社会を変える!アート思考の本質とは

知見を広げる

3連休最終日。3時台に目が覚めてしまい、グダグダ動画を見たり本を読んだりで6時前。そこから歯を磨いたり筋トレしたり朝ごはんを食べたりでちょうど朝8時。ちなみに、昨日も早起きできた。本読んでも時間が余ったので、思い出せないぐらいぶりに朝ランに行ってきたのだが、細胞がいつも触れたことのない前の空気を取り込んでいる感覚に陥り、アドレナリン?がすごかった。いつもの夜ランでも清々しさは感じているのだが、朝は朝で良いな、と。温度感もこれぐらいが良いよね。今日も行こうかしら。朝ごはん食べなければよかったか。

時間をうまく使える人は朝の使い方が上手いことが多いことを事実では認識している。目的意識なく早く目覚めた日でも十分にメリットを享受できているのだから、目的意識を持って早く起きる習慣を身につけたら、間違いなく強いのだろう。一方、朝活系の自己啓発を読む勇気が出ない。絶対に腰の重さが故。いっぽ踏み出して読み、そのままアクションまで繋げたい。

さぁ、今日は朝活ではなくアート思考の話。ロジカル思考が大事なのは多くの人に認知されているのではないだろうか。フレームワークに囚われすぎるのはよくないものの、MECEに基づいて物事を洗い出して比較することや、事実と感想を分けて伝わるようにすることなど、物事、特にビジネスを前に進めるために役立つ。本屋の自己啓発コーナーにもロジカル思考の書籍が多く見られるようになって久しい感じがするし、その重要度が認知され、多くの人に役立つスキルであることが証明されているのだろう。一方、最近なんとなく”アート思考”に関する書籍も多く見られる気がする。

【東京藝大美術学部 究極の思考】(増村岳史・著)

同書には

– アート思考とは何か –

だけでなく、

– なぜ”今この時代に”アート思考が必要とされているのか –

についても記載されている。

まず、アート思考とは何だろうか。他の書籍や厳密な定義とは若干異なっているかもしれないが、”自分自身の内から湧き上げる「純粋な衝動」と向き合う思考”のことであるという。東京藝術大学の美術学部の入試では、対象を”どう描くこうとしているか”(≒作品)を通して、”どう捉えているか”、”どう考えようとしているか”、”どう模索しているか”を判断されるそうだ。「上手に模写できれば合格」とはならないのだから、同学に合格するためには、絵の技術だけでなく、対象を解釈する力や、自分の中に湧き出たものを表現する力が必要となるのだろう。そしてこれが、”今この時代に”必要とされる力となる。

自分がやりたいことがわからないのはなぜだろうか。特に世界中のさまざまな情報にアクセスできる今日このごろであるのにも関わらず。この質問に対して明確な回答を持っていない自分には推測しかできないが、「自分なりの価値観や尺度を持っていない、または持っているものの、それに対する解像度が低いから」ではないだろうかと思う。1つの会社で定年まで働くやり方が普通ではなく、万人にとってのヒーローが存在しづらくなっているからこそ、自分の内面と向き合い、自分なりの答えを考え抜き、それを実現するためのアクションを起こしていく必要があるのではないだろうか。

アクションにより自分を実現しているフェーズでは、ロジカルに考えることの比重が高まるのではないかと言う一方、自分の内面と向き合うフェーズでは、アート思考の比重が高まる。普遍的なフレームワークだけではなかなか答えが出しづらいこのフェーズにおいて、大事にしておきたい考え方についても、同書には記載があった。

まず1つ目は、「言葉以外の非言語の世界があると言うことを認識すること」である。あなたは自分の感情を、100%ピタッと当てはまる言葉で表現できるだろうか。自分の感情にピッタリフィットする言葉が出てこないことはないだろうか。それは表面的に見れば「ボキャブラリーが少ないから」という理由によるものと捉えることができるが、たとえあなたが辞書に載っているすべての言葉を知っていたとしても、100%自分の内面を表現することができないということは大いにして有り得る。そして同書では、そのことを認識しておく必要があるということが説かれている。安易に言葉というフレームワークに当てはめてしまうことに逃げず、言語化できない部分を掘り下げ、それを捉え、表現しようと試みることで、自分なりの価値観や尺度を想像する力を養えるのだそうだ。

もう一つは「良いインプットができなければ、良いアウトプットは生まれない」ということだ。アートという世界においては、対象をしっかりと観察しなければ、自分の中に湧き出たものを正しく(解像度高く)表現することは難しいといったところである。多くの美大入試の1次試験ではデッサンが課されるそうだが、これは「基本的な絵の技術力」を見ることのほかに「対象を観察する力」を判断することも目的になっているのだという。言われてみれば当たり前な感じもするが、(少なくとも一般的には高い技術によって表現された作品の中で、)どうやって良し悪しを判断するのだろうと考えていた自分にとって、これは新鮮な気づきでもあった。”上質なインプットをしなさい”と囁いてくる物知りなおばあちゃんを心に宿すことで、常日頃から意識するようにしておきたい。

「アートに必要とされる力って、ビジネススキルとは逆のベクトルに伸びる力ではないか」と想定していた自分にとっては、気づきをもたらしてくれる一冊であったが、今回の投稿はいつも以上に自分の解釈に寄りすぎているため、同書に記載された内容を正確に言語化できている気がしない。同学の試験に関する内容などは「へぇ〜」と感心させられる内容も多く、読みやすさも感じられるため、自分のような「アート領域食わず嫌い」な人に手に取っていただきたい。

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