まず、ちゃんと聴く — 相手と自分を理解するためのコミュニケーションの核心

コミュニケーション
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はじめに — 読む前に押さえておきたいこと

あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?

・人の話をちゃんと聞いているつもりなのに、なぜかすれ違いが生じる
・相手の話に耳を傾けているのに、気づけば自分の意見を押しつけてしまっている
・「話を聞く」と「話を聴く」の違いを意識したことがあるが、実践できている自信がない

こうした悩みは、単なる「聞き方のテクニック不足」ではなく、私たちがそもそも「聴く」とは何かを十分理解できていないことに原因がある。

本書が示すこと(著者の主張)

「聴く」とは、単なる「聞く」とは違い、withoutジャッジメントで相手の言葉を受け止めるあり方である。そこには、自分の解釈を差し挟まず、相手の関心に寄り添う姿勢が必要になる。

そのためには、言葉をそのまま返す言語スキルや、相手の体験を追体験するような非言語スキルが役立つ。さらに「聴く」ことは、自分の内なる多様性を認めることとも結びついている。自分の中にある異なる意図を肯定できる人は、他者の意図も否定せずに受け止めることができる。

つまり「聴く」とはスキルにとどまらず、自己理解と他者理解をつなぐ生き方そのものなのだ。

本書を読んで感じたこと(私見)

私自身、普段から「相手の話をよく聞こう」と心がけているつもりでも、無意識のうちに自分の判断や価値観を交えてしまっていたことに気づかされた。だからこそ、相手が本当に伝えたいことを聴き取れていなかったのではないかと思う。

特に印象的だったのは、「聴くことは多様性を認めることだ」という視点である。自分の中にある複数の意図を否定せず受け止められる人は、他者の言葉も同じように受け止められる。この考え方は、コミュニケーションだけでなく、人間関係や自己理解を深めるうえでも大きな示唆を与えてくれる。

なぜ、私たちは「正しく聴けない」のか

「聞く」と「聴く」の違いは何だろうか。

ビジネススキルやコミュニケーションに関する講座などで、しばしば投げかけられる問いである。

日常生活においても、職場や家庭においても、他者とのやりとりは欠かせない。そして、その中心にあるのは「きく」ことだ。誰もが重要性を理解しているはずなのに、多くの人は、正しい「きき方」を身につけられていない

例えば、「相手の話を遮らず、否定せずに耳を傾けよう」と努めても、必ずしも状況が改善するとは限らない。「話を聞いてしまうと、実現しなければならないのでは」と感じてモヤモヤしたり、結局どこに落とし所を見つければよいのか分からなくなったりする。

私たちは日々、数え切れないほど人の話を「きいて」いる。それにもかかわらず、コミュニケーションにおける正解をまだ掴み切れていないのである。

では、どうすれば人の話を本当に「きける」ようになるのか。ただ耳を傾けるだけでなく、物事を良い方向へ導くために必要なものは何か。今回紹介するのは、まさにその「きき方」に焦点を当てた一冊である。

まず、ちゃんと聴く。 コミュニケーションの質が変わる「聴く」と「伝える」の黄金比】(櫻井将 著)

櫻井将

「聴くこと」の可能性を探究し続ける専門家。横浜国立大学を卒業後、ワークスアプリケーションズで営業として社長賞を受賞し、人事総務部マネージャーを務めた。その後、GCストーリー株式会社にて新規事業や健康経営の推進に携わる。

2017年よりエール株式会社代表取締役を務め、研修やオンライン1on1を通じて「聴く力」の普及に取り組んでいる。自身も年間300回以上の1on1や多数の講演を実践し、理論と実務をつなぐ活動を続ける。さらに慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の研究員として、個人の幸せと組織の生産性の両立をテーマに研究を行っている。教育分野への関心も深く、NPO設立や保育士資格取得を通じて「聴かれる体験」の重要性を発信している。

「聞く」と「聴く」を分けるもの

「聞く」と「聴く」の違いは何か。

「聞く」と「聴く」の違いは何か。

改めて考えると、一般的な説明はこうだろう。

聞く=無意識に耳に入ること
聴く=意識的に耳を傾けること

英語でいえば「hear」と「listen」の違いに近い。

しかし本書によれば、ただ意識的に耳を傾けるだけでは、まだ「聴いている」とは言えないという。

本書が定義する「聴く」とは、「自分の解釈を差し挟むことなく(=withoutジャッジメントで)、相手の言葉に耳を傾ける」行為である。

例えば「子どもには小さいうちから英語を勉強させるべきですよね」と問われたとする。自分が同意見であれば「そうそう、私もそう思います」と答えるだろう。一見すると会話は前向きに進んでいるように見えるが、ここには「小さいうちから英語を勉強させるべき」という自分の解釈が入っている。つまりこれは「聞く」であって、「聴く」ではない

「聴く」としての返答は「何が、そう思わせるのですか?」となる。この場合、自分の解釈を交えず、相手の関心に寄り添っている。

大きな違いは「視点」である「聞く」では関心が自分や相手自身に向くが、「聴く」では関心が相手の関心事に向いている面と向かって意見をぶつけ合うのが「聞く」であり、横に並んで同じ景色を見ようとするのが「聴く」のイメージだ

「聴く」ことのメリットは、賛成・反対にかかわらず会話を続けやすい点にある。相手の意見に同意できれば「聞く」でも前向きな効果が生まれるが、いつもそうとは限らない。反対意見をそのまま返せば角が立つこともある。上司・部下や友人関係であれば避けたい場面だ。こうしたとき、「聴く」ことで相手と同じ側に立ち、話を膨らませていくことができる。

つまり「聴く」というのは、単なるスキルではなく「あり方」そのものなのである

あり方を変えることは、子どもとの関わりにも役立つ。

たとえば万引きをした子どもを叱るとき、多くの場合「万引き=悪いこと」という前提で理由を確認せず叱ってしまう。もちろん行為自体は間違いだが、その背後にある意図を確かめることは重要である。

行動には必ず「肯定的意図」があるとされる。この場合「猫に食べ物をあげたい」「お腹をすかせた弟に分けてあげたい」など、子どもなりの合理的な意図があったのかもしれない。

つまり、行為そのものと意図を分けて考えることが大切なのだ。万引きは許されないが、その意図を受け止めてあげれば「この人には話していい」と子どもは感じる。結果として「自分の意図には善意があったが、その行為が周囲に悪い影響を与えてしまった」と理解できるかもしれない。逆に意図を確認せず頭ごなしに叱れば、子どもは「話しても無駄だ」と感じ、心を閉ざしてしまう。

withoutジャッジメントで、肯定的意図を確認するように「聴く」。これが本書の示す「聴く」というあり方である。

言語スキルと非言語スキル

コミュニケーションの質を高めるには、「withoutジャッジメント」という姿勢が重要である。だが、それだけではない。実際の場面で活かせる具体的なスキルも存在する。大きく分けると、それは「言語スキル」と「非言語スキル」である。

言語スキル

言語スキルとは、相手が使った言葉をそのまま使うことだ。

一見するとラポール(信頼関係)の構築が目的のように思えるが、本質はそこではない。

例えば友人が「この前キャンプに行ったんだけど、直前まで雨で、薪もペグも抜けて大変だったんだよ」と話したとしよう。共感を示したいあなたは「天候が荒れて、散々だったんだね」と返すかもしれない。だが、この返答は危うい。相手にとっては「いや、荒れていたほどではない」「散々ではなかった」と、話の焦点がずれてしまうリスクがあるからだ。

相手と同じ言葉を使う目的は、「相手を自分の主観的な世界から引き離さないこと」にある。つまり、相手の語る世界を壊さず、むしろその解像度を上げていくことが大切だ。同じ言葉を使い、相手の主観を再現するつもりでやりとりを続けることで、コミュニケーションの質はぐっと高まる

非言語スキル

「メラビアンの法則」をご存知だろうか。言葉・声・表情が矛盾したとき、人はどこに影響を受けるのかを示したものである。結論は、視覚情報が55%、聴覚情報が38%、言語情報が7%。つまり「何を言ったか」以上に、「どんな態度で表現したか」が重要なのだ

ただし、これは「相手の動作をマネすればよい」という意味ではない。大切なのは、相手の話を一緒に体験しようとする姿勢である。

意識的に相手の仕草をまねるミラーリングでは、フォーカスは「相手」そのものに向きがちだ。しかし「一緒に体験する」という姿勢では、関心が「相手の関心事」に向かう。

たとえば小さな子どもが遊園地の思い出を話すとき、「楽しかったね」と冷静に返すよりも、「速いね!高いね!すごいね!」と、ジェットコースターや観覧車をイメージしながら応じる。友人が温泉旅行の話をするときも、「ゆっくりできてよかったね」より「のんびりできて最高だったね」と追体験するように返すほうが良い。

相手の関心事に寄り添うと、行動も自然と相手に近づいていく。意図的なミラーリングはときに「わざとらしい」と感じられるが、こうした自然な寄り添いは「もっと話したい」「聴いてもらいたい」という前向きな感情を引き出す。

感嘆詞にこだわる必要はない。相手と同じ状況に立った自分を想像し、その感覚にふさわしい言葉を返す。それだけで、コミュニケーションはより豊かで楽しいものへと変わっていくのである。

「聴くこと」は多様性を認めること

会社というものは、同じ目的を持った人たちが集まり、仕事を進める場である。そこにはミッション・ビジョン・バリューや経営理念が存在し、それに基づいて事業が営まれている。

しかし、実際の仕事の場ではしばしば意見の食い違いが生じる。営業部と開発部の対立などは、その典型だろう。

こうした衝突は他人同士の間だけでなく、自分の内面にも起こる。「ダイエットをしたい自分」と「おやつを食べたい自分」の対立は、多くの人にとって日常的な出来事である。

では、この時「本当の自分」とはどちらなのか。おやつを食べたい自分は衝動的で、ダイエットをしたい自分は高次の欲求に基づいているから、後者が本当の自分なのだろうか。

結論は、「両方とも本当の自分」である。自分は必ずしも一枚岩ではなく、どちらにも肯定的な意図がある。ダイエットを望む自分も、おやつを楽しみたい自分も、どちらも大切にすべき存在なのである。

これが「多様性」である。肯定的意図そのものを否定するのではなく、受け止める姿勢が必要になる。複数の自分を認められる人は、自分の内なる多様性を受け入れられる人であり、同時に他者の意図も否定せずに受け止められる人だそしてそれこそが、相手の話を「聴ける」人である

つまり、相手の話をしっかり聴くことと、自分の中の多様性を認めることは同じ姿勢に基づいている。聴くことの本質は、多様性を受け入れることにあるのだ。

「聴くこと」がひらく世界

ここまで見てきたように、私たちは日常的に相手の話を「きいて」いるつもりでいても、実際には解釈を差し挟んでしまい、正しく「聴けて」いないことが多い。

「聴く」とは、ただ耳を傾けることではないwithoutジャッジメントで相手の言葉に寄り添い、背後にある肯定的意図を受け止める姿勢である。その違いは、子どもとの関わりのような身近な場面でも、職場でのコミュニケーションでも大きな差となって表れる。

また、聴く力は抽象的な心構えだけでなく、具体的な言語スキルや非言語スキルを通じて実践できる。相手の言葉をそのまま使い、相手の体験を追体験するように返すことで、会話は深まり、信頼が築かれていく

さらに「聴くこと」は、多様性を受け入れることでもある。自分の中の異なる欲求を認められる人は、他者の意図も否定せずに受け止めることができる。つまり「聴く」という行為は、自己理解と他者理解をつなぐ架け橋なのだ。

結局のところ、「聴くこと」とは単なるテクニックではなく、生き方そのものである。相手の関心に耳を澄ませるとき、私たちは相手との関係性を育み、自分自身の内なる多様性とも向き合う。そこにこそ、コミュニケーションの質を根本から変える力がある。

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