幼い頃あまり好んでいなかった食べ物を好むようになるのはなぜだろう。昔から魚の小骨嫌い族であり、今も退団していないのだが、ここ数年で鰻の美味しさを理解してしまった。つい昨日も色々あってちゃんとした鰻屋さんでひつまぶしを奮発して注文してしまうほど。1.5人前?とのこと。刺身も成人するまでは割とNGの部類出会ったのに、お酒を飲むようになってというか、居酒屋に訪れる年齢になって、大丈夫になった。お寿司もそう。鯖、絶品です。
反対に、嫌いになったものはすぐには思い浮かばない。昔より満腹中枢が刺激されやすいといった感覚はあるものの、焼き肉のカルビを拒絶してしまうほどではないレベルである。将来的に拒絶してしまうのかどうかは不明だが、今のうちに堪能できるだけ堪能しておくべきであろうか。年齢を重ねても、脂っこいものが大丈夫な方は、消火器が少し強いのだろうか?体質?消化酵素とか関係あるのだろうか。フードファイターの方達は、体質的に何かが異なっている気はするのだが。。
「いっぱい食べられるようになりたい」と思うかどうかは人それぞれだが、「天才になりたい」と思ったことがある人は少なくないのではないのだろうか。うまく言語化するのは難しいが、自信が天才であるかどうかにか関わらず、幼少期の頃から「天才」に触れる機会があることがその理由の1つなのではないかと思う。言ってしまえば、戦隊ヒーローも、巨大な悪を薙ぎ倒す「天才」であるような気もしないでもないような気もする。
しかしながら、年齢を重ねるにつれ、挫折や失敗を経験するにつれ、「自分は天才ではないかも」と自覚する。この事実に気づいてしまった時、それでも天才になることを求めるのではなく、非天才であることを受け入れて生きていくことを薦めるのが「置かれた場所で咲きなさい」になるのだろう。
では、非天才であることを自覚しさえすれば、それで幸せなのだろうか。絶対とは言わないが、なかなかそれだけでは、難しい印象である。”自分が非天才であることは悔しいながらも認めるものの、非天才なりに会社や世の中に何かを貢献しなければ、自分も本当の幸せには辿り着けないのではないか”といったモヤモヤ感を抱いている人にオススメしたいのがこの1冊。
【天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ】(北野唯我・著)
同書のメッセージは、以下の2点に凝縮できる。
・与えられた自分の才能のカードを知りなさい
・自分の才能のカードの使い方を知りなさい
以上である。
まず大前提として、同書では「ビジネス」というフィールドにおいて、人間を3つの分類で定義している。
①天才:創造性を強みとする人。
②秀才:再現性を強みとする人。
③凡人:共感性を強みとする人。
「世界を良くするという意味で、創造的かどうか」が天才の評価軸である。理解されやすいかどうかは問題ではない。一方凡人の評価軸は「その人の考え方に共感できるかどうか」である。理解され、共感されなければならない。万人にとって理解でき、わかりやすく、多数決で勝利できるものが正義となる。どちらが良い、悪いということはないのだが、上述の通り、天才と凡人とでは”良し”とするものが異なる。これが、凡人が天才になれない理由である。
次に、秀才について。自身の知識や経験、組織のルールに基づき、それを良しとして判断し行動できるのが秀才である。論理・データ・数字をもとにした立ち振る舞いができるのであるから「(具体的・定量的な根拠が乏しかったとしても)共感ができるかどうか」に重きを置く凡人の考え方を軽んじやすい。また、”今より世界を良くする可能性をもつ、創造的なもの”は、今の世界ではその魅力を定量的に説明することが難しい場合も少なくはないため、ロジカルな説明を求められるビジネスの場においては、天才は秀才には勝てない。
このように、人間は天才・秀才・凡人という3つの才能に分類でき、それぞれの良しとするものが異なっていることをしっかりと認識しておくべきであるのだという。そして上述の例のように、他の才能の持ち主になろうとすることは難しく、普通に接していれば組織が上手く回っていかないことも少なくはない。だからこそ、自分の才能のカードを知ることに加え、その使い方を知ることも大切なのである。
同書では、組織が上手く回っていく理由は、3人のアンバサダーの影響によるものだと解いている。
・天才と秀才を繋ぐ、創造性と再現性の持ち主:エリートスーパーマン
・秀才と凡人を繋ぐ、再現性と共感性の持ち主:最強の実行者
・凡人と天才を繋ぐ、共感性と創造性の持ち主:病める天才
これが、3人のアンバサダーである。
同書では、人間は3つに分類できるという前提のもと、その才能は0:100ではなく、創造性:再現性:共感性の割合で決まるものだと説いている。つまり、凡人に分類される人の中にも、創造性や再現性を持ち合わせているということである。このロジックに従うと、2つの才能が同じ程度の割合を持つ人も存在し得るということとなる。
あなたがもし、人より優れた共感性の持ち主で、自身の経験やデータ、ロジックを重要視する上司を説得したい場合、どうするのが効果的だろうか。この場合、最強の実行者を巻き込むのが効果的であるのだという。要は、「ロジックを重要視しつつも、同じくらい共感の力の強さを認識している人を味方につけよ」ということである。また、トップに立つ天才の創造性を潰さないようにするためには、全てをロジックで語る秀才ではなく、説明ができない創造性の力を理解しつつ、再現性に対する高い感度を持った秀才がサポートが必要不可欠ということである。MBTIの全てを頭に入れておくことは難しいが「人間は3つの才能によって分類でき、その橋渡し的な存在であるアンバサダーの活躍によって、組織は上手く回っている」といった簡潔さであれば、才能に対する理解のハードルがグンと下がるのではないだろうか。
同書、内容としては自己啓発書に分類されるものと思うが、書対?としてはストーリー仕立てとなっており、小説のようにスラスラ読める。自分としては、難しい内容もそれほど多くはなく、内容も理解しやすいと感じているので、おススメだ。
ところで、本が読めない人は、なぜ読めないのだろうか。興味がそそられないのがその理由であるのだとすれば、”簡単な要約があって、その内容が自分に関係する、または求めている情報であれば、読む気力が湧いているか”と先日ものすごく信頼できる友人に聞いてみたのだが、答えはnoであった。曰く、”環境”とのこと。他にやりたいこと、やれることがあるのでば、本を読む気力が起きず、ブックカフェなどの本を読むための整った環境が必要なのだそうだ。ちなみに、本を読む必要性は感じているらしい。”読める”も才能の1つなのかもしれないが、その1言だけで片付けてしまうのは惜しいような、悔しいような。
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