仕事をしている特に、自分は説明があまり上手くないな、ということを最近ヒシヒシと感じてしまう。「話初めの段階では帰着点を定めておらず、途中過程を話していく中で少しずつ帰着点を探り、最終的に長々と間伸びしてしまうため、本質的なメッセージがぼやける」といった流れを踏んでしまうのである。
結論ファーストで帰着点から話せていない、というのが原因の1つであると思う。しかしながら、原因は1つではなく、「例えば…」の下りが効果的な「例えば..」になっていない、つまり、聞き手に理解しづらい抽象的な概念を理解してもらえるような下りになっていないことも原因であると思う。なんなら、今の文章もなんとなくわかりづらいな、とすら感じてしまう。
「具体的=わかりやすい」「抽象的=わかりにくい」である。そして、頭の良い人はこのわかりにくい抽象的な概念を理解する頭脳を持ち合わせているだけでなく、それを一般的に理解・解釈しやすいレベルにまで噛み砕きアウトプットすることができる。「小学生にもわかる言葉を使って説明せよ」とプレゼンのコツなどでも挙げられると思うが、このコツは単に「専門的なカタカナ語を多用するな」といったメッセージのほかに、「抽象的な概念を具体的なレベルにまで落とし込み、聞き手を置いていくな」といったメッセージも含まれているのではないだろうか。
具体と抽象の行き来が上手にできる人こそ、頭の良いモノの見方ができるのである。この「具体と抽象の行き来」を体現できるのが同書である。
【具体と抽象 ―世界が変わって見える知性のしくみ】(細谷功・著)
なぜ、具体と抽象の行き来ができると、頭が良いと言えるのであろうか。
・人によって具体と抽象の尺度が違うから
・個々の具体に、有機的な意味を持たせることができるから
・想像力を掻き立て、自分なりの味を出すことができるから
この問いに対する答えは、上記の3つになるのではないだろうか。
まず、「人によって具体と抽象の尺度が違うこと」について。
同書には、会議の案内を作成する上司と部下の例が記載されてあった。
案内を作成した部下は、会議の案内にその目的を記載することを失念してしまった。そこで修正を行う際に「開発仕様書をレビューする」と追記をし上司に確認をしたところ、上司としては、それはあくまでも”手段に過ぎない”という解釈をしていた。実際に上司としては「投資の意思決定をする」を会議の目的として捉えていた、という例である。
「開発仕様書のレビュー」は「投資の意思決定」のための手段であると共に、会議の下位目的であると言える。会議の上位目的が「投資の意思決定」、下位目的が「開発仕様書のレビュー」であるとすれば、前者の方が抽象度が高い目的である。いずれも目的であることに変わりはないのだが、二人にとっての具体と抽象の尺度が異なるため、上の例のようなズレが発生してしまっている。
人によって具体と抽象の尺度が違うことを知っていれば、相手の考えている具体度(または抽象度)に合わせたコミュニケーションやアウトプットができる。一方、この尺度が存在することや、それが人によって異なることを知っていなければ、相手に合わせた具体度でコミュニケーションを図ることができない。これが、具体と抽象の行き来が重要である1つめの理由である。
次に「個々の具体に有機的な意味を持たせることができる」について。
・メディアに掲載されていない地元のケーキ屋さんの記事
・町の都市伝説の調査記事
・町の若者によく行くスポットをインタビューした記事
一見バラバラな記事に思える。しかしながら、より抽象的な次元で「町の魅力を再発見すること」とコンセプトを定めていた場合、それぞれの記事は意味を持った記事になる。アイデアマンは物事の共通点や違いを認識する発想に長けており、それによりクリエイティブなアウトプットを実現しているようなイメージだが、それは抽象的な次元において俯瞰をし考えることが当たり前になっていることが理由だろう。
企業や仕事においてもこのような哲学・理念・コンセプトが重要で、全てを個別に判断していると無駄が多くなり、整合性が取れない状態になってしまうことが多いそうだ。仕事の進めるにあたっては「この業務の本質的な目標はなんだっけ?」と考えるクセをつけるようにするなど、あくまでも具体的な仕事レベルではなく、俯瞰して物事を見るようにしたい。
最後の「想像力を掻き立て、自分なりの味を出すことができる」についてだが、これは同書に記載されている、「パクリ」と「アイデア」の例をもとに説明したい。
「パクリ」と「アイデア」の違いとはなんだろうか。誰しもなんとなく「ここまで類似しているとパクリと言えるのでは」というなんとなくのボーダーラインがあるのではないかと思うものの、それを言語化するとなると難しい。
同書では、具体レベルで見た目やデザインや機能をまねることを「パクリ」と定義している。上述で説明した通り、人によってどこからが具体的と呼べるかは人によりまちまちであるだろうが、一定以上の割合の人が「具体的だ」と感じてしまうようなマネであれば、それは「パクリ」であるといえる。一方、抽象的なレベルでのマネのことを「アイデア」というそうだ。新しいアイデアは既存のアイデアの組み合わせから生まれているということをよく耳にするが、この”アイデア”はある程度抽象性の高い次元の話をしているということを理解しておくと良いだろう。そしてこのことを理解しておくと、自分の想像力を掻き立てることにつながるのだそうだ。
上記の記事の例にも通ずるが、「抽象化できる」ということは「個々の具体の共通点を見つけることができる」ということである。一見バラバラに見える具体の共通点を見つけ、そこを起点にちょっとしたズラしや工夫を加えるて具体に戻すことで、新しい「アイデア」となるそうだ。うむ、「クリエイティブに考え、アイデアを創出すること」をちょっとだけ言語化できた気がする。
自分は同書との出会いは書籍ではなく、Audiebleであったのだが、一種の脳内パラダイムシフト、アハ体験のような感覚に陥り、書籍にも手を出してみようと思って手に取った一冊である。一見とっつきにくい具体の世界を理解するきっかけとなる書籍であり、文字通り「具体と抽象の行き来」を体感することができるので、興味があれば同じような体験を是非とも味わっていただきたいと思う。
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