人は、想像できないものを選ばない

ライティング
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はじめに — 読む前に押さえておきたいこと

あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?

  • 一生懸命説明しているのに、いまひとつ伝わらない。
  • 丁寧に書いたはずの文章が、ほとんど読まれていない。
  • 時間をかけて考えた企画が、思ったほど反応を得られない。

内容には自信がある。間違ったことは言っていない。むしろ、かなり真っ当なことを言っているつもりだ。

それでも、手応えがない。

「自分の伝え方が悪いのだろうか」
「言葉のセンスがないのだろうか」
「そもそも、興味を持たれていないのだろうか」

そんな問いが頭をよぎることは珍しくない。

一方で、誰かの何気ない一言や、短いフレーズに強く心をつかまれることもある。内容としては自分の方がよほど考えているはずなのに、なぜかそちらの方が届いている。

この差は何なのか。

努力が足りないわけでも、能力が極端に低いわけでもない。それでも「伝わらなさ」だけが残る。この違和感の正体がわからないまま、言葉を重ね続けている人は多い。

本書が示すこと(著者の主張)

本書が一貫して扱っているのは、「人はどのように言葉を受け取っているのか」という構造である。

人は、論理的に正しいから納得するわけではない。情報量が多いから評価するわけでもない。ましてや、丁寧だから好意を持つわけでもない。

著者が示しているのは、人はまず自分との距離感で判断し、次にイメージできるかどうかで選別し、最後にようやく中身を見る、という順序である。

つまり、言葉は内容以前に、入口でふるいにかけられている。

だから、どれだけ正しくても、どれだけ有益でも、自分ゴトにならなければ存在しないのと同じになる。

本書は「どう言うか」よりも先に、「相手は何を見ているか」を考える視点を提示している。

本書を読んで感じたこと(私見)

印象的だったのは、言葉を「表現」ではなく設計として扱っている点である。

多くの伝え方の本は、言い回しやテクニックに焦点を当てる。
だが本書は、

「人はなぜ反応するのか」
「なぜ無視するのか」
「なぜ立ち止まるのか」

という問いを繰り返す。

この視点に立つと、「うまく言おう」とする意識が自然と引っ込む。その代わりに、「相手の世界はどんなものか」を考えるようになる。

これは技術の話というより、姿勢の話だと感じた。

伝えたいことがある人ほど、このズレは大きい。自分の頭の中から言葉を組み立ててしまうからだ。

本書は、その向きをひっくり返す。自分から出発するのではなく、相手の生活から逆算する。

この一手間があるかどうかで、言葉の届き方はまったく変わるのだと実感した。

『令和7年の日本人の世代別平均年収、前年比⚪︎万円減』はなぜ読まれるのか

『令和7年の日本人の世代別平均年収、前年比⚪︎万円減』

どこかで見かけたことがあるような、Webニュースのタイトルである。実在するものではないが、少なくとも「ついクリックしてしまいそうだ」と感じた人は多いのではないだろうか。

あなたがどのような職業についていても、あるいは扶養に入っていたとしても、「日本人の平均年収」という言葉にまったく関心が湧かない人は少ないはずだ。自分の収入と直接関係があるわけではない。それでも、なぜか気になってしまう。そんな不思議な力を、この言葉は持っている。

年収をはじめとするお金の話題は、本来あけすけに語るものではない。日常会話の中で積極的に話題に上ることも少ないだろう。

しかし、転職によって年収を上げた人の話を耳にしたり、SNSで同世代の資産額を目にしたりすると、心のどこかがざわつく。自分の生活水準に直結する指標であり、それが一種のステータスとして扱われることも多いからだ。意識していなくても、無意識のうちに反応してしまうテーマなのである。

だからこそ、

『昨年度の国勢調査の結果を踏まえた、日本人の年収水準の実態について』

というタイトルよりも、

『令和7年の日本人の世代別平均年収、前年比⚪︎万円減』

の方が、圧倒的に「読んでみたい」と感じられる。内容が同じであっても、伝え方が違うだけで、受け手の反応は大きく変わるのだ。

この違いはいったい何なのだろうか。

言語化は簡単ではないが、誰しも「思わず目を止めてしまうタイトル」と「そのまま流してしまうタイトル」があることは、直感的に理解できるはずだ。そしてそれは、自分だけの感覚ではない。多くの人にとって魅力的な言葉には、ある種の共通項がある。

言葉の選び方ひとつで、読まれるか、読まれないかが決まる。

同じ内容であっても、伝わり方はまったく変わってしまう。

今回は、そんな「言葉の力」に正面から向き合った一冊を紹介する。

22文字で、ふつうの「ちくわ」をトレンドにしてください】(武政 秀明 著)

武政 秀明

1976年兵庫県生まれの編集者・コンテンツディレクターである。関西大学総合情報学部を卒業後、Webメディアの編集・運営に携わり、東洋経済オンラインの編集長として多数の記事企画とタイトル制作を手がけた。現在はSUNMARK WEBの編集長として、企業やサービスの価値を「読まれる言葉」に変換する編集活動を行っている。膨大な実務経験に裏打ちされた、読者心理を踏まえた言葉選びと構成力に定評がある。

読む前に、もう選んでいる

「人は中身で判断するものだ」と、私たちはよく言う。見た目よりも性格。肩書きよりも人柄。表面よりも本質。少なくとも、そうありたいとは思っている。

だが実際の行動を振り返ってみると、本当にそうだろうか。

たとえば、

「“人は見た目が100%”論争の決着。あなたは本当に中身で人を選んでいますか?」

こんな記事タイトルを見かけたとする。

おそらく多くの人は、本文を読まなくても中身をある程度想像できる。

「結局、見た目が大事だというデータが出てくるのだろう」
「アンケート結果と心理実験の話だろう」

そんなイメージが自然と浮かぶはずだ。

ここで重要なのは、想像が当たっているかどうかではない。人は読む前から、すでに内容を“決めつけて”いるという点である

これは特別な能力ではない。誰もが無意識にやっている、ごく普通の情報処理だ。

次の二つを見比べてみる。

  • ベーコンのペペロンチーノ
  • 富良野産ベーコンたっぷりのペペロンチーノ

同じ料理である。材料も大きくは変わらない。だが、後者の方が魅力的に映る人は多いはずだ。

「富良野産」と聞けば、北海道の風景が浮かぶ。「たっぷり」とあれば、ベーコンの量を勝手に想像する。実物を見ていなくても、頭の中ではもう“美味しそうな一皿”が完成している。

つまり、人は実物ではなく、イメージを見て選んでいる

Webニュースも同じだ。

内容がどれほど有益であっても、タイトルで興味を引けなければ、そもそも読まれない。

営業の話を聞くかどうかは、最初に会ったときの印象で決まる。マッチングアプリの「いいね」は、ほぼ見た目で判断される。選考書類も、最初の数行で読むかどうかが決まる。

私たちは「中身を見てから判断しているつもり」だが、実際には入口でふるいにかけてから、中身を見ている

順番が逆なのだ。

なぜこんなことが起こるのか。

理由は単純で、世の中の情報量が多すぎるからである。

すべてを丁寧に読んで、比較して、検討していたら、時間がいくらあっても足りない。
だから人は、

「なんとなく良さそう」
「自分に関係ありそう」
「イメージしやすい」

そう感じたものだけを拾い上げる。

これは怠慢ではなく、生きるための処理方法である。

ここまで読んで、「結局、見た目が大事という話か」と思ったかもしれない。

だが、ここで言いたいのは

人は、理解してから動くのではなく、イメージできたものに反応している

ということだ。

この事実を知っているかどうかで、言葉の使い方も、伝え方も、まったく変わってくる。

そしてこの“イメージで判断する”という性質は、「なぜ人はそう考えるのか」という構造につながっていく。

なぜ人は、他人ゴトを見ないのか

自分は政治のニュースにほとんど興味がない人間だった。幼少期、両親が早起きだったこともあり、朝のニュースは日常的に目にしていた。だが、エンタメやスポーツ、占いには反応するのに、政治の話題だけはどうしても頭に入ってこなかった。

正直に言えば、今も積極的に追いかけているわけではない。それでも学生時代と比べると、明らかに「引っかかる」ようになっている。選挙の話題、税制改正、社会保障という話題に対し、完全に無関心ではいられなくなってきた。

その理由は単純で、自分の生活に直結するようになったからである

社会人になると、嫌でも税金を意識する。社会科の授業で学んだ知識が、「手取りが減る理由」として現実に立ち上がってくる。

どの政党が勝つかで、どんな政策が通るかで、自分の給料、生活費、将来設計が変わる。

つまり、政治が“概念”から“現実”に変わる

この瞬間、人は急に興味を持ち始める。

自治体の首長が誰になるか。それによって、インフラ、育児支援、教育方針がどう変わるか。

子どもを持つと、保育園の話が気になる。
家を買うと、街づくりの方針が気になる。
親が高齢になると、医療や介護の制度が気になる。

これらはすべて、「自分に関係あるから」気になる

一方で、こんな問いを投げてみる。

あなたは、家具メーカーをいくつ挙げられるだろうか。

ニトリ、IKEA、無印良品。ここまではすぐ出てくる人が多いだろう。だが、5社、10社となると急に詰まるはずだ。

決してマイナーな業界ではない。日常的に触れている商品である。それでも、ほとんど思い出せない。

それは、興味がないからである

ここで重要なのは、「知らない」のではなく、「意識して見ていない」という点だ。

人は、興味のないものを無意識に視界から外す。情報が存在していても、認知に乗らない。

これは怠慢ではなく、脳の仕様である。

人はすべての情報を平等に処理できない。

だから、
「自分に関係がありそうなもの」
「自分の経験とつながるもの」
だけを拾い上げる。

  • 年商1兆円企業のサラリーマンの実態
  • 年収1,000万円のサラリーマンの実態

この二つを比べたとき、多くの人にとって後者の方がイメージしやすい。

「年商1兆円」はスケールが大きすぎて、実感が湧かない。一方で「年収1,000万円」は、現実的な距離感として想像できる。

一方、年収1,000万円は遠い存在かもしれないが、それでも“自分の延長線上”に置ける。だから興味が湧く。

前述の二つのタイトルを思い出してほしい。

  • 昨年度の国勢調査の結果を踏まえた、日本人の年収水準の実態について
  • 令和7年の日本人の世代別平均年収、前年比⚪︎万円減

内容が同じでも、後者の方が「自分に関係ありそう」に見える。

なぜなら、「令和7年」「世代別」「平均年収」「減」という言葉が、自分の人生と接続できるからである。

ここから言えることは一つだ。

人は、他人ゴトを理解できない。正確には、理解しようとしない

まず「自分ゴト」にならなければ、情報は入ってこない

自分と関係がありそうか。自分の経験とつながりそうか。そこが見えた瞬間だけ、人は立ち止まる。

逆に言えば、どれだけ正しくても、どれだけ有益でも、自分ゴトにならない限り、存在しないのと同じなのだ

数字より、情景を渡す

  • ボリュームたっぷりの定食
  • 大盛り無料 ご飯150グラム→300グラムおかず7品の健康定食

どちらが魅力的に映るか。おそらく、多くの人が後者を選ぶ。

理由は明確で、前者は抽象的で、後者は具体的だからだ。

「ボリュームたっぷり」と言われても、人によって想像する量は違う。だが「150グラム→300グラム」と書かれれば、少なくとも「倍になっている」という事実は共有できる。

ここで重要なのは、正確さではなく、イメージできるかどうかである。

数字は強い。目を引くし、説得力もある。だが、数字はそれ単体では意味を持たない

たとえば、

耐久テスト93.7%クリアのマットレス

と書かれていても、正直、よくわからない人の方が多いはずだ。93.7%が高いのか低いのか。何回のテストなのか。どれくらいすごいのか、判断材料がない。

では、こう書いたらどうだろうか。

子ども2人が丸1日飛び跳ねても壊れない強度

正確性は落ちる。だが、圧倒的にイメージしやすくなる

子どもがベッドの上で跳ねる光景は、多くの人が想像できる。「それでも壊れない」という情報が、一気に現実味を帯びる。

ここで起きているのは、

数字 → 体験への翻訳

である。

人は、データでは動かない。自分の経験とつながったときに動く

耐久テストに立ち会ったことがある人は、ほとんどいない。

だが、
・子どもが家具の上で跳ねる
・勢いよくソファに飛び込む
・ベッドにダイブする

こうした経験は、多くの家庭にある。だから伝わる。

これはマットレスに限った話ではない。

たとえば、

  • 腸内環境が改善される
  • 1日が気持ちよく始められる
  • 免疫力が向上する
  • 風邪に負けない体づくりができる

意味していることは近い。だが、後者の方がイメージしやすい。

「腸内環境」や「免疫力」は概念であり、「気持ちよく始まる朝」や「風邪を引かない自分」は体験である。

人は、概念ではなく自分の生活の場面で物事を考える。

どれだけ正しい情報でも、どれだけ優れたデータでも、それが読み手の経験と接続しなければ、存在しないのと同じだ。

だから考えるべきは、

  • どんな数字を使うか

ではなく、

  • 相手は、どんな場面を生きているか
  • どんな経験をしてきたか
  • どんな一日を過ごしているか

である。

そこから逆算して、言葉を選ぶ。

「正しい説明」をする人は多い。「伝わる表現」を選べる人は少ない。

この違いはセンスではない。視点の置きどころの違いである。

相手の頭の中に、情景が浮かぶか。自分の生活に引き寄せて想像できるか。

そこまで設計して、はじめて言葉が「作用」するのだ。

伝える、ではなく「届く」言葉へ

ここまで見てきた通り、人は内容で判断しているつもりでも、実際には入口の印象で選んでいる。そして、自分ゴトにならないものは、そもそも認知に乗らない。これは意識の問題ではなく、人間の構造の話である。

だから、どれだけ正しくても、どれだけ有益でも、
相手の経験とつながらなければ存在しないのと同じである。

「ちゃんと考えているのに伝わらない、内容には自信があるのに反応が薄い」。そんな違和感を抱いたことがあるなら、問題は中身ではなく設計かもしれない。

言葉は、センスで刺さるのではない。相手の世界から組み立てられたときに、初めて届くのである。

参考記事

「つい」の衝動の起こしかた

「つい見てしまう」「ついやってしまう」は、言葉以外でも作れます。

長い文章が苦手なあなたへ

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