのかが分からない。比較の軸が他者に固定されていれば、状況次第で自信は簡単に揺らぐ。不安を漠然と抱えたままでは、行動よりも回避が優先される。こうした前提の積み重なりが、やる気の出やすさを左右している。

重要なのは、感情を直接操作しようとしないことである。面白くないものを無理に面白いと思い込もうとしなくてよい。不安を感じる自分を否定しなくてよい。他人と比べてしまう自分を責める必要もない。必要なのは、目標の置き方を調整し、比較の基準を選び直し、不確実性に対して具体的な備えを講じることである。そうした工夫の結果として、行動は持続しやすくなる。

やる気とは、気合いや性格の問題ではない。思考の枠組みや取り巻く条件が変われば、質も強さも変わるものである。だからこそ、やる気が出ないことを自己否定につなげる必要はない。整えるべき前提がまだ見つかっていないだけかもしれないのだ。

「勉強する気が起こらない」という問いは、「自分にはやる気がない」という結論に向かうものではない。それは、「どの条件を組み替えれば行動しやすくなるのか」という設計の問いである。やる気は才能ではない。組み替えることのできるものなのである。

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