雨の日に傘をさすためにできること

脳科学・心理学

「ここだけはおさえて」ポイント

どんな人にオススメの1冊?

🔹 こころの不調を抱える大切な人を支えたい人
 - 相手が苦しんでしまうことに悩んでいる
 - どう声をかければ相手が安心できるのかを知りたい

🔹 相談にのることが多いが、自分自身の余裕がなくなっている人
 - 友人や家族の話を聞き続けるうちに、こころの余裕が減っていると感じている
 - 相手のためのケアと、自分自身のケアのバランスを知りたい

🔹 ケアのスキルを深めたい心理職・支援者
 - クライアントや相談者の話を聴く際に、どこまで介入すべきか迷うことがある
 - 「きく」と「おせっかい」等のスキルを学び、適切なケアを目指したい

ポイント①:晴れの日には正しいケアも、雨の日には間違いになることがある

人間には健やかなときもあれば、元気がなくなるときもある。健やかな晴れの日にはケアになるはずの言葉が、雨の日には相手を傷つけてしまうことがあることを知ることが大切。

ポイント②:雨の日には「分かろうとすること」が大切

雨の日には、どうしたら相手を傷つけないのか、わからなくなる。このときに大切なのは「どう対処するか」ではなく「どう理解するか」。一般的な晴れの日のアプローチを実践するのではなく、相手を分かろうとすることから始めることが大切。

ポイント③:「きく」と「おせっかい」で、相手のこころを受け止める

相手のこころを分かるためのポイントは「きく」と「おせっかい」である。内面の変化と環境の変化を起こし、「よく分かっている」と相手に感じてもらうことで、ちょっとずつ相手の心が分かるようになり、ケアが前進していく。

ポイント④:ネガティブな感情を悪者にしない

関係が深まるほど、ケアの相手にネガティブな感情を持ってしまうことは避けられない。大切なのは、ネガティブな感情を持つことを予防するのではなく、そうなってしまったことを修復すること。変化を認識し、関係を再調整することが、より良いケアとなる。

オススメ度:★★★★★

こころのケアとははじめるものではなく、はじまってしまうものであるため、事前の準備や学習が難しい。そんな素人の心のケアについて、深く知ることができる1冊。著者は臨床心理学者であるが、専門的な心のケア方法を素人である我々でも実践できるように落とし込んだものとなっているため、読みづらさはなく、理解しやすい。雨の日における教科書になってくれるだけでなく、晴れの日においてもコミュニケーションや人間関係に関する学びを得られる一冊。

雨の日のケアは、晴れの日と同じじゃない

「きっと良くなるよ、大丈夫!」

この言葉に、あなたはどう感じるだろうか。

軽く風邪をひいた程度なら、前向きな気持ちになれるかもしれない。でも、こころの不調が続いているときはどうだろう?

「大丈夫なわけがない」と感じて、逆に苦しくなることがある。頑張りたい気持ちはあるのに、もうどうしたらいいのかわからず、無力感に苛まれてしまうのだ。

人生には、元気いっぱいの「晴れの日」と、どうにも気持ちが沈んでしまう「雨の日」がある。どちらの日にもケアが存在するが、同じケアではうまくいかないこともある

今回は、そんな「雨の日」に相手を傷つけない、こころのケアの方法を教えてくれる1冊をご紹介する。

雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら】(東畑開人・著)

東畑開人

臨床心理学者であり、臨床心理士・公認心理師。​専門は精神分析と医療人類学で、白金高輪カウンセリングルームを主宰。​また、慶應義塾大学大学院社会学研究科の訪問教授や立命館大学大学院人間科学研究科の客員教授も務めている。

2005年に京都大学教育学部を卒業。​2007年に同大学大学院教育学研究科修士課程を修了し、2010年には博士後期課程を修了。​博士論文「心理臨床における美の問題」で京都大学より博士(教育学)の学位を取得している。​その後、精神科クリニックでの勤務を経て、2014年に十文字学園女子大学の専任講師、2019年に同大学准教授を務め、2022年に退職。​現在は白金高輪カウンセリングルームでの活動に専念している。

晴れの日と雨の日、言葉の響きは変わる

コミュニケーションでは「受け手がどう捉えるか」がとても重要だ。特に、こころのケアが必要な「雨の日」は、普段以上にその重要度が増す。

こころの調子が崩れている「雨の日」は、普段の元気な「晴れの日」とは違う状態。だからこそ、同じ言葉でも受け止め方が変わってしまう。

「気にしないで」と声をかけたつもりでも、相手には「私の気持ちはどうでもいいんだ」と届いてしまうことがある。いつもと同じつもりでかけた言葉が、逆に相手を傷つけてしまうのだ。

大切なのは、「雨の日には晴れの日と同じケアが通じない」と知っておくこと。この認識が、相手を傷つけないための第一歩となる。

どう対処するかより、どう理解するか

相手の心に「雨」が降っている時、どうすれば相手を傷つけずにケアできるかを感じ取るのは簡単ではない。なぜなら、ケアをする側は通常「晴れの日」を過ごしているからだ。また、雨が降る理由は人それぞれ異なり、仮に自分が雨の日を経験したことがあっても、それが必ずしも相手に役立つとは限らない。

つまり、雨の日に効果的な普遍的な対処法は存在しない。ネットや書籍、動画で紹介されている方法が通じるのは、晴れの日の状態の時だけだ。だからこそ、「どう対処するか」を考えるよりも、「どう理解するか」を優先すべきなのだ。

一人ひとりが異なるニーズを持っているからこそ、傷つけない方法を考えることが大切だ。相手が何を必要としているのか、どんな助けを求めているのか、どうすればその負担を軽くできるのかを考える。そうすることで、自然と最適な対処法が見えてくる。

こう聞くと「相手の心を理解するのは難しい」と感じるかもしれないが、心配いらない。同書では、この課題を乗り越えるための方法が2つ紹介されている。

「きく」と「おせっかい」で、相手のこころを理解する

相手の心を理解するための方法は、ズバリ「きく」「おせっかい」である。

「きく」→「考える」→「わかる」で、内面の変化を引き起こす

自分の感情を相手にストレートに発射してしまうのが雨の日だ。そしてこれと同じ反応をするものの筆頭が赤ちゃんである。

嫌なこと、不快なこと、気に入らないことがあると、すぐにオギャーと泣いてしまう。泣き声に乗せて、そのマイナスの感情を相手(主には母親・父親)に発射する。

そして母親・父親はその泣き声を不快に感じてしまう。赤ちゃんのマイナスの感情が、そのまま受け取られるからだ。これは決して悪いことではなく、ごく当たり前の感覚だ。

しかし、このとき同時に「どうしたんだろう?」「なぜ泣いているんだろう?」と思い、熱があるのか、お腹が空いているのかと一つひとつ確認していく。最終的にオムツを確認し「おしりが気持ち悪かったんだね」と謎が解ける。そして、オムツを変えてあげる。こうなれば、赤ちゃんはごきげんだ。

ここでのポイントは、赤ちゃんがごきげんになったことだけではない。両親が赤ちゃんの気持ちをわかって、こころが消化されたこと(≒泣き声を不快だと感じなくなったこと)である

「きく」の真髄はここにある。「聞く」は、言葉通りに受け止めることだ。「オギャー」の泣き声をそのまま受け止めることとなる。もうひとつの「聴く」は、言葉の奥にある気持ちに耳を澄ますことである。先ほどの例では「どうしたんだろう?」「なぜ泣いているんだろう?」と思考を働かせる部分に該当する。

この2つの「きく」によって「考える」ことで、相手のこころが「わかる」のである。

そして、「きく」を実践するために忘れてはいけないのは、「きき手のこころの余白」を持っていることである。親もまた、感情を誰かに発信したりケアされたりしていなければ、赤ちゃんの泣き声を冷静に受け止め、理由を考える余裕がなくなってしまう。ケアする人自身がケアされている状態でなければ、相手の気持ちに寄り添うことが難しくなるのである。

環境を変える「おせっかい」も立派なケア

今度は、大きな地震に見舞われた人たちのケアをイメージしてほしい。

家族、家、日常が失われてた状態で「話をききます」と言われても「ほっといてほしい」と思うのが普通ではないだろうか。人によっては「きく」が通用しない雨の日を過ごしていることもある。

この時に効果的なアプローチが「おせっかい」である。相手のニーズを満たしたり、依存を引き受けることである。

先ほどの震災の例の場合「話をすることで、感じ方を変えましょう」と内面にアプローチすることより、トイレ掃除をしてあげることで、相手が安心して生活できる環境を整えることが効果的であったのである。

お金がないなら、給付金の申請を手伝う。お腹が減っているなら、食事を振る舞う。相手のニーズを満たしたり、ときには依存を引き受ける状態をつくる。このようにおせっかいを焼くことで、相手は「わかってくれている」と感じる。いつも通りの環境に回復してあげることが、おせっかいの本質であり、相手のためのケアとなるのだ。

もちろん、全ての行動に対して依存を引き受けよ、と著者は述べているのではない。環境が失敗している状況で、それを回復しようとアクションすることで、人は成長していく。

しかし、その回復を自力で行うのが難しくなるのが雨の日だ。普段できているトイレ掃除ができなくなるのが雨の日であり、そのことを理解し、清潔なトイレに回復してあげることこそがケアなのである。雨の日に晴れの日の理論を持ち込んでしまってはいけないのだ。

ネガティブな感情はつながりの証拠

相談を受けているうちに、時に話を聞く側が相手に恋愛感情を抱いたり、深い憎しみを抱かれたりすることがある。一方で、相談者自身が聞き手に対して「勝手なことを言うな」「子どもっぽいな」と感じたりすることもある。この現象は「転移」と「逆転移」と呼ばれ、ケアする関係において感情が変化し、関係が不健全になってしまう危険を内包している。

しかし著者は、転移や逆転移を予防しようとするのではなく、それを認識し、関係を再調整することを勧めている。例えば、友達から「うちはお金がないから、卒業後は働かなくちゃいけない」と相談された際、その友人が「なんで自分だけ我慢しなくちゃいけないんだ」と思い、あなたも「なんで奨学金を調べないの?」と思ったり、「なんとかしてあげなければ」と感じたりする。関係がずれ始めると、転移や逆転移の兆しが見えてくる。

こうした感情の変化は必ずしも悪いことではなく、むしろ関係が深まった証拠と捉えるべきである。友人が両親に向けていた感情があなたに向けられることや、あなたが感じる「何もしてあげられない」という絶望感も、単なるネガティブな感情に留まるものではないこれこそが関係の深化を示しており、感情が変化したことで関係が成長する過程の一部だ

だからこそ、重要なのは転移や逆転移を防ぐことではなく、その感情を受け止めて再調整することだ。ネガティブな感情を抱き、関係が一時的に不安定になってしまうことは、決して悪いことではない。ケアする側の人々には、このことを理解し、自分を責めないようにしてほしい。

まとめ – 雨の日に傘をさしてあげるために

こころのケアは、事前に準備して始めるものではなく、始まってしまった瞬間に向き合うものだ。だからこそ、「晴れの日」と「雨の日」ではケアのアプローチが異なることを理解しておくことが大切である。晴れの日には効果的な言葉が、雨の日には逆に相手を傷つけることがある。この認識が、雨の日に対する理解を深める手助けとなる。

また、相手のこころを理解するためには、「どう対処するか」ではなく、「どう理解するか」が重要である。「きく」や「おせっかい」を通じて、相手が本当に求めていることを理解し、そのニーズに応えることで、より効果的なケアが可能になる。その過程で、ネガティブな感情に悩まされる瞬間が確実に訪れるが、それが関係性の深まりを示すものであることを忘れないでほしい。

正しいケアの方法がわからず、迷子になってしまったあなたや、いつか来るかもしれない未来で、立ち尽くしてしまうことから救ってくれる1冊。一度手にとってみてはいかがだろう。

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