はじめに — 読む前に押さえておきたいこと
あなたはこんな悩みを抱えていないだろうか?
- 仕事や日常で「運が悪い」と感じることが続き、もどかしさを覚える
- 偶然の出来事に振り回され、自分の力ではどうにもできない気がする
- 「運がいい人」と「運が悪い人」の違いは何なのか、知りたいと思っている
- 何となく「運」を信じているが、具体的にどう向き合えばよいかわからない
こうした悩みや疑問は、多くの人が経験するものだ。目に見えず掴みどころのない「運」とどう付き合うかは、日々の選択や行動にも大きく影響する。
本書が示すこと(著者の主張)
「運」とは、単なる偶然の積み重ねではなく、「偶然に気づき、それを活かす能力」である。
偶然は誰にでも平等に降りかかるが、その偶然をチャンスに変えるかどうかは、自らの心の持ち方や日常の習慣にかかっている。「セレンディピティ」と呼ばれる、予期せぬ幸運を掴むためには、オープンマインドで物事を捉え、失敗と呼ばれる出来事すら価値ある経験ととらえることが必要だ。
また、困難な状況も単なる試練ではなく、長期的に見れば成長や転機につながる可能性があると考えるフレームを持つことが、運の良さを高める鍵である。
本書を読んで感じたこと(私見)
運を「自分ではどうにもできない外的な要素」として捉えてしまうと、無力感や諦めを生みやすいが、本書はその見方に対して大きな希望を与えてくれる。
自分の視点や行動を少し変えるだけで、偶然の幸運に気づく力は高まり、結果として人生の好転につながるかもしれない。
「運がいい人」とは単に偶然を待つ存在ではなく、自らのマインドと行動で運をつかみ取ることが可能だと強く感じた。
「運」とは何か──見えない力との付き合い方
あなたは、自分自身のことを「運がいい人」だと思うだろうか?
この問いは、意外にもその人の性格や価値観がにじみ出る。たとえば、「思考は現実化する」と信じる人なら、迷いなく「私は運がいい」と即答するかもしれない。一方で、「運はコントロールできない」と考える人は、「どちらとも言えない」と慎重に構えるだろう。
とはいえ、「運なんて存在しない」と完全に否定する人は、あまり多くないのではないか。運は目に見えないし、数値化もできない。けれども、私たちは日々の出来事を「運が良かった」「ついてなかった」と意味づけながら生きている。多くの人にとって、運とは確かに“あるもの”なのだ。
では、「運がいい」とは、どういう状態なのだろう?
そもそも運とは、自分の外側から降ってくる偶然の出来事なのか。あるいは、私たち自身の中にある“何か”が、その「運の良さ」を形づくっているのだろうか。
今回は、そんな「運の正体」について考えるための1冊を紹介したい。
【運のいい人が幸運をつかむ前にやっていること: セレンディピティの科学】(クリスチャン・ブッシュ 著 , 土方奈美 訳)
クリスチャン・ブッシュ
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)でキャリアを重ね、現在はニューヨーク大学スターン経営大学院の教授として活躍。専門は経営戦略と社会変革。スタンフォード大学や世界経済フォーラム(ダボス会議)などでも講演を行い、組織や個人が「偶然」をチャンスに変える方法論の研究で注目を集めている。実務と学術の両面に精通し、グローバルに活躍する思想家のひとり。
土方奈美
翻訳家。慶應義塾大学文学部卒業後、英日翻訳を中心に幅広い分野の書籍を手がける。ビジネス書、自己啓発書、ノンフィクションに多数の訳書実績を持ち、読みやすさと原著のニュアンスを活かした丁寧な翻訳に定評がある。
運の捉え方の違いと「運がいい人」の秘密
運が良いか悪いかという話になると、よく次のような意見に分かれる。
一つは、「人によって降りかかる運の量が違う」という考え方だ。確かに、偶然のチャンスや出来事の総量は人それぞれ異なり、相対的に「運がいい人」と「運が悪い人」が存在すると見る立場である。
もう一つは、「降りかかる運の量はみな同じであり、違いはそれをどれだけ活かせるかにある」という考え方だ。この見方では、運とは単なる偶然の数ではなく、それを捉え活かす能力やマインドこそが「運の良さ」を決めるものとなる。
このどちらが正しいかを科学的に証明することは難しい。なぜなら、「運の総量」を具体的な指標で測ることはできず、「運が良い・悪い」という線引き自体もあいまいだからだ。
しかし、本書が採用しているのは後者の考え方だ。つまり、「運が降ってくる量」ではなく、「それに気づき、活かせるか」という部分に焦点を当てている。
個人的にも、この考え方には賛成だ。なぜなら、運を「自分でコントロールできる要素がある」と感じられるからだ。もし「運が良い悪いは偶然の降りかかる数」と定義してしまうと、それは自分から完全に切り離された外的なものとなり、無力感を抱きやすい。
しかし「運の良さは偶然に気づき、それを活かす力にある」と認識すると、ポジティブに行動できる気がする。もちろん、この考え方で本当に運が良くなるかは証明できないが、少なくともプラセボ的な効果は期待できるだろう。
すべてを自分の思い通りにコントロールしようとするのは良くないかもしれない。それでも、この考え方を採用することで、偶然に気づき、それをプラスに変える行動を始めるきっかけになるはずだ。
「運がいい人」と呼ばれる人の秘密は、思考の切り替えから始まるのである。
どうすれば「運のいい人」になれるのか
「運がいい」「運が悪い」の違いをもたらすのは、偶然に降りかかる数ではなく、それに気づけるかどうかのマインドの差である。
改めてではあるが、同書の考え方はこうだ。これに基づき、どうすれば運がいい人になれるのかを紹介していく。
予想通りに進まないことを「失敗」と定義しない
計画通りに物事が進むことはとても気持ちがよく、多くの場合、明らかにいい状態だといえる。
しかし、偶然のチャンスを活かすこともまた「いい」ことである。そして偶然のチャンスを活かすということは、計画通りでないことを意味している。
本書のキーワードのひとつが「セレンディピティ」だ。予期せぬ偶然によって、価値ある発見や幸運を掴むことを指す。このセレンディピティを享受するには、計画とは異なる予期せぬ事態を単なる失敗だと切り捨てないマインドセットが必要だ。
あなたが遭遇した偶然の出来事や観察、入手した断片的な情報の中にも、思わぬ価値のつながりが見つかるかもしれない。そして、それらをクリエイティブに融合させていくこともまた、運の良さを生み出す重要な要素なのである。
たとえば、日常の何気ない会話で友人が話した趣味や仕事の話が、自分の興味やスキルと結びつき、新しい趣味を始めたり副業のアイデアが浮かんだりすることがある。また、街中で偶然見かけたイベントポスターやテレビで流れたニュースが、自分のキャリアや生活に役立つ情報だった、なんて経験も少なくないだろう。
こうした小さな偶然を見逃さず、積極的に活かす姿勢が、運の良さを引き寄せる鍵となる。
世界を捉えるフレームを変える
人生のどこかで辛い経験をし、そこから再び好転させた経験を持つ人は特に共感できるだろう。
人生の大きな困難には、何らかの大きな価値が潜んでいる。
もちろん、好き好んで悪い状態に陥ることを推奨しているわけではない。人はどうしても上手くいかない時期があるが、振り返るとそれが自分を大きく変える経験や成長の機会であったことが多い。実際に「一度挫折したけれど、それが何も変わらなかった」と言う成功者はほとんどいない印象だ。
しかし、困難の渦中にいる人にとっては苦しいのは確かだ。そんな人に著者は、「世界を捉えるフレームを変える」ことを勧めている。
たとえば、長期間の失業や大きな病気など、すぐには解決できない困難に直面した時、短期的な損失だけでなく、そこから得られる新たな視点や学びに目を向ける。そうすることで、経験を後から大きな価値に昇華できるという考え方だ。
また、「もっと悪い状況になっていたかもしれない」という視点を持つことも効果的だ。例えば、交通事故に遭ったが軽傷で済んだ場合、命を落とした可能性もあったことを思い返す。このように考えることで、現在の困難も実は最悪ではないと認識でき、心理的な余裕を生む。
このように、世界や出来事の捉え方を変えることで、目の前の困難もまた、運の良さを育む機会に変わる。
運を味方にするマインドと行動
偶然降りかかるチャンスに「気づき」、それを別の何かに「結びつけ」、結果として新しい価値を生み出す力こそ、運の良さにとって最も大切な要素である。
この「気づき」と「結びつけ」、すなわちセレンディピティを生み出すためには、自分の望んでいない情報や出来事にもオープンである姿勢が欠かせない。計画通りに物事を効率よく進めるタイパ・コスパ主義とは真逆のアプローチだ。
多くの人にとって「成功」は重要なテーマだろう。だが、100%計画通りに物事が進むことだけが成功への道ではない。むしろ、予想外の出来事や計画通りでないこともまた、運の良さを育むチャンスなのである。
予想外の出来事は「失敗」ではなく、新たな可能性への扉である。
私たちができることは、偶然の中に隠れた価値を見逃さず、自分のアンテナを張り巡らせ、そしてそれらを結びつけて活かすことである。その積み重ねこそが、運を味方につける鍵だ。
運は偶然の積み重ねに見えて、実はマインドのあり方と行動の結果である。今日から「運がいい自分」を信じ、偶然のチャンスを見つけ活かす一歩を踏み出そう。
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