「ここだけはおさえて」ポイント
この本が届く人・届いてほしい人
- SNSや同僚との何気ない会話で、「自分は人より劣っている」と感じてしまう瞬間がある
- 目の前のことには真面目に取り組んでいるのに、「このままでいいのか」と満たされなさを抱えている
- 頑張っているのに自己肯定感が上がらず、つい他人の評価や視線を気にしてしまう
この本が届けたい問い/メッセージ
多くの人は、無意識のうちに他人と自分を比較し、自分が「特別ではない」ことに苦しんでいる。結果として、自己評価が下がり、他人の期待に応えようとするばかりで、自分らしさを見失ってしまう。しかし、本当に大切なのは他人と競争することではなく、自分自身の価値を認識し、それを活かしていくことだ。
「自分は普通じゃない」と感じることが、必ずしも悪いことではない。むしろ、それを受け入れることで、他者と比較することなく、あなたがあなたらしい価値を発揮できる道が開ける。
読み終えた今、胸に残ったこと
何よりも大きな気づきは「優れていること=勝っていること」という思考から解放されたことだ。この思考にとらわれることで、つい他人と自分を比較してしまう。しかし、それがどうして生まれるのか、その理由について納得できたのは大きな収穫だった。
また、現代の効率主義の中で「誰もが何者かになろうとする」風潮に窮屈さを感じている人にとって、この本が提供する「特別である必要はない、自分らしさを大切にする」というメッセージは非常に救いとなる。常に他人の基準に合わせようとする必要はなく、今の自分を大切にすることの大切さを改めて教えてくれる1冊となっている。
なぜ私たちは「普通」であろうとするのか
あぁ。自分は特別じゃないんだ。
そんなふうに気づいてしまった瞬間を、心のどこかに抱えている人は多いのではないだろうか。
特に「勉強」や「スポーツ」といった、学生時代に評価されやすい分野でそれなりに成果を出してきた人にとって、社会に出てからのこの実感は、意外と深く刺さるものだ。どれだけ努力しても、どれだけ自分の強みを活かしても、上には上がいる。通用しないものは通用しない。その現実を前にして、私たちはふと立ちすくんでしまう。
けれど、思い出してほしい。あなたが知っている成功者の中に、一度も失敗や挫折を経験せずに成功にたどり着いた人が、どれだけいるだろうか。本人がそれを「挫折」と呼ぶかは別として、外から見れば何度も壁にぶつかっている人ばかりではないだろうか。
「自分は普通だ」と認めたうえで、それでも前を向いて進んでいく。そうした人たちが、結果的に道を切り開いてきたのではないかと思う。
もちろん、自分が「特別ではない」と気づくのは、決して気持ちのよい体験ではない。けれど、その事実とどう向き合うかが、その後の人生を左右する。
今回紹介するのは、まさにそんな「特別ではない自分」との向き合い方について語る1冊だ。
【「普通」につけるくすり】(岸見一郎・著)
岸見一郎
1956年、京都府生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程修了後、長年にわたり西洋哲学、とくにプラトン哲学を研究。また、アドラー心理学の第一人者としても知られ、哲学と心理学を架橋する実践的な思索を続けている。代表作『嫌われる勇気』(共著)は、日本国内のみならず世界各国で翻訳され、自己啓発書の枠を超えて多くの読者に影響を与えてきた。著書では常に「人が自分らしく生きるとは何か」を問い続け、難解になりがちな思想を、実生活と結びつけて語る語り口に定評がある。
比べずにいられない理由は、子ども時代にあった
「自分は普通ではない」という思考は、たいてい他人との比較から生まれる。「みんなは普通だけれど、自分だけが違う」といった感覚である。
少し傲慢な考え方にも思えるが、「自分は特別だ」と感じた経験は、誰しも一度はあるのではないだろうか。では、そうした思考はどこから来るのか。
たとえば、あなたが長男や長女だったとしよう。弟や妹が生まれた瞬間、母親の関心が自分から移ってしまったように感じたことはなかっただろうか。それまで自分ひとりが受け取っていた愛情を、誰かと分け合うことになった。そのとき、子どもは「いい子」であろうとする。より優秀であることで、母親の関心をもう一度自分に向けようとするのである。
末っ子はどうか。一見、甘やかされて自由気ままな印象があるが、実は兄や姉の存在が常に比較対象となる。年齢や経験でかなわないことが前提にあるからこそ、劣等感を抱きやすくなり、同じように「自分はできる」と証明しようと努力する。
では真ん中の子――第二子はどうか。長子のように最初の特別扱いを受けた経験もなく、末っ子のように注目される立場でもないと感じがちだ。その結果、誰とも違う「特別な存在」になろうとする。もちろん、これは事実というより、本人が感じ取っている感覚である。
ここで「じゃあ一人っ子はどうなんだ」と思う人もいるかもしれない。一人っ子であっても、親や周囲の大人から「褒められたい」「認められたい」という気持ちを抱くのは同じだ。兄弟がいなくても、比較の相手はクラスメートや近所の子どもになるだけで、やはり人は「特別」であろうとする。
こうして人は、自分なりのやり方で「特別」であろうとし始める。勉強でも、スポーツでも、どこかで人と比べ、「特別になりたい」と思う気持ちが芽生える。
つまり、「自分は特別だ」という思考の根底には、他人からの評価―特に「褒められたい」という願望があるのだ。
競争で勝たなくても、人は価値を持てる
人間は成長するにつれて、「認められたい」と思う対象が変わっていく。子どもの頃は親だけがその対象だったとしても、次第にクラスメート、部活の仲間、職場の同僚、あるいは「世間」といったより広い存在に変わっていく。
そして、その「認められたい」という感情は、多くの場合、自分の得意なことで褒められることによって満たされる。だが、どれだけ得意なことがあっても、世の中には必ずと言っていいほど、その上をいく存在がいる。「自分は特別ではない」と悟る瞬間は、そうした比較のなかで訪れる。
では、「特別じゃないこと」は悪いことなのか?
その答えは、もちろん「No」だ。悪いどころか、それをネガティブに捉える必要すらない。
なぜなら、「優れていること」とは、本来、他人との競争によって決まるものではないからである。
「特別であろう」とする感情の背景には、多くの場合、誰かとの比較がある。兄弟姉妹との張り合いや、クラスメートとの成績競争、チームメイトとのポジション争い。どれも同じ土俵に立ち、「上か下か」で自分の価値を測ろうとする構造になっている。この構造に身を置き続ける限り、「勝った者=価値がある、負けた者=価値がない」と考えてしまいがちだ。
しかも、その感覚は、人からの評価によってますます強化されていく。
得意なことを褒められる場面は、たいてい競争の文脈の中にある。テストの点数、スポーツの記録、プレゼンの出来栄え。どれも「誰よりもできたかどうか」が基準となる場面だ。その結果、知らず知らずのうちに「人に勝つこと」が「優れていること」だと思い込むようになってしまう。
では、この「競争で勝つこと=優れている」という思考から抜け出すには、どうすればよいのか?
答えは明快である。他人と同じ土俵で戦おうとするのではなく、自分自身の土俵をつくり、そこで価値を発揮することに注力するのだ。
「自分らしい価値」とは、誰かと比較されて浮き彫りになるものではない。自分自身の感性や経験、関心や信念に根ざしたものである。それを見つけ、磨き続けることでしか、「誰かに勝つこと」とは異なる意味での“優れている”を実感することはできない。
「優れている」より、「あなたらしい」を大切に
“優劣”という言葉には、つい他人との比較を想起させる響きがある。しかし、この本が伝えたいのは、競争で誰かに勝つことを「優れている」と見なす思考から離れることだ。
「優れている」とは、本来、あなたがあなたらしく価値を発揮している状態を指す。それは、他人との優劣の中にあるものではない。どれだけ周囲と比べて“普通”に見えたとしても、自分らしい力を発揮できていれば、それは確かに“優れている”といえるのである。
「特別」であることについても、もう一度立ち止まって考えてみたい。
仮に「特別=人より高い能力を持つこと」と定義するなら、必ずしも私たちは特別である必要はない。しかし、あなたがあなたらしく振る舞い、あなたなりの価値を発揮しているとき、その姿は間違いなく“特別”だ。他人と比べて目立たなくても、そこに確かな意味がある。
大切なのは、「評価されること」と「自分の価値を感じること」を混同しないことだ。
他人からの評価は、あなたの価値を決める絶対的なものではない。むしろ、評価軸を他人に委ね続けることは、自分を苦しめる原因となる。なぜなら、「褒められるため」に動くと、自分の納得や誇りを犠牲にしがちだからだ。
とりわけ仕事においては、自分なりに納得のいく仕事をし、その結果として人の役に立つ、という順番がちょうどいい。他人の期待に応えようとするあまり、自分を見失ってしまっては、本末転倒である。
「“素敵な人”と評価されること」ではなく、「“素敵な人”であろうとすること」。
このスタンスを大切にすることで、少しずつ自分自身を肯定できるようになるはずだ。何か特別なことをする必要はない。今のあなたにできることを、あなたらしく積み重ねていくこと。それこそが、自分にできる最も誠実な生き方なのではないだろうか。
まとめ – あなたはすでに、あなたである
「自分は普通じゃないのかもしれない」。そんな不安は、多くの場合、他人との比較から生まれる。「特別でありたい」「認められたい」という思いは自然なものだが、そこに執着すると、自分の価値を見失ってしまうこともある。
本書が伝えたかったのは、他人より秀でることを「優れている」とする考えから自由になることだ。あなたは、誰かに勝たなくても、もうすでに価値のある存在である。自分らしく価値を発揮することが、本当の意味で「優れている」ことなのだ。
評価に頼らず、自分の感覚に正直であること。それが、他人との比較から距離をとり、自分を肯定する第一歩となる。「特別でなくても大丈夫」と思えたとき、あなたの人生は、きっと軽やかになる。
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