「自己」と「世界」のあいだで「心」はどう動くのか

幸福・心の成長
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はじめに — 読む前に押さえておきたいこと

あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?

・カウンセリングって、実際に何をしているのかよくわからない
・専門家が関わると、なぜ人は変化できるのか不思議に思う
・日常で誰かの話を聞くとき、どうすれば相手の心に届くのか悩む

こうした疑問は、単に「知識が足りない」ことに起因するわけではない。背景には、心の動きや人間関係の複雑さ、社会や環境との関わり方といった構造的な要素がある。

本書が示すこと(著者の主張)

本書は、一見魔法のように見えるカウンセリングを、「人の心と関わる営み」として解き明かす

著者は、カウンセリングの本質は「何を話すか」ではなく、「どのように人と関わるか」にあると述べる。人が心の非常時に陥ったとき、適切に関わり、支えることができる存在としてのカウンセラーの役割を、具体的かつ体系的に説明している。

さらに、カウンセリングは単に心の問題を治すものではなく、相談者の「自己」「心」「世界」の関係を理解し、どの部分にどの順序で働きかけるのが効果的かを判断する営みであることを示している。

本書を読んで感じたこと(私見)

カウンセリングは専門職のものという先入観があったが、本書を通じてその本質を理解すると、日常の人間関係にも応用できる視点であることがわかった。

特に印象的だったのは、「相手を変えるのではなく、相手が自ら変化する余白を支えること」がカウンセリングの核であるという考え方だ。

これに気づくと、日常の会話や対話でも、相手の心の動きを尊重しながら関わる重要性が自然と見えてくる。

なぜ「カウンセラー」という職業が存在するのか

有料のカウンセリングを利用したことがある人は、どのくらいいるだろうか。

ここで扱うカウンセリングとは、心の問題に向き合うための相談行為である。つまり、人生のなかで大きな壁にぶつかったとき、誰かに助けを求める場としてのカウンセリングだ。

おそらく、利用経験がない人のほうが圧倒的に多いだろう。日常生活のなかで接点がなく、「悩みごとは友人に話して発散している」という人も多い。そもそも、心身に深刻な支障をきたすほど追い詰められていないため、カウンセリングの必要性を感じないこともある。

医師や弁護士が扱うのは目に見える症状や法的な事実だが、カウンセラーが向き合うのは「心」である。心の変化は数値化できず、成果を測ることも難しい。資格制度こそあれ、どの程度「うまい」カウンセラーなのかを客観的に判断することはできない。

さらに、軽い悩みであれば友人や家族との会話で救われることも多い。つまり、人の心を少し前向きにするだけなら、専門家でなくとも可能なのだ。

では、それでもなお「カウンセラー」という職業が必要とされるのはなぜか。カウンセリングの場では、何が起きているのか。その本質を探る一冊を取り上げたい。

カウンセリングとは何か 変化するということ】(東畑 開人 著)

東畑開人

臨床心理士・公認心理師。1983年東京都生まれ。京都大学教育学部卒業、同大学院博士後期課程修了(博士・教育学)。精神科クリニック勤務を経て、現在は東京・白金高輪カウンセリングルームを主宰し、臨床実践と執筆活動を行っている。

専門は臨床心理学・精神分析・医療人類学。こころの問題を個人の内面だけでなく、社会や文化、時代の文脈から読み解く姿勢が特徴である。うつや不安、対人関係の悩み、アイデンティティの揺らぎなど、多様な相談に携わる。

著作や講演を通して、「人が支え合いながら生きるとは何か」「ケアの本質とは何か」を問い直し続けている。理論と実践をつなぐ語り口で、心理学を社会へと開く活動を精力的に展開している。

「怪しい」と思われがちな営みの本質

悩みを聞いてもらって不安を解消することは、素人にもできる。しかも、怪我の治療のように効果を数値で測ることは難しい。であれば、お金をもらってそれを行うことに、どこか「怪しさ」を感じるのも無理はない。

著者によると、このような認識は「もっともである」。しかし、それは“カウンセリングの外側”から見た印象にすぎない。

カウンセリングの本質は、「何を話すか」ではなく、「どのように関わるか」という“関係のあり方”そのものにある

つまり、曖昧に見える営みこそ、人間の深層に関わるきわめて実践的な仕事なのである。

カウンセリングは「誰でもやっていること」ではない

日常的な相談や共感は、広い意味ではカウンセリングといえる。しかし、多くの人が“怪しい”と感じるのは、もっと深い層──プライベートな価値観や人間関係にかかわる問題を扱うときだ。

心の問題で苦しむとは、「人が人に話をする」という当たり前が成立しなくなっている状態を指す。悩みを打ち明ける相手がいない。話す勇気が出ない。理解されない。そうしたとき、人は孤立し、孤独になる。

この“心の非常時”において、専門的に関わることができる存在こそが、カウンセラーなのである。

占いや宗教との違いは「つながり」への視点にある

心が苦しいとき、人はさまざまな方法で救いを求める。精神科で薬をもらう人もいれば、ジムや宗教、占いに頼る人もいる。

これらはすべて、「どうすれば楽になれるか」という人間的な応答だ。

カウンセリングとこれらの違いは、「つながり」というキーワードで説明できる

宗教や占いが神や霊的な力を媒介に救いをもたらすのに対し、カウンセリングは人と人との対話を通じて、現実的な関係を再構築する営みである。

つまり、信仰ではなく理解。奇跡ではなく関係。心を癒やすのは、超越的な力ではなく、「わかろうとする他者」なのだ。

「自己・心・世界」──カウンセリングが扱う三つの要素

繰り返しとなるが、本書で定義するカウンセリングのアプローチ先は「心」である。

カウンセリングの目的は、(見た目などを含む)自分自身や、自分の周りに起きている問題を解決することにある。しかし、そのためのアプローチは外側には向かわない。化粧品カウンセラーのように「あなたにはこのマスカラが似合います」と具体的な手法を提示してくれるわけではない。

では、なぜ「心」にアプローチするのか。著者はその理由を、カウンセリングの理論的な枠組みから説明している。

カウンセリングを論理的に理解するうえで押さえておきたいのが、「自己」「心」「世界」という三つの要素である

「自己」とは、自分の中の思い通りにならないもののことを指す。たとえばお腹が痛いとき、自己はコントロール不可能なものとして現れる。記憶もまた自己に含まれる。トラウマを思い出すのを防ぐのが難しいのは、記憶という自己が意志によって制御できないからだ。一般的な「自己=主体的な私」というイメージとは異なることに留意したい。

「世界」とは、物理的環境や社会、他者など、自分の外側にあるすべてのものを指すこれらもまた、私たちが完全にコントロールすることはできない。上司の判断、友人の態度、社会のルール——いずれも自分の思い通りにはならない。私たちは、それらと折り合いをつけながら生きている。

そして「心」とは、その中間にあり、自己と世界のあいだを調整する働きをもつ。身体(=自己)が疲れているものの、山積みの仕事(=世界)があるとき、「もう少し頑張ろう」と自分を励ましたり、「今日は無理をしないでおこう」と緩めたりする。こうした“折り合いをつける機能”こそが心である。

ここで重要なのは、「本当に自己と世界の間に心が存在するのか」という問いそのものが、カウンセリングにおいては本質ではないという点であるこの三要素は、心の仕組みを“理解するための形式”であり、現実に観測できるものとしての心を説明しているわけではない

心とは、実体としてどこかに“ある”ものではなく、人と人との関係の中で立ち上がる「はたらき」なのだ。苦しさや不安を語り、受け止められることで、初めて心という現象が形を持ちはじめる。

このように見ると、カウンセリングとは、目に見えない“心という関係のはたらき”に働きかける営みであることがわかる。心が不安定になると、自己(体・感情)と世界(他者・環境)の間のバランスが崩れ、「自分でもどうしようもない」という感覚に陥る。

カウンセリングでは、このバランスを直接「治す」のではなく、対話を通じてその“あいだ”をゆっくり整えていく。つまり、心を修理するのではなく、心が再び動き出すための余白をつくる営みだ。

だからこそ、カウンセリングの目的は「心を変えること」ではなく、「心がもう一度、世界とつながり直せるようにすること」だと言える

カウンセリングでは、何が起こっているのか

「自己」「心」「世界」の関係性を理解すると、カウンセリングで起きていることが見えてくる

カウンセリングでは、問題がどこで、どの程度生じているのかを見定め、どの部分への変化を促すのかを判断していく。問題が自己(身体)にあるのか、世界(環境)にあるのか、心にあるのか。たとえば、うつや統合失調症といった問題は自己に、虐待や貧困は世界に、パーソナリティや葛藤は心に関係している。

もっとも、現実の多くのケースでは三つが密接に絡み合っている。環境に問題があれば、身体の不調や心の動揺が生じないはずがない。つまり、相談者の悩みは「自己」「心」「世界」のどの側面からも捉えることができるそのうえで、どの文脈で扱うのが効果的かを見極めることが、カウンセラーの役割である。

どの部分に、どの順序で介入するのか。このアセスメントを行うために、カウンセラーは徹底的に「聞き、わかる」ことを目指す

ここでいう「わかる」とは、「心の置かれている全体状況」と「心の動き方」を理解することである

前者は心単体ではわからない。環境や身体の状態を踏まえ、心が辿ってきた経緯や今後の展望までを含めて捉える必要がある。後者は、その人の心がどんなパターンで動くのかを知ることだ。たとえば「幼少期のトラウマから、人付き合いの際に依存的な関係を求めやすい」といった傾向である。

この二つを把握することで、問題の構造を理解し、改善の道筋を描くことができる。反対に、環境を変えるべき問題に対して「心の成長」を待とうとするのは、結果的に相談者を放置することになる。社会の問題を心の問題として処理し、自己責任論にすり替えることも同様だ。

カウンセリングとは、感情的なやりとりではなく、きわめて論理的で体系化された実践なのである

変化は「何もしないこと」から始まる

物事を良い方向に進めたいとき、私たちはどうするだろうか。多くの人は努力し、行動することで現状を変えようとする。

しかし、著者がカウンセリングの中で見出した本質はまったく逆だ。「何もしないこと」に全力を注ぐ。すると、心の奥で、静かに何かが動き出すのだ

現状に抗おうとして、あるいは自分を保とうとして行動するのではない。何もしないことを選び、自然に動き出した心に従っていくそれが、カウンセリングにおける「変化」の始まりである

この世界には、どうしても変えられないもの、変えるのが極めて難しいものが存在する。それでも、ふとした瞬間に、これまで怖くて近寄れなかったものに一歩踏み出せることがある。避けていた問題に、ようやく正面から向き合おうとすることがある。

そのとき現れるのが、「勇気」である

これまで運命に押し流されるように生きていた人が、少しずつ能動的に世界へ関わり始める。そうして「自己」「心」「世界」がゆっくりと変化していく。この過程こそが、カウンセリングのゴールだ。

逆に言えば、勇気は「出そう」として出せるものではない。それは、心の深いところから自然に立ち上がってくるものだ。カウンセラーは相談者を理解し、「何もしないこと」に徹することで、その勇気が芽生える瞬間を支える。変化を急がず、心の動きを信じて待つ——それを体系的に行うのが、カウンセラーという職業である

カウンセリングとは、心という見えない領域を扱いながらも、明確な理論と手順に基づいて人の変化を支援する営みである。その本質を理解することは、「人が変わる」とは何を意味するのかを、改めて考えることにつながる。

変わるとは、つながりを取り戻すこと

本書を通じて見えてくるのは、「変わること」と「つながること」は同義だということである。

人は孤立した状態では、自分の心の動きを信じられない。しかし、誰かが「わかろう」としてくれることで、心は再び動き始める。変化は努力の結果ではなく、関係の中から静かに生まれてくるものなのだ。

カウンセリングとは、その“心の動き”が自然に立ち上がるための場を整える営みである。そして、その思想は、日常を生きる私たちにとっても普遍的だ。

誰かを変えようとせず、ただ「わかろう」とすること。それが、他者と自分を救う第一歩なのかもしれない。

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